読むドラマ(議事録)

相手を知ることは、自分を知ること。
年齢も業種も異なる経営者たちが、月に一度つどう目的はただ一つ。
決して一人ではたどり着けない月面「本当の自分」に降り立つため。
これはそんな経営者たちのリアルなやり取りから生まれたドラマ(議事録)です。
(禁:無断転載)

 第153回 百年企業研究会内容(2021/12/09)

【開会の挨拶】

●蒼天先生
皆さんこんにちは。
右膝を痛めまして、今日は座ったままで。
ウォーキングしていて、帰りの下り坂でガクッときた。下り坂は膝に負担がかかって。
先月の議事録を読んで、話せていないところがたくさんあったので、今日は細かい資料を作ってきた。それは後ほど。
それから、一つ提案があります。最近、みんなの1分間スピーチが、長すぎる。

(一同笑)

1分間スピーチに時間を取られて、本来の内容に支障をきたしているので、時間厳守、今日から3分以内で、よろしくお願いしたい。

 

【3分以内トピックス】

●墨田
自分の話を、決められた時間の中に収めるというのも、一つのスキルかなと思うので、ちょっと意識していただきながらお願いします。


●藤崎
前回少し触れていた会社のリフォームが済み、まだ家具類はそろっていないが、やっと完成した。運送会社さんからは、ホテルみたい、と言われるような出来栄え。
低コストでやったので、自慢するほどでもないが、どこかでご案内できるときがあれば、したいと思う。
星を見ることが好きになった。うちは特に田舎の方なので、星がよく見える。さらに田舎の方に1時間くらい車を走らせると、鹿嶺(しかみね)高原という、非常に星がよく見えるところがあって、行ってみた。標高2000m、景色もよく、星もまあまあ綺麗。でもこんなものか、という感じだった。下界の明るさが邪魔をして、そこまで綺麗でもなかった。
が、会社から15分くらいのところに、真っ暗な場所があって、そこからは天の川もよく見えた。近所にこんないいところがあるんだと感動して、アマゾンで双眼鏡をポチッとした。もうちょっと星空を楽しもうと思っている今日この頃。
星を見る余裕が大事だな、と思って。以前、「時に海を見よ」*という文章を読んだことがあって。いつも通学している電車とは全く反対の方向に乗って、海を見に行くという、そのぐらいの余裕を持って経験しなさい、という余裕。それが大学生のよさ。
社会人になるとそういうことができなくなるので、「時に海を見よ」という文章を思い出して、星をずっと眺めているという余裕がほしいなと。
本当に心に余裕があるかどうかはわからないけれども。

*「時に海を見よ」卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。 | 立教新座中学校・高等学校 (rikkyo.ac.jp)


●黄金
最近、今までできなかったリアル開催の会議が増えてきた。スケジュールも以前みたいに詰まってきつつある。
そんな中で最近心掛けているのが、少し余裕を持って動くこと。かつてはスケジュールいっぱいになるのが落ち着くということだったが、今は、余裕を作るために、スケジュールを入れないとか、早いめにやる、ということを心がけている。
 それから、「俯瞰する」ということ。昔は車が渋滞していたら、イライラしていた。でも、俯瞰して、地球の上から道路を眺めたら、車が走っている距離なんて、たかが知れている。信号につかまったとしても、5分10分くらい。イライラしても、仕方ない。俯瞰しよう、高いところに登ろう、といつも思ってて。そうすると心も落ち着くし、余裕も出てくるし。
 おもしろいのは、そういう考え方をしていると、横断歩道で止まっている人がよく見える。
だからこちらも止まってあげると。急いでいるとそういうのは全く見えない。忙しいというのは心を亡くすと書くけど、目に見えるものが見えなくなってくるんということで。
今現在、ちょっと高いところに行こう、そして上から見よう、ということに取り組んでいる。時間もゆっくりすぎるし、いいかなと思う。

仕事は、「任せる」ということをつくづく思っている。自分は、体育会系の人間で、先輩や先生から怒られて生きてきたが、そのやり方は、今はダメだと。
しっかり話をする、伝えてあげる。やらせるのではなく、やろうと思ってもらえるように持っていく。
俺、昔そんな人間じゃなかったよな…と自分でも不思議に思う。
最後、締めね(笑)。 「頑張れ」という言葉があかんのやと。自分が「頑張る」という言葉は存在するけど、「頑張れ」はない、ということを最近すごく思った。


●墨田
この1ヶ月、特に大きく2つ。
ひとつは、緑山さんから、シーカヤックという、釣りをするためのカヤックを、いただくことにした。ボートに乗って海釣りなんてしたことないが、行こうと。それで鯛かハマチか釣れたら、先生の家に押しかけて、それを料理しようということになった。
日曜日に緑山さんのところに貰いに行って、軽バンのキャリアの上に載せて持って帰ってきた。非常に楽しみだなぁ、という話。
ふたつめは、アクアリウムと言って、水槽の中に水草を植えたり、熱帯魚を飼ったりして、ひとつの人工的な自然を作る、ということがずっと前から好きで。これは絶対にやりたいことだったので、ずっと研究している。
いろんなグッズを揃えていく中、流木が欲しくて、朽木の川のところに、家族を連れて取りに行った。思った通りのものはなかなかなかったけれども、家族にとっては、めったに外に連れて行ってくれない父親が、急にみんなを連れて流木を拾いにいくということが、衝撃的で(笑)、でも自然がとても楽しかったようで、すごく喜んでくれた、という他愛もない話。


●銀河
毎日歩いていると、色んな偶然と出会いが重なって、「歩クラブ」(歩くLOVE)というものができた。
LINEグループを作って、「今から歩きます」とLINEすると、そのとき一緒に行ける人がどこかで合流して、一緒に歩く。遠くに住んでいるメンバーは、「あ、歩いてるんだね」ということを知って、「じゃ、自分も歩こうかな」と刺激を受けて歩くこともある。
「歩いたよ」という事後報告や、「こんな景色だったよ」と写真を送ったりして、既読スルーが基本の、発信主体のグループLINE。
歩けるときはみんなで、ひとりで歩きたいときはひとりで、ほどよく、心地よい人との距離感を大切にできる、大人やさしく、大人ゆるい、ストレスフリーの活動を始めた。
(今は、InstagramやFacebookページも始めて、地味に広げて行こうとしております)

それから、菖蒲さん主催の、九十九伸一さんの展示会に行った。頭の中にはラグジュアリーという単語しか出てこなかった。菖蒲さんの世界観のひとつの一端を、見させていただいた。もし、この会で菖蒲さんと出会わなければ、知り得なかった世界だなと思った。とても良い刺激と感動だった。


●水島
猫を飼い始めた。めちゃくちゃかわいいですね。みんなが猫猫っていう気持ちがやっとわかったわと思いながら。
そもそもは、数ヶ月前から、家族で猫気になるなという話をしていて。最初は奥さんが熱かったけれど、なぜか次に僕が、猫を飼いたい!と影響されて。お互い気持ちが高まってきて、猫を見に行くことになった。奥さんは、エキゾチックショートヘアという種類の猫が飼いたかったけど、高額な猫よりも、保護猫のほうがいいんじゃないの? 放っておかれて死んでしまう命を救ってあげるほうが、いいんじゃないの? ということになって、家族3人で、保護猫の譲渡会に行った。そこで色んな猫を見て、白と黒の姉妹、2匹の猫を引き取ってきた。
それが先週の日曜日、今日で4日めだけれども、ガラッと猫中心の生活に変わってしまった。家の中が、一気に猫に。みんなでかわいいかわいいと。家族みんな、赤ちゃん言葉で猫に話しかけるという(笑)。
それが面白いなと思いながら、自分も猫と戯れていると時間を忘れるというか、癒されるので、とてもよい経験だなと思っている。ずっと飼っていくという責任はあるけれども。最初来た時は、2匹が身を寄せ合って不安そうにしていたけれども、だんだん慣れてきて、家の中を闊歩しだして、信用してくれている感じが嬉しいなと。もっと前から飼っておけばよかったな。


●緑山
この1ヶ月でめちゃくちゃ怒ったことが1回あって。もうひとつはめっちゃ嬉しかったことが1つあって。その2つをご紹介したい。
めちゃくちゃ怒ったことは、めちゃくちゃしょうもないこと、ゴミの出し方で腹立ったんですけど。
あるやつがゴミを大量に出した。うちのオフィスは、誰か気づいた人間が、ダンボールとかを束ねて捨てに行かないといけないんだけど、そいつひとりの出した段ボールが山盛りあって、僕が気付いて縛ろうと思ったけど、ひとりでできなくて、「これお前の分やろ? 手伝えよ」と言った。言い方悪かったんでしょうけど。
言われたやつは、「それやったら最初に言っといてください。ルール作っといてください」って言いよったから、「ルールなんてない、ルールよりマナーや。マナーよりモラルや」と。
これええ言葉やなと思って(笑)。めちゃくちゃ腹立ったのがそれです。

めちゃくちゃ嬉しかったのは、高校3年のときにダイエーの電化製品売り場でエアコンの販売のアルバイトをしたことがある。1週間ぐらいしかやってないんですけど、そこにラジカセがあって、BGMをかける。ずーっと繰り返し繰り返しかかる。44、5年前のことだけど、その音が頭に残っていて。日の出の歌とか、朝日が登るとか、そういうテーマのジャズだった。何の音楽やったかな、と。フレーズだけ頭の中にずっと残っていた。
ずーっと見つからなかったんですけど、2週間ほど前にYouTubeで探していたらそれ見つかった。それがなんとこのご時世に合う、
「世界は日の出を待っている」(World is waiting for the sunrise)
それを見つけてめちゃ嬉しかった。


●桜庭
2回欠席をさせていただいて、大変失礼いたしました。
観光庁の助成事業に取り組んでいる。助成金を頂いて、事業費として賄える、ありがたいもので、その事業が、全国の事業所の中でも良い計画だったということで、視察や発表会の引き受けをしなければならなくなり、日程が重なって、例会をお休みさせていただいた。
そういうことは、好きなことではないが、断れる雰囲気でもなく、助成金をいただけるのはありがたいことでもあるので、引き受けた。どちらも無事終了した。
この助成事業に取り組んでよくわかったこと。多くは観光協会とか、DMO(Destination Management/Marketing Organization = 観光地域づくり法人)と言われる観光協会の大きい版の組織、市町村の単位で計画を出されている。私たちのような「事業所」という、小さな組織が採択されたのが、すごく珍しかったということ。ほかの団体や市町村の発表を聞いていると、正直適当だなと思った。人のお金ってこうやって使われてしまうんだな、というのがよくわかった。
私は自分の中では勝負をかけてやっているつもりだったので、一生懸命させていただいて、結果としては発表も視察も評価が高かったので良かったなと思っている。
ただ来年以降も、事業的には、新しい変異株が出てきて厳しくなりそうな感じなので、ここから先どうやって乗り越えていこうかと考えつつ。世の中が動き出した時のためにしっかりと準備をしておきたいと思っている。


●蒼天先生
嬉しいことがあった。墨田さんが、うちにある昔の重厚長大なオーディオ機器を全部引き取ってくれるということで、めちゃくちゃ嬉しい。スピーカーだけでも、ひとりでは持てないほど重くて。捨てよう捨てようと思いながらも、もったいなくて、引き取ってもらえて本当に嬉しい。ありがとうございました。それがひとつ。
ふたつめは、銀河さんの話していた散歩の話。毎日45分くらいウォーキングしているが、いつも挨拶し合う二人連れのおばあちゃんがおられて、よく出会うのでだんだん親しくなった。で、少し話をしていたら、僕の中学校の同級生の奥さんだった。えー! こんな奇遇あるの⁈ という感じで。そんなことがあった。
それから、藤崎さんの星を見る話。僕も全然興味なかったけれども、たまたま嫁ハンが、無料アプリで、星を見ていた。ちょっと見せてもらっていたら、今ちょうど夕方6時頃見える空、金星と木星とその間にわずかに光ってる星がある。それが土星。見てびっくりしてね。
もっとええアプリ買おうと(笑)。 それだったら三脚を買って、3階のベランダから見るようにしよう、ということになって。びっくりした。星ってめちゃくちゃおもしろい。

 

【蒼天先生の発表】

前回お話させていただいた後、議事録を見て、がっくりした。お伝えしたかったことが全然伝わっていなかった。これはやばいと思って、半日かけてレジュメを作った。
今日はこれに沿って話をさせていただきたい。

僕の目標は、「10年後、達人になりたい」
前回、ものすごく感じたのは、みんながものすごく長時間労働だということ。これに非常に強いショックを受けた。
僕は今、18時前には仕事を終えて、ウォーキングに行く。時間割に沿って規則正しく毎日を過ごしていて、意外と長時間労働はしていない。墨田さんの、朝5時15分出社、というのがちょっとしたショックで、これはちゃんと言わないといけない、と思い、それも含めて、このレジュメを作った。

我々、このまま行ったら未来はない。いわゆる働き蜂で終わってしまう。
なぜ、未来はないのか。理由は5つ。
① 狂気じみた競争社会。
これは企業だけの話ではない。ちょっと前に膳所駅前に、小さな5,6階建ての塾のビルができた。それが遅くまで煌々と灯りがついていて、窓から見える。受験戦争ってすごいねと、改めて感じた。要は子供まで含めて、競争競争。特にこれから、たぶん中小企業はどんどんなくなる。とにかく過当競争。

② 報酬が少ない。長時間労働の割には少ない。

③ 東奔西走されている、単調な日々が続いている。
例えば周辺の主婦の方々を見ていると、単調な日々、表で愚痴をこぼしておられるのが聞こえてくる。中小企業経営者やサラリーマンも、あまり変わらない。

④ 格差、分断。

⑤ 慣れ。
これは墨田さん、黄金さん、藤崎さんのことを付け加えた。「慣れ」なんですよ。早朝から深夜まで会社で過ごす長時間労働で、仕事は楽しいから日々の生活満足です、と。
ちょっと待って、それは単なる「慣れ」なのでは? と。僕はそういう印象を受けた。現状維持思考、単なる自己満足。

この5つ、誰かが仕組んだ社会の枠組み、このまま行ったら、皆さんは、きっとこの先に幸せがあるに違いない、と思っておられるかもしれない。でも、僕自身が歩んできた道を振り返ってみると、幸せな人はほとんどいない。結局みんな、働き蜂で終わってしまう。それが現実。
その辺を自覚して、この際、これからの生き方、ビジネスのあり方を見直してみる必要があるんじゃないか。もう少し歳を重ねてから、「俺の人生は何だったのか?」という反省をしても、後の祭り。
僕の同世代で、自分の人生これで良かったと思っている人は少ないと思う。
皆さんは、今から未来のことを考えておかないといけないんじゃないか、ということ。自分の選んだ仕事を健気に取り組んでいる。その先に幸せがあると信じ頑張っている。しかし、このままずるずると働き続けても幸せはやってこない。このことをまず皆さんに最初にお伝えしたかった。

さらにこれから、いろんな問題が起こる。
温暖化による想定外の自然災害の増加。特に最近びっくりしたのは、温暖化で12月に大型台風が来たという話。昔、台風というのは9月ごろに来るものだった。それがこんな状態になっている。 それから、昔の風速は最高でも40mくらいだったが、今は60mとか65mとか、そんな台風が来ている。それ以外にも地震もある。
その辺も覚悟して、環境を理解しておかないといけないのではないか、ということがひとつ。

もうひとつは、長時間労働の問題。日本では長時間労働は美徳だった。日本人は、働き者で、高度経済成長期の古い労働観が、今も残っている。過労死も、今は問題になるが、当時は普通だった。みんなよく働き、収入が増え、忙しいけどよく遊んで、満たされた。
フランスなんかでは、確か夏に1ヶ月ほど休暇を取らせるという法律がある。向こうの労働観と我々の労働観は全然違う。
だからこの辺のことをこの際、見直す必要があるんじゃないか、頭を切り替える必要があるんじゃないかと皆さんにお伝えしておこうかな、ということ。
長時間労働がなぜ悪いか。プライベートも仕事も、全て仕事の発想に陥ってしまう、ということ。ここがポイント
高度経済成長期、僕らの1970年の頃は、まさに仕事の発想がプライベートの発想になっていた。仕事の勉強をしていたら、自分の人生も良くなる、そう思い込んでいた。仕事の勉強をしていたら、自分の成長につながっている、と思っていた。

それでいいのか? ということ。実を言えば、僕もこのことに気がついたのは比較的最近。
コロナ禍で注文がなくなって、家で悶々と色々思考し、勉強していた。そしてふと気づいた。「僕、仕事の勉強しかしてこなかったやんか」。
確かに仕事の勉強は、会社に入ってから、ずっとしてきた。勉強したのは仕事の勉強ばかり。そして、独立してからも、仕事の勉強ばっかりしてきた。
でも、仕事の勉強と人生の勉強はイコールか? とコロナ禍のこの時期に考え始めた。違うやろ、と。人生には人生の勉強があるはずだと。

気がついていたのは、もうちょっと前だが、日々忙しかったから、そこまで深く考える時間もなかったんで、そのままになっていた。仕事と人生は、分けて考えなくてはならないのではないかと。「仕事=人生」ではない。仕事は人生の一部である。
前にこの会でも、仕事か人生か、という話をしたと思います。意外と、仕事のほうが大事やとか、仕事も人生も大事やとか、そういう考え方の人がこの会でもおられた。1970年代の古い労働観が残っているということで、その時は言わなかったが、いずれ言わなくてはならないと思っていた。今回はいい機会だと思って。
とにかく、基本は「人生」です。人生の中で、仕事はほんの一部。人生という世界と仕事という世界は別のものだということ。その認識を、この際しておかなければならないんじゃないかと思う。
僕もかつてそうだったが、仕事の勉強ばかりしていると、あらゆる判断基準は、仕事を通した判断になる。ということは、仕事を通して世界を見るということになる。これは大海を見る機会がなくなるということ。「井の中の蛙大海を知らず」という状況になっていることに気づかない。そこに基本的な問題がある。人生の世界と仕事の世界は全く違うということ。
どこが違うのか? 
仕事には台本がある。人生には台本がない。人生は全て即興だ。何が起こるかわからない。人生は何が起こるかわからない。今日寝るまで、何が起こるかわからない。全て即興。全てその場で処理しなければならない。ここに人生と仕事の決定的な違いがある。それを皆さんにお伝えしたかった。
 僕の実感としては、理論的な根拠は何もないが、仕事の勉強に一生懸命取り組んでも、人生に及ぼす影響はせいぜい10~20%止まりだろうと感じている。いくら仕事の専門書を読んでも、人生に与えるインパクトはそのぐらいだろうと思う。

人生の学習と仕事の学習の決定的な違いは、仕事の場合は専門書も梯子もあるが、人生には何もない、ということ。
上った梯子の高さがキャリアであり、自分の能力。上がっていったら、自分の能力がわかる。ところが、人生や日常には、梯子も専門書もない。筋書きがあっても、筋書き通りには進まない、そういう中で生きていかなくてはならない。全て即興で、自分で判断して、意思決定していかなくてはならない。
その違いがある。当たり前のことだが、この際確認しておく必要があるんじゃないかなと。
問題は即興力をどのように高めるか。我々に与えられた大きな問題だと思う。

ビジネスに絡めると、昔は、物vs.物 の戦いだった。その時は専門書とキャリアで戦えた。ところが今は、人vs.人 の戦い。売り手と買い手の戦い。
人vs.人 の戦いは、売り手と買い手の利害、野心、野望、喜怒哀楽が渦巻く世界。なので、目先の利に走ると、痛い目にあう。
結局、最後に勝つのは、人と人との絆というか、菖蒲さん流に言えば愛。敵対するのではなく、相手を思いやる心が鍵を握る。勝つために必要なのは、専門知識だけじゃなく、絆を育む愛だということ。そこに即興力が問われる余地が生まれる。即興力を培うためには、人生の勉強をしなければならない。

右脳と左脳のこと。
左脳はどちらかというと、分析的、論理的で、言語力や計算機能が高い。
これまでビジネスにおける競争の構造は極めてシンプルで、飛んでくる弾は、常に一定方向だった。具体的には、お金の弾と、天変地異の弾、そのふたつさえ気にして備えておけば、何とかしのげた。つまり、左脳の働きがあれば、危機管理ができたということ。
ところが、この先飛んでくる弾は、コロナで社会で一変した。全方位360度の方向から、弾が飛んでくる。どこから、どんな弾が飛んでくるか、わからない。どこから弾が飛んできても、それをかいくぐる能力を身につける必要があるのではないか。だから、仕事の勉強だけ、左脳の力だけでは、生き延びることはできない。右脳、すなわち直感的、感覚的、総合判断力を成長させること、それが人生の勉強、この学習が人間の成長を促してくれることになる。

僕の勝手な考え方で恐縮だが、右脳を成長させることによって起こる、人間の成長について考えてみたい。人間の成長とは何ぞや。
僕のイメージでは、右脳は、「網目構造」の中で、網目を埋めながら成長している。新しい一歩を踏み出す方向は、360度。学習したら、上に行くかもしれないし、下になるかもしれないし、横になるかもしれないし、或いは斜めになるかもしれない。気分次第で、少し離れた網目を埋めることもある。こうして、網目が徐々に面になっていく。これが右脳の成長スタイルだと僕は思っている。
 面の広がるスピードが成長の速度、面の形がひとりひとりの個性。標準も平均もなく、ひとりひとり異なるのが当然。
 では、網目を埋めるにはどうすればよいか。
右脳の活動を活発にし、日々発生する喜怒哀楽に敏感になる。敏感になるためには、心に余裕が必要で、日々、心に響いた喜怒哀楽を都度記録する。日記に残す。感度のいい人は、1日に色んな喜怒哀楽を感じるかもしれないし、鈍い人は、同じ経験をしても、何も感じないかもしれない。
いずれにしても、心に響く喜怒哀楽を感じる能力を身につけることが、ひとつのポイント。日々の喜怒哀楽をどれだけ記録に残せるか、それを自分のものとして受け入れられるか、心のなかにとどめておけるか。喜怒哀楽の面をどれだけ広げられるか。それだけだと思う。
僕は今まで日記日記ということを言ってきた。過去の日記を読み返すと、喜怒哀楽はいっぱい出てくる。 10年前に感じていた喜怒哀楽と、今感じている喜怒哀楽とでは、内容が全然違う。当然と言えば当然。10年前はやっぱり鈍感。今はいろんなことを感じるようになっている。
喜怒哀楽の記録は、3ヶ月も立てば、感動の山ができる。生活の密度が高まってきたことを実感できる。感度のよい人間になる。今まで感じなかった新しい喜怒哀楽との出会いに気づく。
人間は、新しいものには目を向ける。新しいものとの出会いを毎日作ることが大事。「もの」「こと」「ひと」「自分」「目に見えないもの」、との出会い。毎日色んな出会いがあるはず。それを日々記録に残すということは、出会いを大切にして毎日を過ごすことになり、1年も経てば、人間変わってくるのではないか。
我々が考えなければいけないのは、こういう変化を通して、成長していく、そういう生き方がこれから必要になってくるのではないか。このように感じながら、日々そのような生活を出来るように心がけている。

人間というのは、一人ひとり違う。一人ひとり感じることも全て違うし、多面的。だからそういうものを記録に残すことによって、磨くことができる。自分の持ち味をどんどん伸ばすことができるんじゃないかと思う。日記の重要性は、そういうところにあるのではないか。
最近、日記を書くのが、1時間では足りない。外に出る機会は減っても、それでも1日過ごせば、感じること、書くことは山ほどある。ひとつ感じたことを足がかりにして、次のことを感じるということになっていくので。
そうすると、毎日がめちゃめちゃ楽しい。家に1日中とじこもっているので、新しい人との出会いはほとんどないけれども、新しい自分との出会い、目に見えないものとの出会いはいっぱいある。こういう出会いを日々作っていく。作っていけるかどうかは自分次第で、それを積み重ねていくことが、人生の勉強の一部だと思っている。専門書を読むことだけが人生の勉強ではないということ。
もともと、そのことの手掛かりを得たのは、天狼院書店の「ライティング・ゼミ」を受講したとき。天狼院書店の創業者の生きざまに注目した。彼は、我々とは全然違った道を歩んできたということを感じた。(天狼院書店は、本の販売のみならず、「READING LIFEの提供」、本の先にある体験までも提供する、というコンセプトの書店)
創業者の三浦さんは、本屋でのアルバイト→店長→無職、という経験を経て、自ら天狼院書店を立ち上げ、今では全国に10店舗+1スタジオを持つ会社として、発展し続けている会社。三浦さんは、誰にも教えてもらわずに起業し、きちんとビジネスの道筋を作った。ここに何かあるなと感じた。僕の生き方とは、また別の道があると気づいた。表現は適切でないかもしれないけれど 右脳の道だったと思う。マネジメントの専門知識がなくても、生きるという勉強をされてきたことで、きちんと起業し、会社を運営されている。不備もたくさんあるけれども、普通の書店とは全く違うものを提供し、たくさんのお客さんを得ている。これは右脳で作られた会社。あの時のライティング・ゼミの講師も、右脳の勉強で自分を成長させていた人ではなかったかとすごく感じた。
毎週提出する題材自由、2000字の文章の課題があった。最終回に、「僕は専門書を読んで梯子を登っていく生き方をしてきたけれども、他にもう1本道があることが分かった。その道を探ろうと思っている。その道は天狼院書店の社長の生きる道かも知れない」というようなことを書いたら、1番成績のいいところに掲載してもらった。

道はふたつある。人生の道と、仕事の道。
仕事の道は人生の中の一部である。やはり人生の道のほうが我々これから大切になってくる。 なぜ大切かと言うと、360度、どこから弾が飛んでくるかわからない。それをくぐり抜けるためには、やはり面の成長が必要であると考えるからである。梯子を上るだけだったら、突然梯子がなくなることもあるし、梯子に弾が当たったらそれで終わりになる。もちろん別の梯子に乗り換えることもあるけれど、その場合、また最初から登らなければならない。 梯子を上ることだけが全てではない、ということを皆さんにお伝えしたかった。

レジュメの1番最後のページ、「新しい喜怒哀楽の発見により、今まで見えていなかった自らの内面の細部 、日常の細部、 人間関係の細部、仕事の細部など、さまざまな細部の発見がある。今まで見えなかったものをどれだけ多く見ることができるか、どこまで深く見ることができるか、ここに人生の成否の分岐点がある」たぶん僕はそういう結論になるんじゃないかなと思っている。

そこで銀河さんが質問していた話。
「そういうことの気づきは何か本や師匠といった先生のようなものが存在するんでしょうか」
僕は反対。わかるまで自分で考える。ひとつのよりどころやヒントとして人と比べるということはあるかもしれないけれど。頼ってしまったらずっと頼りきりになる。自分で考えまくって答えが見えてきたらすごく嬉しいし、その時の喜びとか感動はものすごく大きいし、次に繋がる。結論を得るまで時間はかかるが、自分で考えまくるということでやっている。だからなかなか進まない。亀の歩み。それでも構わない。考えている間に、その周辺のことも考えていることになるから、すぐターゲットにたどり着かなくても、色んな別の考え方も出てくるし。
「非まじめのすすめ」の本で「アウフヘーベン」ということばが出てきた。「止揚」です。もっと噛み砕いて言うと、異次元のものが結びつくことではないかなと理解している。結合とか同化とか融合とか、二つ以上のものが結びつく形態がいっぱいある。こういうものが複雑に絡み合った時にアウフヘーベンになるんじゃないかなと思う。僕はそんな印象を受けた。
まあそんなことで、僕が言いたいのは、仕事の勉強だけではだめだ、ということ。この際もうちょっと幅を広げて考えましょう。それから、長時間労働はやめましょう。自分の時間にあてましょう。自分の人生の勉強のために当てましょう。それができないと脱皮はできませんよ、ということ。

 

ここで一息いれます。
藤崎さんから提供いただきました。
「時に海を見よ」 ちょっと長いですが掲載させて頂きます。昔を偲びながらお読みください。そして、今の自分を見つめ直してください。
藤崎さん、有難うございました。

*「時に海を見よ」卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。 |立教新座中学校・高等学校。立教新座中学・高等学校の渡辺憲司校長の話(卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ)から(抄)
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。大学だけが学ぶところではない。
 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
 「今日ひとりで海を見てきたよ」
 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。


●蒼天先生
水島さんの質問「達人とはなんぞや」なんですけれど
レジュメの1番最後に書いておいた。
 人間は、概ね、修行期、創造期、達人、巨匠と、4つのプロセスで成長していく。僕はまあ、せいぜい創造期だと思っている。
達人とは何か。僕の考える達人とは、「目に見えるものも、目に見えないものも一点の曇りもなく見ることができる人間」。 実際は、目に見えないものがすべて見えているということの確認はできない。しかし他の人が見えていないものが、こちらには見えているということは、ものすごく楽しいことだと思うから。
大方のことがこちらでは分かっている、そんな人間を目指していたら、どんな人生になるんだろうかと、ものすごく楽しいと思って。
今の年になったら巨匠は無理なので、達人に手が届くぐらい、できればこの手で掴みたいなと。これは僕の90歳の目標。やれるやれないは分からないけれども。
発表は以上。


【休憩】

●藤崎
銀河さんは、師匠だとか本だとか何か指針となるものが必要だと言ったけれど、先生は、「自分で考える」とおっしゃった。先生はいろんな情報だとか判断基準をもう持っているから、自分で考えられると思う。それがない人は、勉強しないとだめなんじゃないかと。

●蒼天先生
僕は、最近本読むとき、この本からこれだけを学ぼうと、これだけが知りたいからこの本を読もう、そういうつもりでページを開く。知りたいことのフィルターを通してその本を読むと、最初から最後まで、自分が知りたい情報が色々入ってくる。

●銀河
それは先生が既にそういうスタイルというか、価値観、土台ができているから……。

●蒼天先生
いやいや、1回それやってみて。絶対それ面白いと思う。書いてあることすべてを吸収しようと思わないで。

●銀河
とりあえず本に教えてもらって、書いてあることを全部吸収しようとしてしまう。しかも1回読んだだけでは分からない。2回も3回も読んで、ようやく何かを学ぶ感じ。
先生のように、主体的に「これを知りたい」という気持ちで本を読んでいない。

(絶対的な読書量が足りていない自分を感じます。かといってあれもこれも読む読解力もないので、なんだろう、これだ、と思った本をじっくりじっくり読んでしまうスタイルは、なかなか変えにくいと思っていることに気づきました)

●蒼天先生
僕は、線を引きながら本を読むが、7、8年前に読んだ少し難しい本を、最近また読み返してみると、線が引いてあるところが、全然今の自分にはどうでもよくて、同じ本でも、また新しいものを読んでいる感覚で読めた。そういうものではないかな。全部マスターしたつもりでも、忘れるんだから。自分がこれだけ知りたい、という気持ちで読む。1度試してみたらいいと思う。

●黄金
僕は先生のおっしゃることが少しわかる気がする。
最初から、答えを求めて本を読むんじゃなくて、考えるという行為に意義がある。考えるという癖をつけないと、人間がどんどん小さくなってしまうと思う。答えを出すことよりも、考えることに意味がある。

●蒼天先生
だから面白い部分だけ読んだらいいと思う。
仕事で本を読んでいた時は、1から10まで読むつもりで本を買ったわけよ。今は、1冊の本で、このうち一部でもいいから自分がめちゃくちゃ面白いと思う箇所がある、そういうつもりで本を買う。後は面白くない部分ばかりかというと、そうではなくて、それ以上に面白い部分が出てくる。

●黄金
先生に質問があって。
喜怒哀楽の喜と楽はプラスだからいいけど、怒と哀はマイナスだと思うので、どうコントロールしたらいいのでしょうか? 特に怒りについて。

●蒼天先生
今の質問、桜庭さんどう思う?

●桜庭
左脳的な答えって言われそうですけど。
渋沢栄一がなぜあれだけ大成したかという理由のひとつに、「怒りを我慢する」ということがあったという話を読んだことがある。渋沢栄一を訪ねていった客が、家の中で彼が喧嘩している声が聞こえたが、面会を許されていざ対面した時、さっきまでそんな喧嘩をしていたそぶりを全く見せなかった。渋沢栄一レベルになると、そういうことができるようになる。だからこそ、彼は大成した、と書かれていた。
私はずっとそれを覚えていて、怒りというものはコントロールできるものなのかと。怒りが人に与えるマイナスの影響は、非常に大きいので、我慢することができるようになるものなのかなあと。我慢できるようになれば、大成する人になるのかなといつも思っていた。
私の中の答えはそこ止まりなんですけど。
自分が寛容じゃないから、怒りが湧いてくるのであって、器の大きな人間で、そこまでのレベルになると、様々な人の感情が受け止められるようになって、日々ニコニコ笑ってられるようになるのかなというふうに私は受け止た。すみません答えにはなってないと思います。

●蒼天先生
いや、答えになっていると思う。
実を言えば、僕も、以前には、家で「瞬間湯沸かし器」と言われていた。
で、つい2週間か3週間くらい前にね、「この頃瞬間湯沸かし器じゃなくなったね」と言われた。そうか、自分で全然意識していなかったけれど、よく考えてみたら、最近怒ったことないな、と思って。なぜか? 怒ることがなくなったのかな、と考えてみたら、もちろん周辺の気配りとか、そういうものはあるかもしれないけど、さっきの話の続きになる。「喜」と「楽」のほうに、ずっと気持ちがあれば、後のふたつ「怒」と「哀」を忘れてしまう。鈍感になる、といったほうがいいのかもしれない。「喜」と「楽」のほうが面白いから、そちらにずっと気持ちが行っているから、「怒」と「哀」の方に気が回らなくなった。人間の器は限られているから、「喜」と「楽」の占めるスペースが大きくなってきたら、だんだん真ん中の二つが押し込められてくる。だから歳を取ることって面白いことだな、と。

●黄金
社員教育の中で、褒めて育てると以前から言われてきた。いいところ、利点凝視、昔から言われているが、これがなかなか難しかった。利点凝視しようと努力してきたけれども、なかなかできなかった。
それでも、僕も歳を重ねてきて、実はできてきた部分もあるかなと思っていて、いいところを見ていたら、怒ったりとか、悲しんだりすることが少なくなってきた感じがする。
人を育てるために利点凝視をしないといけないと思っていたことが、実は自分のためにもめちゃくちゃなっていたと、最近すごく思う。他人がこう、失敗したりすることあるじゃないですか。そういう社員に対して、どこか、いいところ、喜ぶとか、楽しいとかという感覚を持ち出すと、真ん中がちっちゃくなるというのが何となく感覚として、今先生がおっしゃったことが腑に落ちるなあと。

●蒼天先生
忘れてしまうというか。

(笑)

●黄金
「非まじめのすすめ」の本の中に結構、いっぱい答えがありましたよね。あれ30年くらい前の本ですよね。

●蒼天先生
あれは、よく考えたら古い話。
人を育てたい、リーダーシップを発揮したい、勉強したい、研修したい、と言う人がたくさんおられたと思う。そんなん、いりまへんやろ、って。
社員教育の注文ももらったけれどもね、社員教育する前に、自分(社長自身)を教育すべきなのでは? とよく言っていた。
要は自分さえ魅力的な人間になったら、社員は後から背中を見てついてくる。リーダーシップ研修なんて受ける必要は全然なくて、むしろ自分が魅力的な人間になればいいわけだから、すべて自分の方に責任があるわけだから、自分さえそういう人間になったら、すべて解決する。
だからやっぱり、僕が瞬間湯沸かし器だと言われてきたのは、僕は仕事の勉強ばっかりしてきたから、その弊害だった、というのはすごく感じる。だから、違う世界、知らない世界を見たときの気持ちのよさが分かれば、ぶわーと心が大きくなっていくというのか、青空がさらに大きくなってくるというか、綺麗になってくるというか。だから、すべて自分次第、自分にすべての答えがあるという。そういうことじゃないかな。
特に「網目」の話。そういうことかな、と思って。だんだんそういうことがよくわかるようになってきた。

●桜庭
人間の身体が完ぺきとは思わないかもしれませんが、今ある完成形がいちばんいい形でできているとすれば、右脳と左脳の役割って、それぞれ絶対あるはずで。だから両方必要だと思う。片方だけを成長させるとか、片方は使わなくていいとか、そういうものじゃなくて、両方バランスよく使うことによって、すべてのバランスが整う、調和するんだと、私は思っている。
だから、当然どっちかに偏りが、その人の特徴として出てくることはあったとしても、でも、でも私は両方平等に成長させることが大事かなと思う。だから、こういう身体のつくりになっている。
私の会っている方の中で、私の印象では、なんですけれども、右脳的な感覚が強い人の話はヘタクソ。どうやったら伝わるのか、っていうことを考えずに、自分の好きなようにしゃべるので、話し方が面白いとかそういうのはあったとしても、伝わりにくい。もったいないな、といつも思う。
左脳が強い人の話は、確かに面白みがないかも知れないが、でも話がうまい。やっぱりちゃんと考えたうえで、どうやったら話が伝わるのかなっていうことをきちんと構成しているので、感情的にしゃべるところと、論理的にしゃべるところを、すごくバランスよくつめることができる。
先生のお話をお聴きしていると、やっぱり先生に、左のベースがあるから、右がすごく引き立つんだと思う。

●蒼天先生
いや、そうじゃなくてね、僕、左がね、発達しすぎていたから、今、右を意識して、取り戻している。バランスをよくしようと思って、一生懸命やっている。

●桜庭
だから、バランスだと思う。で、それをたぶん、右が大事、と書かれているのは、ご自身へのリマインダーかなと思っている。我々の中ではたぶん銀河さんがすごく右が豊かだと思う。だから話が下手とはとっても思わないんですけど。

(一同笑)

右と左、どちらかに偏ったときに、やっぱり身体の構造と一緒で、何かしら心のバランスも崩れてきたり、もしくは、自分ではわからないが、出会った人に対しての言葉のかけ方や、感情のあらわれなどに、ちょっと偏りが出てくるのかもしれないな、と思う。
今の話から学ばせていただくとしたら、自分が左右どちらにベースがあるのかということを意識したうえで、整えていくようにする、ということが大事かなと思う。
先生は、私がすごく左が強いから、もう少し、右の表現を豊かにできるようにしたほうがいいですよ、ということをさんざんお声がけいただいていた。そうだなと思うけれども、それは、例えば人に対する声のかけ方や、言葉の選び方とか、そういうものにあらわれるのかな、と思う。その配慮が足りないから、もう少し右の部分を成長させよう、とおっしゃっていただいていたのかなと思う。
その意味では、右が、ってすごく強調されているけれども、いや、左も大事、って私の中では、ちょっと思った。というのが、質問というより、印象。

●蒼天先生
左の方は、理路整然と話せるから、話し上手に決まっている。で、右の方は、どちらかというと、面的に広がっていくから、あまりにも話の面が多いから、何から話したらいいか、わからない。
どうしても、うまく話できない。この2年ほど、講演をしていないから、最近話がヘタクソになった。研究会でも、講演でも、最初の頃は、とにかく理路整然としゃべりまくっていたし、戦略ゼミでも、ぶわーっとしゃべっていたと思う。
左の場合は、リズム感をもって、次々と言葉が出てくる。考える前に言葉が出てくる感じ。今は、なんか、色んな言葉が出て来て、これも、あれも、としゃべっているから、結局うまいことしゃべれない。今日もそうだけれども。

まあ、いずれにしても、バランスが大事。ただ、タイプによってね、バランスって簡単にできひん。ひとつの世界しか見ていないっていうのは、どうしてもかたよってくる。
僕は、別に話ヘタクソでもいいじゃないか、と、ぶわーっと広がるような世界をイメージしながら、話してた方が楽しいやないかとね、そんなことも今日思ったりしてね。
だから、自分の自由時間を持つということは、何物にも代えがたい経験だったと実感した。

●緑山
今日、私の日ではないですね。

(一同大爆笑)

前回の議事録を読み返して、藤崎さんが16時間半、墨田さん15時間45分、仕事時間。
で、蒼天先生は、日記を書くのが日課として、1時間でも2時間でも足りない。
私からみると、一緒じゃないの? と思ってしまう。
先生は、書くことによって、成果が上がるとか、何かがわかってくるとかおっしゃる。藤崎さんも墨田さんも、長時間働いていて、楽しいっておっしゃってたじゃないですか。で、藤崎さんは、朝の何時間かは、自分の時間や、とおっしゃっている。
先生のレジュメも何回か読んできて、今日聞いて、全然理解できなくて、だから私の日じゃない、っていうのがあるんですけれど……。
先生の幸せって何なのだろうか、人間の精度が上がるから、即興力、それが人生の役に立つとか、というのが、私正直さっぱりわからないんです。
私がわかりやすいのは、墨田さんや、藤崎さんが、16時間働いておられるのは、どちらかというと、自分のためではなく、家族のため、社員が幸せになるため、社員の家族が幸せになるためには、社長なんだから、やるしかないだろう、という部分が強いのではないか、と思った。どっちが正しいとかそういうことじゃなくて、おふたりをすごく尊敬するし、対比的なんですけど。
あおり運転でね、大阪のタクシー運転手が逮捕された、とニュースで見た。17歳の女子高生が出て来て、危うくひきそうになったから、クラクション鳴らして200m追いかけて、前にまわって止まって、女子高生と、60何歳のじいさんが口論になった。で、警察よばれて、タクシー運転手が逮捕されて、仕事奪われて、名前までニュースでもやられていた。僕は、女子高生が悪いと思う。どっちが悪いって皆さん思います? 僕は、あおり運転は悪いけれど、あおられ運転する方も悪いんじゃないの? と思う。
で、今の蒼天先生のおっしゃることもめちゃくちゃよくわかるし、私日記書くのはめちゃめちゃ苦手なんで、昔から書いたこともないし、1ヶ月半ほど言われて書いたことがあるんやけれども、ぜんぜん行が増えずに諦めたけれど、なんというか、うまく言えないが、今日のレジュメの一番下のちらっとメモったのが、「先生は90歳実現を目指している」というところの下に、「ゴールはどこにある」って書いた。
目に見えないものを、1点の曇りもなく見ることができる人間が達人である、とおっしゃる、それができるようになったら、ビジネスも成功されるのと違うかなと。

●蒼天先生
いや、ゴールはない。ゴールがあったら面白くない。ゴールは、自分で作ったらだめ。面白くない。

●緑山
もちろん、社長業されていて、どこかに到達されたら、次の新しいゴールが見えてくるだろう。で、16時間で足りなかったら、18時間、19時間働かれるのではないか、と思う。逆に、どこかまで到達したら、今度はもっと、社会に貢献するために、人に任せて自分は社会貢献に走るとか、ボランティアなのか、寄付なのかわからないけれど、それも、間違ったことではないのでは? と思う。

●藤崎
今私が「16時間働いている」という話があった。私は基本的に、仕事を通して、自分を成長させようとしている。だから、私のために仕事をしている。
「私のために働いている」とはどういうことか。儲けようとか、そういう下心はどこかにあるんだろう、とは思うけれども、その中で、ひとつの目指すところ、目指す夢がある。生まれたからには、名を残したいとか、死ぬときには、自分の思うところの立派な人間でありたいとか、薄っぺらな希望、みたいなものを持っている。そういう夢を目指すために、一緒にやってくれる仲間、家族、関係する人はものすごく大切。そして、そういう大切な人たちの中で、自分は人として、成長する、仕事を通して成長させるんだ、ということが、僕の中にある。そのすべての時間が「16時間」という話になる。自分の勝手な思いなのかもしれないが。
人としての常識を持っていること。原理原則を知っていること。そういうのはもう、大前提で、そのうえで、もっともっと、自分で考えて考えて、人のコピーや受け売りではない何かを導きだせ、何かをつかみ取れ、と、先生はおっしゃりたいのかな、と考えながら聴いていた。
で、僕にはそういう部分が全くなくて、人間的にも薄っぺらい感じしかしないんで、先生のおっしゃる部分を自分に求めたい、というのは、確かにある。
さっきの桜庭さんのお話でいうところの「右脳と左脳のバランス」、当然大事だと思うけれど、僕は一体、どっちがどうなっているのか、全然わからない。
そういうことがもやもやとしているのは確かだけれど、やっぱり、人として当然の部分と、もうひとつ何か、があるんだろうな、ということは強く感じた。


●蒼天先生
さっき描いた絵なんですが。
「『人生』という枠のなかに、その一部として『仕事』が存在する」という図です。
『仕事』だけを優先していると、『人生』そのものがおろそかになってしまう。
だから、『人生』をベースにして、『仕事』を考えると、それがビジネスになる。もっと面白くなりますな。

●藤崎
僕はそう思っていますし、たぶんそういうことを言おうとしているんだろうと思います。
腹落ちしてないですけど、言われていることはなんとなく理解できます。

●蒼天先生
それぞれ、考え方も生き方も違うから、だから、僕はこれでいいんです、僕はこれを中心に考えていきますよ、という発想、信念で、私は行きます。というんだったら、僕はそれでいいと思う。

●藤崎
僕にはやっぱり自分に足りない部分があるので、そこがそういう部分だろうと。

●蒼天先生
だからね、1日24時間のうち、16時間も働いたら、結局、『仕事』の部分しか見る時間がないのではないか?

●藤崎
『仕事』の内容っていうのは、『仕事』のことだけではないんですよね。
その、『仕事』を通して自分を成長させてる、ってところになるんで、『仕事』のことしか考えていないというわけではない。

●蒼天先生
一般論として、ですが。
ドラッカーの発想では、すべて『仕事』がベース。だから、その部分は大きくなるけれども、『人生』を超えることはないから、限界がある。コヴィの「7つの習慣」を読んだときに、ドラッカーの限界を感じた。コヴィさんは、『人生』がベースだから。

●藤崎
「7つの習慣」も、私は仕事を通しての「7つの習慣」なんです。
仕事を通して、そこでの人間関係、リーダーシップ、そういうものを自分で学んでいく場が、その仕事っていう環境の中だった。ということなんです。
先生がおっしゃるのは、その学びを、家庭だとか、仕事以外の自分の人間関係の中とか、いろんな広い意味の中で、導き出せ、ということかな、とは思うけれども。

●蒼天先生
「『人生』という円の中に『仕事』はその一部として存在する」と書いたが、『人生』ということに、語弊があるのかもしれない。
『人生』を『社会』もしくは『社会の中の自分』と考えたらどうですか?

●藤崎
かも知れないですね。

●桜庭
その方が納得いきます。
昨日、ツアーのため、という目的もありつつ、大学の先生と一緒に、地域の魅力を深堀するということで、フィールドワークに参加していた。滋賀県は、どの地域も非常に面白くて、私たちは、湖西のほうでやっている。
どこの地域でも、昔からの習慣、風習が、どんどん奪われようとしている。コミュニティも崩壊しようとしている。そのコミュニティは、昔は、土着でそこに住んでいた人たちの集まりだったけれども、今は、色んな人が出たり入ったりしている。そういう人が来たとしても、何らかの新しいコミュニティを作って、きちんと継承していくシステムができると、やっぱりそこが豊かさの部分に繋がるよね、という話をしていて、非常に共感した。
私は、自分の仕事は、そのコミュニティをしっかりとしたものにすることで、それにはお金が必要だから、外から人を呼んできて、そのコミュニティの中でお金を回していく、という、その地域の経済の循環を、自分の仕事にしたいと思ってやってきた。
私の仕事は、自分の人生と、自分の住んでいる地域の問題なので、人生と仕事は直結しているから、だから仕事と人生は分けられない、と思っていて、いつも何か反発していた。
でも、今おっしゃったように、「人生」の円を「社会」に置き換えてくださって、すごく納得して、腑に落ちた。
自分の大事な地域を守るための仕事であり、そこに自分の家族も入っているし、自分の所属するコミュニティを豊かにするということを仕事にしたいし、だから人生と仕事を分けることはできない、とずっと思っていたので。
たぶん、墨田さんや銀河さんの仕事は、ちょっと近いかもしれない。ご自分の仕事を通して、そのコミュニティを、美しくするだとか、美味しくするだとか、水島さんのはちょっとまた広いのかもしれないけど、そういうことかな、というふうに、ちょっと思っていて。
だから、人生と仕事、っていうふうになんか分けられない、っていうか。どっちも、同じ同心円の中で、大事にしていくし、それだけの比重じゃなくて、それが大きくなれば、その社会の、ベースも、大きくなる。
さっきおっしゃっていた、器の話、感情の話も同じような気がして、人間の器が大きくなれば、必然的にそのマイナスの感情も薄れる。小さい器だったら、どれだけ楽しい方の感情のボリュームを大きくしたとしても、やっぱり、ある程度のベースで残っていて、それは自分のなかで、消化できない部分かもしれない。器さえ大きくしておけば、いいものもたくさん入ってくるし、悪いものも共存できる、そういうことかな、何となく私はそういうふうに受け止めた。

●蒼天先生
さっきの話、同じ器の中だったら、喜怒哀楽の問題やね。器がだんだん大きくなっていって、真ん中の二つ、怒と哀は、圧倒的に一番上と最後、喜と楽が大きくなるから、比率が全然変わる。怒と哀は、無視されてしまう、といったほうがいいかもしれない。
基本的に、器は大きくしようと努力していくわけだから、どこで喜と楽を大きくしていったら、怒と哀は、なくなるから、人生も楽しく、面白くなる。そしてそうなると、ゴールはどうなるのか、全然わからない。なりゆき。
僕は計画もたてないし、不必要だし、目標もいらない。もちろん経営計画なんかは、絶対にいらない。そういうことだと思う。計画を立てたら、自分で枠を作っているということだから。

●桜庭
私は今日は、すごくよかったです。ありがとうございます。緑山さんはもしかしたら違うかもしれませんが。

●蒼天先生
緑山さんはわかっておられる。意地をはってるだけ。

●墨田
僕は僕で、1番最初の段階で、僕のことだな、という感じで言っていただいて、そうだよな、と思いながら聞いていて、そこからもう、記憶がないくらい……。

(一同爆笑)

最後の方、皆さんの解釈、解説をお聞きしていると、納得するところがあるし、自分の中でも、長時間労働を嫌だと思っていないし、そこへのある程度の納得もある。でもやっぱり、自分自身のこと、自分のことをもっと深くきちんと記録していく時間は、確かに取っていないから、もったいないし、感情の部分があまり成長していない、とも思うので、改めてそういう時間は大切だな、と思った。
先生にひとつ質問させてもらうとしたら、現状で満足なのか、一念発起するか、というお話の中で、私は現状で満足しているわけではないけれども、一念発起して何か全然違う何かをやる、というのは、いったいどういうことなんだろう、と思う。正解を教えてください、という意味ではなくて、それってどういったことなんでしょうか、という

●蒼天先生
気をつけないといけないことは、「慣れ」の問題だと思う。現状維持思考というか、それを充分気を付けて、やる、どうしても人間は、放っておいたら現状維持思考になってしまう。特に忙しくしていたら、安心の方にいってしまうから。
慣れてしまったら、そこで安住してしまうことになるから、そこでずっと安住してしまったら、取り返しのつかないことになるから、やっぱりそこはちょっとね、僕は気になった。というか。

●墨田
現状維持したい、という思考はないけれども、結果として、そう感じられたり、自分でも思ったほど目新しいことはできていないし、どんどん進んでいるかというとそうでもなくって、足踏みしてしまっているところもある、と思うと、そうだな、と納得します。
時間の使い方、難しいですね。

●藤崎
でも、満足はしてる、っていうこと?

●墨田
充実はしてます。

●銀河
一日中OFFの日って、ないんですか?

●墨田
月に1回、あるかないかですね。流木拾いに行った日がOFFでした。

●藤崎
OFFにしたいと思わないでしょ、別に。僕は全く思ってない。そういう時間が欲しいと思ったことがない。

●銀河
OFFがないと、生き返る時間がないとやっていけないというか。

●墨田
前にぼく、散歩やっていた時間あったじゃないですか。その時は、たった1時間ちょっとでしたが、OFFでした、今度はちゃんとアクアリウムでちゃんと水槽を置いて、それで、絶対OFFしようと思っています。

●蒼天先生
特に藤崎さんはそうだけれども、仕事しながらOFFしたはるんや。

●銀河
あ、そういうこと?

●藤崎
そうそう。あんまりだから、気にならない。嫌だと思ったことはない。

●銀河
なるほど。

●蒼天先生
頭をOFFしながら、仕事してる、っていうこと。

●藤崎
休まなきゃいけない、と思ったことがない。というか、たぶんなんか、普段あんまり仕事してないのかも。休みが必要、という気がしないわけ。
銀河さんは、完全OFFしないと、精神的に疲れちゃうんだよね。

●銀河
そうですね。肉体労働ですからね。働いている4日間の16時間は、ずっと立ってる。

●藤崎
だから全然違うんだ。だってオレずっと座ってるからさ、とことこ歩いているか、そんなもんだからね。

●黄金
僕ら、結局24時間365日社長やしね。ずっと。だからONといえばずっとONやね。
そんなかで、どういう風に考えてやるか、ということだけやもん。

●藤崎
だから、その中で、自分で考える時間というか、本当に、先生にもったいないと言われる時間、そこをいかにとれるか、ということなんだろうなと思う。

●墨田
年内最後ですね。よいお年を。

作成者のつぶやき
自分には論理的思考がほぼなく、あわよくば右脳だけで世の中を渡って行こうとする傾向にある。だから、右脳部分が本能的に「それってヤバくない?」と感じるからこそ、「議事録をやります」と手を挙げることになり、議事録をやらせていただくことによって、何とかメンバーの皆さんの論理的かつキレる発言を何度も音声で再生することによって、自分の力にしようとしているのかもしれないと思いました。
後付けの論理的思考は、成長するのかしら? それはわからないけれども。

「しゃべるよりも書く方が好き」ということにも、何となく納得しました。
たわいもないおしゃべりは大好きだけど、誰かのことばに反応して、きちんと発言することは、昔から苦手、というか、自分が本心で思っていることが、言葉にならない、ということは自覚があって、これはだいぶ訓練をしたつもりですが、それでも「書く」方が、だいぶ楽しくできる。
誰かに読んでいただく前に、読み返すこと、確認することができるし、どんな原稿も、一発目に書いたものは、必ずボツになります。

そんなこと、そんな自分を横目で見ながら、自分の感受性を鍛える、という好きな分野を伸ばしていきたいと思います。私は、「調整能力」と「やさしさ」があれば、どんなに偏った人間でも、よい人間関係をつくることができ、そして社会と折り合ってよい仕事ができる、と信じています。

「海を見る自由時間」を毎日持っているか。
まさに日記を書く時間は「海を見る自由時間」そのものなのだと実感しました。

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