読むドラマ(議事録)

相手を知ることは、自分を知ること。
年齢も業種も異なる経営者たちが、月に一度つどう目的はただ一つ。
決して一人ではたどり着けない月面「本当の自分」に降り立つため。
これはそんな経営者たちのリアルなやり取りから生まれたドラマ(議事録)です。
(禁:無断転載)

 第137回 百年企業研究会内容(2020/07/09)

 降り続く雨は、容赦なかった。
 蒼天先生の言葉を思い出していた。「天変地異。昨今の集中豪雨。台風の被害。地震。温暖化が被害を大きくしていること」6月のミーティングでのお話だ。
 コロナが落ち着きそうになったものの、再び予断を許さない状況になった。そこに降り続く雨。
 「何が起こるかわからない」
 熊本県芦北町から、嫁いで来て25年になる友人が近くにいる。思いがけぬ豪雨で、彼女は知り合いを失い、実家が浸水し、友人のビニールハウスが破壊されるのを見て、どんな気持ちでいるだろうと心が痛む。
 「個人の力ではどうしようもないこと」
 わからない未来に向かって、気持ちを盛り上げることよりも、今日の一瞬一瞬を全力で生きることに集中する。明日死んでしまっても、悔いのない人生を。2600年前のお釈迦様の言葉がしみる。

 私の暮らす京北地域も、いつもどおりといえばいつも通り、あちこちの道路が土砂崩れで寸断された。
「大津どうして行こうかなあ」
 京都市内へ出るルートが次々に断たれた。①京見峠②京都縦貫道―名神高速道路③国道9号線(園部―亀岡―京都市内―大津)
この3つが残っていた。①が最も近く、迷いなく①で行こう。②と③は、遠回りになるので、なるべく避けたい。
 近くのコンビニでコーヒーを買っていたら、ご近所さんがバイト中で、「京見峠、あかんらしいよ。」と教えてくれた。「え! 大丈夫って書いてあったけどなあ、あかんのかぁ…」
話を聞いていた顔見知りのおじちゃんが「京見峠しか通れへんから、あっちからもこっちからも来るやろ。離合できんで、もう、動かへんのや。わし今行ってきたとこやさかい、間違いない。やめとき。そら、園部まわってるほうがまだ早いで」
色んな人が手持ちの道路情報を披露していく。
 全国展開のコンビニだろうがおかまいなく、昔からある商店街みたいな雰囲気になってしまうこの町、好きやなあとか思っている場合ではなく、私は皆さんのアドバイスをお聞きして、②、高速道路で行くという選択をした。

さて。
京都縦貫道園部インターに向かう。電光掲示板が目に留まる。「沓掛口(くつかけぐち)土砂崩れ、出入口全面通行止」
!うそん。インターの手前の道の駅に寄り、スタッフの方に「あのお知らせは何でしょう?」と聞いてみた。「そうなんですよ。沓掛口通れへんようになってね、もうちょっと調べてみますね」彼女は仕事の手を止めて、スタッフルームへ消えて行った。おみやげものを見て待つ。彼女が走ってくる。
「お待たせしましたね~。縦貫道にのらはっても、亀岡の篠までしか行かれへんのですよ。大津ですか? 大分混んでるみたいやけど、9号線から行くしかないみたいですよ~」
「ありがとうございます」「まだ降る感じですし、気を付けて運転してくださいね」
優しい言葉たち。お天気には恵まれないけど、出会う人々には恵まれている。
これはもう、落ち着いてぼちぼち行くしかない。親切にしてもらったのに手ぶらで出てくるのが忍びなく、食パンを買って出た。

一番避けたかった③を選択することになった。国道9号線は見事に渋滞していた。水島さんになんとなく事情を説明して「遅刻するかもしれませんが行きます」と連絡を入れる。「録画してますから、安心してゆっくり来てください」この優しいことばに、覚醒した。録画。これがないと議事録はできないのだけれど、録画だけをみても、議事録は進みにくい、と先月学習したばかり!意地でも行ってやる!リアルにその場にいないと、書けない!

積極的に渋滞に参加した。あ~誰か隣で本を音読してほしいな~とか思いながらのろのろと進んでいった。
ひとつ出会いがあった。じっと停車していることが多いので、両サイドのお店が自然と眼に入る。反対側の道沿いに、新しいパン屋さんを発見した。「銀座 に志かわ」という高級生食パンの専門店だ! 西京区に1軒できていて、一度行きたいなあと思っていたお店。西
の「乃が美」、東の「に志かわ」、そんなイメージ。行列必至。亀岡だったらすいてるかもしれないなあ、今度買いに行こう。
もうひとつ出会いがあった。FMココロからの声。「今日は細野晴臣さんの73歳のお誕生日です~」彼のバンドYMOの「雷電」が流れた。当時私は小学生だった。衝撃的な音楽に感電した。シンセサイザーという言葉を初めて知った。音量マックスにする。やっぱり大好き! 当時「カセットテープ」でアルバムを買ってもらって、ラジカセで擦り切れるまで聴いていた。しばらく昔に浸って、幸せだった。ああこれも今度ダウンロードしなくちゃ。

老いの坂を過ぎたあたりから、ようやく動き始め、だんだんいい感じに流れてきた。

途端に眠くなる。
山科のコンビニで車を降りた。ユンケルを購入して、手持ちのキューピーコーワゴールドを2錠飲む。これで相当イケるはず。これってドーピング?

開始2分前、コラボしがに到着。

ミーティングルームに入ったときには、もうすでに、長い旅を終えた後のような気持ちだった。
これから、長い旅その2、が始まる。


蒼天先生
「藤崎さんですが、本日より、6か月、休会されることになりました。受注が増えすぎて、交通整理が必要ということです」

6か月。次にお会いするのは2021年の1月。そのころには、どうかコロナも静かになり、災害もなく、穏やかでありますようにと、真剣に思った。「会う」という貴重な時間が心からいとおしい。

蒼天先生、ズームで出席の桜庭さんに向かって。
「滋賀にもコロナ、来てますね。桜庭さんところの近くですね」

桜庭
「はい。隣の学校です。私は大丈夫です」
司会は白石さん。
本日は、コロナをめぐり、例会の「開催基準」を決めてはどうかという提案をしてくださいました。資料が配られます。

あれこれと議論が進みました。
桜庭
「ズーム開催についての規定も入れた方がいいのではないでしょうか?
こんな時に例会に参加できるのは、ズームのおかげです。
災害のときもあります。危険をおして、無理に車で来るのはどうかと思います。
だからといって、参加できないのは、もったいないですし。
我々も、お客様とお話する際に、ズームを使う場面もありますし、練習の場、機会として使っていくべきではないかと思います」

蒼天先生
「一般的な常識で、来られない、という事情はお互いに大人ですし、ズームの参加も認めていくのがいいですね」
菖蒲
「ズームであっても参加したい人は、この会が好きだからですよね。
 私、月曜日から三日間、福岡県の筑後市と、みやま市におりました。この雨で、氾濫してるところばかりですよね。木曜日、帰って来られないかなという不安もありました。そんな時はですね、ズームで参加できたらいいと思う。何が起きるかわからないので、ズームという手段は、やっていったらいいと、ひしひしと感じましたね」

墨田
「何名かに事情があっても、会場とズーム、という今の形でできる。ほとんどが来られない、とかになったら、全員ズームでやったらいいと思います。質とかいうこともありますが、『月1回集まろう、やろう』と思うことが大事ですね」

蒼天先生
「原則はここで。事情あればズーム参加あり。ズーム開催もあり。それも例会にする」

そして次月の開催などについてさくさくと話が進みました。コロナや災害という事情のもと、できる形で実施する方向が模索されました。
白石
「では、今年の『短冊』発表の続きを行います」

蒼天先生
「黄金さん、菖蒲さん、桜庭さん、銀河さん、終わってますな」

山吹さんが立ち上がり、短冊を手に前へ。
墨田さんが、マイクを前方へ移動。

 

山吹さんの短冊

『素晴らしい出会いをバネに 自分自身を磨きなおす』
「私にとって、この会は、素晴らしい出会いの場です。
一生懸命仕事をしていましたのに、急ブレーキをかけられて、無念の休業。蒼天先生のFacebookを拝見して、すがる思いで蒼天先生に連絡させていただきました。
面接みたいな会話がありまして(会場笑)、『それやったら来なさい』といってもらいました。この椅子に座ったことが、既に刺激です。
日経新聞を読んでいても、自分で仕事を持って、ビジネスをしようと思って読むのと、単純な気持ちで読むのとでは、相当の開きがあります。
私は、普通の飲食店じゃなくて、観光がしたいんです。
今までは、全国展開の商売をやってきました。でも、このコロナでそれをチャラにして、皆さんからの刺激をいただきながら、次のステップに進んでいきたいと思っています。
ほんとにもう、ここに来るだけで、皆さんから刺激を受けています。さっきからね、白石さんが、細かい字でいっぱいメモをとってはる。そしてそのレポート用紙をきちっと半分に折りたたんでおられる。その様子をみただけでもね、もう負けたなというか、もっともっと自分が頑張らないといかんなという気持ちになるわけです。ほんまにもう、ありがたいことです」

白石さんが感嘆のひとこと。
「細かいとこまで見られてるんやなと思いました…!」

蒼天先生
「それがこれから大事になってくるんですよ。先月お話した、右脳の話です。
些細なところをどこまで感じていくか。それがものすごく大事。日ごろ感じていないことを、感じておられる。繊細さ。精度ですな。それに対応していかないとあかん。
山吹さんは、この姿勢でいやはる限り、うまくいくと思います」

山吹
「ついてますんやわ」

水島
「先月におっしゃっていた補助金のことなんですが、『もらった補助金を、税金で国に返していく』という考え方、『活かせないのだったら補助金を使わない』という考え方、そこまで思い至ってなかったので、そこは僕も考えて行かないといけないところですね」

山吹
「主人はネット販売を認めない。それが息子とうまくいかなかった理由。今息子は、のびのびと商売してますわ。
ほんとにもう、主人は雉の仕入れだけしてくれたら、あとは私がひとりで、するするとやれるのに、『商売はそんな楽なもんではない』といつまでも固いこと言うし。なかなか進みません」

蒼天先生
「堅物がいるからいいんですよ。そういうのが必要なんですよ。長い目で見たら、ご主人が正しいと思います」

白石
「補助金のことですが。僕は結構補助金好きで、設備は補助金とりますよ。補助金申請をするときに、5年分くらいの事業プランを書く。それを診断士の方が判断する。意外とビジネスプランを書くことは難しい。補助金をとる、とらへんじゃなくて、事業をきちっとフォーマットに書いてみること、やってみたらおもしろいと思っています」

蒼天先生と白石さんの、補助金をめぐる意見のラリーです。
「僕は嫌いですね。フォーマット。自分のプランを、フォーマットに当てはめるのは間違い。個人の思いは、それぞれ違うわけやから、フォーマットはね、個人のいろんな思いをダメにします。個人的な思いがそぎ落されてしまう。型にはめられたら、自分の思いはそこに書ききれない。フォーマットで、中小企業がダメになった。これは僕の持論です。
フォーマットを埋めたら、なんかもう、ビジネスができたみたいな錯覚に陥る。そういうことをいっぱい見てきた。昔は僕もフォーマット作って、やってたんですよ。でも、経営者の思いがそこに全然載って来ないという経験を何度もしたうえで、フォーマットが悪いとわかったんです」

白石
「自分の思いをまとめられへんような人は、一回フォーマットに書いてみて、あ、俺はフォーマットにあてはまらへんな、って感じることが必要なんではないでしょうか」

蒼天先生
「逆逆。真っ白な画用紙に、自分の思いを自由にフリーハンドで書くことが大事。始まりはそこからなんですよ。当てはめない。当てはまらない。ビジネスプランというものは、自由奔放に書くものです。
ルーチンワークには、フォーマットがむいていますが」

白石
「ある程度のレベルに達している人が、自由にフォーマット無しで自分の思いを描けるのではないでしょうか?」

蒼天先生
「思いに、初心者とか、ベテランとかは、ありません」

どちらにもうなずいてしまいます。
「思い」は、おっしゃるとおり、初心者もベテランもないんだと納得します。
「ある程度のレベルに達している人」というところですが、自分に当てはめて考えてみると、自分がどれだけ自分の素の姿を知っているか。自分としっかり向き合っているか。そこをクリアしたときに、初めて「自由奔放」になれるのではないだろうかと思いました。その度合いと、時期に個人差がある。そういうふうに感じました。
もともと、「自由奔放な自分」、がある。しかしながら、「こうでなければならない」「こうあるべきだ」という、親のしつけとか、教育とか、友人関係などにがっつりはまり込んで生きていくうちに、「自由奔放な自分」を見失ってしまう(私の場合)。
そのまま進学し、就職してしまうと、どんどん枠にはまったほうの自分が本当の自分だと思い込み、周囲にあわせるように、周囲を気にしながら生きて行ってしまう。
私は当時、はっきりと言葉では表現できなかったけれど、毎日が無性に息苦しく、他人に合わせてこのまま公務員でい続けることは、絶対に耐えられない、でもみんなに合わさなくちゃいけない、そんな気持ちで、10年以上勤めてしまいました。「公務員はやめたらもったいない」的な周囲の雰囲気にあわせていたし、それで安心感を得ようとしていた。完全に自分の人生じゃなくて、他人の人生(他人の価値観に基づく人生)を歩んでいた。
色々なことを経て、退職し、パン屋を始めるに至りましたが、すぐに「自由奔放な自分」に気づき、本来の自分を取り戻したわけではありませんでした。
むしろ苦しみはさらに深くなりました。起業のコンセプトとか、あなたはどんなパン屋になりたいか、とか、どんなふうに社会に貢献したいかとか、急に言われても、全然思い浮かばない。「●●すべき」という観念を取り払った本来の自分、あるがままの自分が何かもわかっていないのに、どうありたいかなんて、わかるはずもない。自由を手にいれたのに、それを不自由に取り扱っていました。
日記を書き、本を読み、お釈迦様にすがり(笑)、日創研に参加し、少しずつ少しずつ、行きつ戻りつ、軌道修正しながらのろのろ運転をしてきました。最近ですね。こんなに気持ちが自由になったのは。もちろん、悩むことはいっぱいありますが、「それを書きだす」ということができるようになってきたので、悩みへの向き合い方が、自由になりました。自分はいつも正しい、と思わなくなったことが、自分を身軽にしました。今ならフリーハンドでいっぱい絵が描ける気がします。
話がもどります。「ある程度のレベル」というのは、「自分を知っているか、または自分を知ろうとしている状態になっているか」ということで、これができていないと、「自由奔放」に自由な絵は描けないということかなと思います。自分の本性を知らないと、「こうあるべき」に支配されて、枠にはまった絵を描いてしまうということかも。だって自分が自由じゃないから。幼いときからありのままの自分で生きている人もいれば、私の様に、最近まで己を知らなかった遅い人間もいる。そのことなのではないだろうか。
今こうやって自分を振り返ってみましたが、「本当の自分」を知ったのが2年前。それまで何しとったんやということになりますが、その長い寄り道と葛藤のおかげで、自分のことだけでなく、他者のことにも、思いをはせることができるようになったのではないかと思います。そして、自分のことでさえこんなにわかっていないのに、他者の本当のことなどわかるはずもない、ということを、身をもって知りました。そのことをわかったうえで、他者と接すると、そこにはゆとりが生まれるような気がしています。そしてまだまだ知らない自分がいる、ということも、確かに感じるようになりました。

話がそれました。現実に戻ります。
紺野
「そうそう、山吹さんのところは、お料理屋さんやっておられるんですか?」

山吹
「開店休業ですわ。とりあえずは、やってるというところです。息子は笠置で鳥肉専門店。私が木津で料理屋」

菖蒲
「ぜひ、山吹さんに、雉の魅力を語っていただきたい。普通の鶏と、どんなふうに美味しさが違うのか? 想像力をかきたてられるお話をしてほしいな」

蒼天先生
「いいですね。次回講演してもらいましょう」

壁の向うから桜庭さん。
「仲間たちと一緒に、山吹さんのお店におじゃまさせてもらったんですね。
私それまで、山吹さんがどんな方だったのか、まったくしらなかったんですけれど、すごい料亭の女将さんだったんだということがわかりました。軽いノリで行ってしまったんですけれど、もっと、かしこまらなくてはならなかったんです。
お料理もすごかったんですけれど、それだけじゃないんです。
「雉を通じて、お客様と話がしたい、いい思い出を作って帰ってもらいたい」という思いが本当に伝わって、私たちがツアーでやっている体験と同じだと感じて、みんな一度にファンになりました。
ご主人がね、ものすごくお茶目な方で、楽しかったんですよ。
お煎茶を入れてもらったんですけれど、お茶の入れ方もお詳しくて、美味しいお茶をいただきました。たくさん売れるものをお持ちですので、どんなふうに形にされていくのかなと楽しみです」

先月申請された補助金は、無事に通ったそうです。雉祥としてのテイクアウト商品を作っていかれるそうです。何も進んでいないとおっしゃるけれど、着実に進んでおられる印象です。桜庭さんのお話をお聞きして、山吹さんのお店に、ますます行きたくなってきました!
山吹さんは、いつも低姿勢で、私たちをほめてくださいます。でも絶対、私が山吹さんから学ぶことのほうがはるかに多いと思う!

 

紺野さんの短冊

次は、紺野さんの番です。短冊が並べられます。
2019年『日記を続ける』
2020年『調和と準備/片付けと模索』
2020年『仕事を任せる』

「工場が40年前の建物で、もう古くなっていました。機械を(プロファイル)購入して、一気に3台になりました。それを機に断熱して、ものすごく効率よくなりました。
去年が勝負に出た年でした。50歳になり、達成感がありました。ものすごいこと俺もよくやったなあ。上り詰めちゃって、どうしよかな、と。
環境よくするしかない。今年は周りに散らかっている道具を片づけて、とりあえず模索しよかなという感じで『調和と準備/片付けと模索』
ところがムーンショットだということになって、うーん、こんなんじゃ、予想つくよなと思って、『仕事を任せる』ということにしました、今まで自分のやってることを誰も手伝ってもらえなかったんだけど、ベテランが天下りできてくれた。60歳の方なんですけれど、やる気がある。抱えすぎているのはよくないと、お任せすることにしました。
ところがです。大問題が起こっちゃった。何も聞かずに自分勝手にやっちゃうんですよ。えっまさかそんなベテランが、こんな初歩的なところで? というところでミスがありました。大変なことになったんです。
で、結論から言うと、『手順書』を作らないといけないということになりました。
これからは、ベテランさんが、退職後に、外注のほうに天下りみたいな形が出てくると思います。ベテランさんに対して、あれこれ指示はしづらい。なので、『手順書』を作って、マニュアルに従ってやっていただく、そういうことです。
いい機会だから、紺野さんのところで作ってくださいということになりました。
この失敗を機に、まずはうちで手順書を作る。自分のところで、この大事故が起こってよかった。よそで起こったできごとで、話だけ聞いても、自分事として身に染みてこなかったんじゃないかと思っています。
今は手順書づくりで大騒ぎですよ。
今どうなってるかというと、天下りのおじさんがびびっちゃって、何もできなくなって、結局自分の仕事は自分でやる、その人の穴埋めも全部自分でやる羽目になっています」

蒼天先生
「『仕事を任せる』ということは? それと手順書はどういう関係があるの? 今回のことは、『基本の基』ができていなかったから起こったことですな」

紺野
「少ない人数でどこまでやれるか?ということだったんですが…」

蒼天先生は、たたみかけるように語ります。
「仕事を任せるためには『手順書』が必要だったんですよね。
基本ができてなかったから、そうなったんですね。
『基本の基』を作る。守る。ということですね。
『基本の基』ができてないようではあきまへんね。
熟練者の方が入って来られたわけでしょう。書かないとあきまへん。
いい製品を作ったらいいというだけではない。『手順書』を書くということは、技術の蓄積、ノウハウの蓄積になるんです」

紺野さんと同業種の白石さんが続きます。
「僕らの業種は、書くのがものすごく苦手なんすよね。僕らの世代は、『技術は盗んで覚える』という、最後の世代でした。
僕んところでは、3年くらいかけて、セッティングとか動画で撮りました。そうすると、読解能力や、書く能力がなく、人様に教えることが苦手な人でも、理解できる。『簡単な手順書プラス動画』、これはなかなかいいと思いますよ。3Dプリンターで、『触れる図面』にも取り組んでいます。『読める、見られる、触れる』という感じです」

紺野
「もうね、ベテランが言うことを聞いてくれない」

蒼天先生
「社長失格、言うこと聞いてくれへん? そんなこと言うてたらあきまへん」

紺野
「職人同士の技術の伝承もできていない。
若手の方はどうかというと、1から100まで教えないとわかってもらえない。理解してもらえない」

白石
「知の財産=技術なんですが、紙ベースで書いても、残らへん、伝わらへんのですよ。若い子たちは本を読むことが少なくなってきてるから、
読解能力の少ない子にどうして教えるか。彼らは感触とか触覚とか、そういう部分が優れている。だから、触れる図面が大切。百分のイチとかのサイズで。これとおんなじもんを作れという。細かいところは裏返したりとかして、3Dプリンターで作ったもんは、石灰なんで、また壊して再利用できるんですわ」

紺野さん、深くうなずきながら聴いています。

蒼天先生
「課題が浮き彫りになったね。もう一回、今回のことをきちっとまとめとこうよ」

今回の議事録を作成する際、紺野さんに確認したいことがあり、少々やりとりをしました。その時に、「いろいろあって、蒼天先生のおっしゃってたことが昨日ようやく腑に落ちました」とおっしゃっていました。
その感覚、すごくわかる気がします。先生に何らか言われたときには、「わかりたい、でも本当はわからない、むしろ反論したい、でも、気になる」という印象で帰宅するのです。頭のどこかにそのことはずっと残り、折に触れて出てきます。「いろいろあって」というのは、現実として具体的にいろんなできごとが起こるということと、頭のなかでいろんな葛藤が起こるという、両方の意味じゃないかな。でもそうやっているうちに、ある日突然腑に落ちるときがある。
私にとっては、「日記を書く」ということがそれでした。大事大事、と言われて、無理やり書いていましたが、心底理解して書いていたわけではありませんでした。子どもがいやいや宿題をやっているあの感じでしたが、ある日突然「日記を書くことの重要性」を実感してしまうことがありました。その日以来、ようやく習慣として、歯を磨くように、日記を書くことができるようになった。「腑に落ちた」ということだと思うのです。
紺野さんには、何があったのでしょうか。ぜひ、聴いてみたいです。

白石
「今3時26分ですね。少し休憩いれましょうか。3時40分まで、休憩」

 

緑山さんの短冊

緑山さんからの再開です。
2019年『学知貢献』
2020年『役割を果たす』

「皆さんのご記憶にあるかどうかはわかりませんが、昨年の『学知貢献』、中途半端に終わっています。皆さんに賛同を得られないまま、自分もどうしたらいいか思いつかないまま、時間が流れるのを待っていたような感じです(会場笑)。今思えば、なんですけど、『自分の学んだこと、知識をお客様に伝える。ええことちゃうん?』と思っていましたが、『それを通じて儲けたいんちゃうん?』ということを見透かされていたような気がしています。
ということで、今年は『役割を果たす』にしました。非常に当たり前のような話。
生命保険の役割は、何か? それは、『必要なときに、保険金をお客様にきちんと届ける』これが役割です。
3人のお客様に、癌が発覚しました。治療中、または治療法を模索されている方がおられます。治療方法などの相談をうけることもあります。その中に、81歳のお客様がありまして。
去年の11月か12月ですね、喉頭がんです。府立医大で、陽子線治療が適用できるのではないかと思い、ご家族にこんな治療方法があるよ、とご紹介させていただいきました。
生命保険には、先進医療という特約がついています。特約を使うと、陽子線治療は270万円かかりますが、それが保険からおりる。
その患者さんは81歳で、ご契約いただいて10年以上経っていて、私はてっきり、先進医療特約をつけていた、はずやったんです。ところが、その保険会社の先進医療特約は、80歳で終わりだったんです。
今、世の中で売られている先進医療特約のついてる保険は、ほぼ全社終身。一生先進医療が続きます。ここ何年かそういう保険ばかり販売してるんで、その方にも終身がついてるもんだと思い込んでました。で、それが適用できますよというお話をしていました。
ところが、ご家族の方が、『なんかちょっと前に案内が来てたよ。保険が終わったとかなんとか』とお話くださって、えっ!まさか!となって、調べたら、その方の保険は80歳満了で、終わってた。癌が見つかったのは、その直後だったんです。
先ほどお話したように、我々の仕事は、契約を獲得することではなくて、保険金を支払うこと。なのに肝心な時に払えず、ぬか喜びさせただけになってしまった。これはもう、どうしようもない。

そんなことがあり、今年の短冊に書くことを考えました。
果たして、自分の本当の役割は、果たせているのだろうか?
先ほどの紺野さんのお話のときにありましたように、基本の基に戻らないといけないし、役割というのは、社会から与えられている役割だけではない。家庭では、夫、父、じいさん、友人、職場の仲間、後輩もいる。
今年の1月に、二人だけで会社をやってたところを吸収合併して、うちの会社に入れたり、新しい人を採用したり。いろんな社会的役割が重くなって来ている部分もある。
研究会への出席も、役割の一つ。事務局の方にいろいろ動いてもらって、蒼天先生からはいいお話を伺って、紺野さんや藤崎さんは、長野から来られているのに、ぼくいつも来るのが2時ぎりぎりやなとか。少しでも早く来て、いろいろ手伝わなあかんのちゃうかと思ったりしてます。
色んな役割があって、この短冊を書くにあたって、先ほどの基本の基じゃないですけどきちんと役割を果たすべきだなあという思い、意思をこめて、簡単なことばなんですけど、『役割を果たす』ということにさせていただきました。
ありがとうございました」

黄金さんが質問します。
録画を再生しているときに気づいたのですが。
黄金さんの席は、緑山さんが話しておられる場所から、一番遠いところにある。
マイクは緑山さんの近くにあるので、黄金さんの声は、ほとんど聞こえません。
黄金さんの質問がはじまると、墨田さんがすかさずマイクを黄金さんの近くに運搬。
そして答える緑山さんは、黄金さんの近く、マイクの近くにさりげなく移動されました。
このスマートかつさりげない、気遣いにあふれる流れに感動して、何度も再生してしまいました。

黄金
「役割って。やりたいことと、役割を果たすということは、イコールなんでしょうか?」

緑山
「役割って、与えられた部分もあるし、自分のやりたいこともあるし。いやいや何かやってるものは、ないですね。嫌なものは断るという感じですね」

黄金
「役割を果たすということは、聴いてるだけだと、義務感に感じるけど、いやいややっているのではない、嬉々として果たしたいですよね。義務感というのは違う気がしますよね。
僕も若い時からいろんな役割をやってきたけれども、どっちかと言ったら、先輩からのつなぎ、先輩方がやって来られたのだから、引き継がないといけないという、やらないといけないよね、という義務感の役割でした。最近は面白くないなあと。
『やらなきゃならない』を、『やりたい』に変えて行かなきゃならない。
『役割を果たす』というのは、プロセスであって、目標、目的じゃないわけです」

緑山
「言えてる気がしますね」

黄金
「役割を果たして、どうなりたいのか、ということ、
さっきの保険の話でいうと、役割は果たしたけれども、喜んでもらいたいことが全うできなかった。だから、役割を果たして周りを喜ばせるとかそういう目的を持つことが大事なんじゃないかな」

緑山
「役割を楽しむということかな」

黄金
「役割を果たすことによって、人に喜んでもらうとか。
果たすことは目的じゃなくて、その先に何かあると思うんですね。
それも大事なことだと僕は思う」

緑山
「わかる気がしますね。
やさしい言葉で言っていただいて、ありがとうございます」

銀河(マイクが目の前にあるにもかかわらず、本当に自分の声が聞きとりにくく、はっきりしゃべれよ!と大反省)
「自分は役割を果たすことは生きることだと思ってやっています。役割を果たしたらそれで終わりというか。それでいいというか。でも今のお話で、『その先があるのだ』ということに気づきました」

紺野
「『役割を果たす』ということで、今何か具体的に実行されてることはあります?」

緑山
「家庭人としては、できるだけ早く家に帰る。やりだした、という感じですね。ここ1ヶ月くらい。
仕事に関しては、昔の契約を洗いだしてる。スピードは遅いですけど、やりだしてる」

蒼天先生
「生涯を通して何をやり遂げたいのかというものがきちんと語られてたら、その中で、ああそういう役割がある、ということで、より理解が深まったんだと思います。
だからもう、緑山さんの年だったら、ここまではやり遂げたいというものを持ってはるのかなと」


緑山
「いやそんなものはまだ持ってないですね。40代くらいの勢いのまま、70までやりたいなという気持ちでやってますんで」

蒼天先生
「いやそれとこれとは別や」(会場笑)

緑山
「蒼天先生の有限会社を解散、とかそういうドラスチックな転換、というのは、まだまだ今のところ頭の中にはないですね」

蒼天先生
「じゃ、それ考えましょうや。保険の仕事、またはそれ以外の側面から自分は何をやり遂げようとしているのか、ある程度それを明確にしましょうよ。そうしたら新しいものが見えてくる」

緑山
「今年考えます。議事録に残しといてくださいね」

蒼天先生
「ある日突然はない。毎日考えるんです。だから日記を書けというんです。
毎日考えてたら勝手に結論が出ます」

緑山
「わかりました」

『役割』がらみで白石さんが黄金さんに質問。
「僕らの年代、いろんな「役割」がまわってきてるんです。それって、やらなあかんもんなんですか?」

黄金
「答えはその人次第やからな。
僕らの思いとしては、『次はお前や』と言われたら、やらなきゃならない。やりたくないとか、やらなくていいとか、そういう選択肢はなかった。
白石さんとか今の年代の人は、疑問符持たれる、それはいいことだから、敢えて勇気を持ってやめる勇気ありかなと思います。
僕たちのように、枠の中で生きてきた人間は、枠からはみ出すことは、負のイメージがある。でも今の世の中、そうじゃない。本当に自分のやりたいことをやる。死ぬ前にああしといたらよかったと思わずにすむように。
ま、義務感でやってきた役割でも、人脈づくりとか、いい部分も確かにあったけど、もし今の僕があの頃に戻ったらやってまへんわ。当時はね、やるべきものだと思ってきたから。だから日本の国があかんくなったんやね。答えはわかりません」

緑山さんが続きます。
「『あなただから頼んでいるんだ』昔、『頼まれごとは、試されごと』と言われて、ノーという選択肢はありませんでした。
数年前までは、何でも受けてましたね。それは人間的横のつながり、先輩後輩縦のつながりすべてにおいて、プラスにはなった。
今はね、わがままスタンスを出そうとしてます」

蒼天先生
「ひとこと言わせていただいてよいでしょうか。
僕は、一切引き受けませんでした。
いろいろ頼まれましたけどね、自分がやりたくないことはやらない。
数が多ければ、人脈かと言われればそうかもしれないが、そこに費やす無駄な時間も必要になってくる。ぼくは自分の生き方に沿って人脈があったらいいと思ってましたから、やりたくないことは、一切やりませんでした。
サラリーマン時代、上司は使いにくかったと思いますね。しかしね、当時喧々諤々としていた人とは、いまだに、人間関係が続いているんですよ。そういうものは、残るんですよ。
人生は長いですから。今だけのことを考えたら、イエスマンの方が、喜んでもらえる。でも、僕にはできなかった。嫌なもんは嫌。
でもね、サラリーマンは、責任ある立場になってくると、嫌だからとかそういう訳にはいかないでしょ。それが会社勤めをやめた一つの要因にもなっています。
それからね、日本は昔からそう。昔の考え方を継承していくことが大切にされてきた。近江商人とか、いわゆる百年企業と言われている老舗とか。
僕はここ二三十年の間に、百年企業はなくなると思っています。
前に僕は黄金さんと話をしたときに、『なんで俺は文具屋してんにゃ』というセリフを聴きました。その時から、僕は事業承継に対する考え方が、変わりました。
事業承継というのは、基本的に事業の存続ですな。
今の僕は、企業(親の会社)を優先するか、個人の人生を優先するかどちらかの二者択一だという考え方になりました。そして親が作った一つの枠のなかで子ども人生をあてはめるのは最低だと思います。
ま、こういうことは、事業承継の後援会で話しにくいことですがね、実際聞いた人は喜ぶわけです。「事業承継」というと、「事業承継ありき」という枠の中で話をする人が多いのです。
それはね、事務局の意向なんですよ。もっと言えば、国の意向ですわ。国の施策として言ってる。
そんなもんね、一人一人の人生、個人の人生のほうが大切に決まっています。
自分が何をしたいか考えましょう。やりたいこと、好きなこと、それをとことん活かそう。
得意でないことをビジネスにしたら、弱みを宝にして生きることになる
強みを宝にして生きて行こうじゃないか。そのほうが面白く、またそうすべきです。
後継者の人には、こんなことを話します。
「君は親父の仕事が好きか? 好きならやりなさい。親父と同じやり方ではあかんよ。親父の3倍から5倍の努力できるか?」そう聞くと、「いやそれは無理です…」という人が多い。それならもう、仕方ない。好きなようにやれば?ということになります。
ベースは個人ひとりひとりの生き方。生き方を一番大切にするのが大事。
人生は1回しかないんだから、そこ大切にしないと。
後継者の「発想を変える」というのはそういうこと。まず企業ありきの人生ではなくて、自分主体の人生を考えるということです。
たとえ老舗のお料理屋さんであろうが、後継者は、『親の店だから。自分が継ぐのが役割だから』という理由で継ぐのではなく、『心底好きだから、大事にしたいから、何が何でもこのお店を守り、成長させていきたい」という思いがなければ、それは後継者になる意味がないと、僕は思っています』

緑山さんの「役割」をキーワードに、「事業承継」まで、いろんな話題が飛び交いました。
本日の最後、水島さんの番です。
一番若手の水島さん。いつも独特の存在感だな、と感じています。
ある知人がいます。風貌も独特ですが、発する言葉が、妙に周りを和ませ、笑いを引き起こす、というか、引き起こしてしまうというか。周りの人間が、「あなたは面白い。楽しい。愉快だ」とかほめると、ご本人いわく、「自分は、面白い人?」とちょっとでも自覚してしまうと、面白いことが言えず、その才能は、どこかに行ってしまうらしい。何も考えずにその場にいて、何気なく話すと、周りが喜んでくれるらしい。絶対にウケようと思っちゃいけない、絶対に自分のことを面白い人かもしれないと思っちゃいけないそうです。
どうも水島さんと共通項があるような気がしてなりません。そこにいてもらうだけで、すでに「役割」を果たしてもらっているような感じが、です。

 

水島さんの短冊

水島
2020年『覚醒』
「日記、そろそろつけ始めてますね。書いてると、淡々と仕事をして、終わってる。人生楽しんでないな~という感じがすごくありますね。楽しくないわけではないけれど、仕事だけで終わっていってる。
蒼天先生の茶道、紺野さんのハーレー、どちらも一生の取り組みをもっていらっしゃる。
この前、蒼天先生から茶道のFacebookに招待されて、あ、これは茶道をやれということかな?と思ったんですが」

蒼天先生
「あ、それは押し間違い」
(会場爆笑)

水島
「いったん仕事を置いてみよう。
コロナで時間もできて、スタッフが育ってきていい感じに僕の仕事もやってくれています。
人生楽しもうと思うと、自分から動かないと、楽しいことってやって来ないよな。一生続く趣味というか、取り組み、みたいなものを持ってないな。そろそろ覚醒せんとあかんな、という焦りがあります。
最近はキャンプのことばかり調べています。
夜更かししながらYouTubeでキャンプのこととか見たり、夜な夜なアマゾンを徘徊して、ソロキャンプデビューしよかな~ キャンプ行きたいな~って考えてます。
それが一生の取り組みというか趣味になっていくといいかな。
ブームということもあるがそれをのけてもいい趣味やなあ、踏み込んでやってみよかな、と思ってる。
そうそう、仕事にもつながっていて、キャンプ用品のサイト制作の案件を受けています。

あとは、武術系、武道系のがやりたいなと思っています。
昔空手やってたこと、合気道をやりかけていたこともあり、何かまたやりたいなと、今年の初めから思っていました。コロナが明けたころに、始めてみたいです。これも一生の取り組みなるやろなと。
磨きなおすための武道と、ほっとするキャンプ
楽しくなるかな、と思っています。
そこからどう覚醒に行くんか、ってことですが、何か見えてくることがあるかなと。

そうこうしているうちに、コロナで仕事が減るかなと思っていたら、意外に忙しくなって。ああでも、このまま忙しくなりすぎたらあかん、仕事は受けつつうまくこなしながら、趣味と日記の時間をとってやっていこうと思っている状況です」

白石
「『覚醒』はキーワードにはなるかもしれないが、『僕がこの夏にやりたいこと』
みたいなことやないか。」

水島
「いや、仕事の話はおもしろない、ということやったやないですか。で、仕事をいったん離れて、全然違うベクトルで考えるというか、ほんまにやりたいことは何やろうなと考えてきたんですけど、でも結局仕事のことばかり考えてしまって。なんかそういうのはよくないなと思って、まあ、ムーンショットとまでは言わないですけど、ちょっと違うところに行ってみた、というところです。『覚醒』」

白石
「桜庭さんお願いします」

桜庭さん、満面の笑顔。
「なんかコメントするの、難しいな。水島さんが悩むのもわからんではないんですけれども、うーん、困りますね、コメント。
私も、自分のことはよくわかってないところもあるし、やりたいことが何なのか、わからないというのはなんとなくわかる部分もあります。人間ってそんなもんかな、って思うようになってきて、できることがあるんだったら、そのことで何らかの役に立てばいいのかなというふうには思っているので、水島さんのいいところをそのまま出していただければいいのにな、って、毎年聴きながら思うんですけれども、いつもこう、頑張って変化球を投げてたけど暴投、みたいな感じになっちゃってるのかな、すごくもったいないなと思いますね」

桜庭さんナイス! まったくそのとおり。敢えて変化球にいかなくても、水島さんのストレートは我々にとっては変化球並みに面白いんだから!

桜庭
「あの、菖蒲さんなんかが的確なコメントをできそうな気がするんですけれども」

「ナイスふりかたやなぁ」会場が爆笑に包まれます。

菖蒲
「コメント困るな(笑) 『覚醒』って短冊に書くことやないな、と思って聴いてました。覚醒があって次どうなる、ということが知りたいなと思いますね」

水島
「目を覚まそうかなと思いました」

白石
「覚醒に不可欠なのがキャンプと武道なのかというとちょっとちがいますよね」

水島
「不可欠というよりは、それを通して、何か気づくことがあるかなという感じ」

紺野
「ハーレーだけじゃなくて剣道もやってて、剣道的な発想してる
30歳の時から始めて、続けていると、ある時何かに到達するんですね。経営的に気づいてくることがあったなと思います。わからないなりに、やってきてよかったな、というのが自分にとっての剣道ですね」

水島
「このまま仕事だけやって一生終わるのは面白くないなと。仕事が大好きという感じではない、すごくやりたい、という感じでやってるわけではないというか。
このままいっていいんかな、という気持ちで今もやってますので、じゃ、仕事を見直す?となったらまたそれも仕事のことか、やっぱりそれを外したいな、ということで、ちょっとベクトルを変えたということ。ま、これがみんなにはまらなかったということですかね」

菖蒲
「何か核になるものがあって、水島さんの話を聞いてると、その周りをぐるぐる回っているような感じ。それでね、ふとよぎった言葉というのがね、あれですわ。『今野、そこに愛はあるんか』というあれです。大事なものは何なの?愛なの?核になるもの、求めているものは何なの?そこにたどり着かないとあかんのに、ぐるぐる回っているように聞こえてくるかな」

黄金
「『覚醒したい』ということ違うん? 何かを見つけたい、ということなのでは?」

水島
「ライフワークを見つけたいってことです」

黄金
「そんなん、覚醒とちゃうやん」

墨田
「水島さん、センスもあるし、いいとこってめちゃくちゃあると思う。
仕事の中に、絶対おもしろいことの本質はあるはずなんです。
お客さんに喜んでもらいたいとかそういう気持ちがあるから、ずっと続けてはるはずやし、そういうことにあんまり気づいてはらへんというか、軽んじてるというか。仕事が楽しい、ってことにあんまり気づいてはらへん感じがする。だから核じゃない、無駄なところを回ってる。最終的にはその無駄なところも大事で、全部つながっていってるんやけど、覚醒してない、何かに気づいたら、一気に…」

菖蒲
「今現在の位置上と、違うことをやることによって、気づくんじゃないかなと思って、いろんなことをおっしゃってるんじゃないかと思うんですけど、意外に、日記を書くという、先生がおっしゃりたい部分というのは、それこそ日常っていうか、自分で見ているつもりだけれども、見落としている自分自身のこととか、角度を変えてものの見方が変わっていくと、実は、宝は自分の中に埋もれているということに気づけよ、と先生はおっしゃりたいのかなという気がするんですよね。
外にあるんじゃなくてね、自分に内包されてて、気づくための手段として日記を書くちゅうことがあるんじゃないんですかね」

墨田さんと、菖蒲さんの発言がピンポンストライクゾーンに入ってきて心地よかったです。
心の中で相槌をうちまくります。水島さんに伝わったらいいなと思う。

黄金
「水島くんには、アーティストっぽい感じがあって。で、仕事でビジネスしなきゃならない、稼がなきゃならない、ってなったら、アーティストっぽい感覚から、仕事になってしまう。やりたいころ、これじゃないなあ、ってなるのかな」

水島
「アーティスト的なこと全然ないんですよ。どちらかというと、プログラマーとかそっちやったんで、淡々とやっていって、完成して、あ、動いた、やったー楽しい、みたいな、そっちのほうが大きかったんです。が、今やっているのはずっと、その前のディレクションというか、お客様と話をして、仕様を決めて、頼んで、チェックして、みたいな。チェックとか別にしたくないんやけどな、って思ってるんですけど、それが仕事になってるので。それをお客様に提出して、修正があったら修正して、そのやりとりをずっとやってる」

黄金
「それがおもろないからということ?」

水島
「もちろん、ちょっとした面白さはあるんですが、業務みたいになってるなというか…
自分でやってるはずなのに、やらされている感がある。起業して、俺やりたいことやってんねん、という感じではあまりないようなところが結構でてきたな。で、ちょっとこう、変えたいな、というのがありました」

このくだり、水島さんが一番流暢にお話されていたなと感じました。それまでは、なんとなく自信なさげにお話されてる印象でしたが、ここは明らかに違った。ここ、核心に近づく入り口付近なんじゃないかなと思いました。

蒼天先生
「まだ2、3年、壁は破れへんな」

白石
「水島さんは、追試ですか?」

蒼天先生
「はい、追試です。」

今年も、終始笑いの絶えない水島ライブです。

白石
「水島さん、アンテナが違う方向に立ってますわ。『やらされてる感』というのは、仕事を選り好みしてないから。やりたくない仕事が増えてるんやないかと思いますわ。
趣味を仕事に活かしたい、とおっしゃってるけど、今の仕事と、武道からは、見えてくる境地が全然違うものになると思う。
失礼な言い方かもしれません。水島さんの仕事には、感性というものは必要だと思いますが、研ぎ澄まされた感性は、必要なんかな?と思う」
水島
「研ぎ澄まされた感性、いらないかな」

白石
「結局、お客様からヒントをいただいた中の感性でお客様が納得するものを出せばいい。俺が作ったんやからええやろ、という商売じゃないですよね。ある程度の、独自の感性は必要だけれども、最終的には流される感性が必要だろうと思います」

水島
「そうですね。デザインはしないんで、どちらかというと、お客様の希望を取り入れることを重視する感じですね」

蒼天先生
「でもね、研ぎ澄まされた感性があれば、もっとよい提案ができるんと違う? 僕はね、君にはそれができると思う。提案する力を持ったらいいんや。前から言ってると思うけど」

緑山
「水島さんに、会社のドアに、会社のプレートを作ってくれとお願いしたんですよ。30㎝四方くらいのを希望して。そしたら、ドア一面にうちの会社のロゴを入れてくれはって、それが安くやってくださって、いまだにめちゃくちゃきれいで、うちのドアだけがめちゃかっこいいんですよ。お客さん来はったらね、おしゃれですね、ってみんな言うてくれはるんですわ。水島さんのセンスはね、実はすごいんですよ」

水島
「いやあれもね、僕だけじゃなくて、デザイナーと一緒にあれこれ考えて…」

緑山
「自分がデザインした言うとかはったらええねん」

水島
「いや、自分がデザイナーじゃないというところが引け目やったりして…」

銀河
「そこなんですよね。自己否定がすごいというか。
私、新しいオフィスにお邪魔させてもらったときに、ほんとにすごく素敵な空間だったんです。ほめてるんじゃなくて、感動を伝えているつもりだったんですけど、めちゃくちゃ否定される。それが、ご自分の魅力を見つけにくくしてるんじゃないかと」

緑山
「謙虚が行き過ぎて否定になってるような?」

水島
「ほめられ慣れてないというか」

銀河
「ほめてない。感想を言ってるだけ」

蒼天先生
「いつも事務局で頑張ってもらってるからね、来月は彼をほめる会にしましょか」

どこまでもポジに終わる水島ライブ、来月はアンコールから始まるようです…

長い3時間が終わりました。
今回は、自宅で議事録を作成している最中に、「書きとれていなかったこと」「解釈がおかしかったこと」多々気づきました。
録画を再生して、初めて見るシーンもたくさんありました。その場にいたのに、気づいてなかった。「全力で」取り組みましたが、「完璧に」は遠い。

議事録を書き始めてから3か月。まだ3回。でも、自分にとって、1回1回の例会が、「ものすごく印象深いできごと」になってきています。何度も録画を再生して、あちこちに自分の気持ちを書き散らすことで、例会をまるごと自分の中に取り込んでいっているような、そんな気がしています。
そして何より、読んでくださる皆さんにとって、「あの日の例会は、こんな例会だった。自分はこんな発言をした。こんな印象を持った」という記憶喚起の場となるよう、挑戦しているところです。

今月も、自由に泳がせていただき、感謝しております。
最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。

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