読むドラマ(議事録)

相手を知ることは、自分を知ること。
年齢も業種も異なる経営者たちが、月に一度つどう目的はただ一つ。
決して一人ではたどり着けない月面「本当の自分」に降り立つため。
これはそんな経営者たちのリアルなやり取りから生まれたドラマ(議事録)です。
(禁:無断転載)

 第159回 百年企業研究会内容(2022/06/09)

【次第】

テーマ:各自の発表をもとに「所信表明から見えてきた5年先」についての議論
14:00~14:05 開会・挨拶
14:05~14:35 3分以内トピックス(近況や1ヶ月の中で印象的な出来事など)
14;35~15:50 菖蒲さん発表
15:50~16:00 休憩
16;00~16:55 講評・議論
16:55~17:00 事務局からの連絡・閉会

 

【開会あいさつ】

●蒼天先生 
第159回例会を始めさせて頂きます。今日は欠席が多いです。まず銀河さんが介護で、今日は二人の方を病院に連れて行っていくということで欠席です。それから黄金さんは会合に出るということで欠席です。藤崎さんは会社のエースが怪我したらしく欠席です。白石さんはその後は特に連絡はありませんが欠席です。
今日は菖蒲さんと僕の所信表明から見た五年先ということでやらせていただきます 。菖蒲さんはプロジェクターを使ってやっていただくということで、ほとんどこれに時間が割かれるのではないかと思います。数は少ないですが発言の時間は増えますので、どうぞ皆さん、その分発言してください。では3分間トピックスに移ります 。緑山さんからお願いします。

 

【3分間トピックス】

●緑山
こんにちは。リアルがいいなと思うのですが、出席率が下がると寂しいですね。
変わったことといえば、私の車は15万キロぐらい走っているんですが、先日の日曜日、京都から湖西道路に帰る時に雄琴インターの手前でバッテリーのランプが付きました。次はエアバックが開かないというランプが付きました。ボコボコといっぱいランプが付きだして、あれよあれよという間にドラレコの電源が落ち、勝手に ワイパーが動き出して、路側帯に停まったらエンジンがかからなくなりました。ドイツの車ですが、15万 km で動かなくなるなんて。代車は日本の車ですがめちゃくちゃ快適で、もう一生ドイツの車には乗らないと思いました。ただドイツの車はドアが重いのですが、日本の車はドアが軽く薄くてペラペラでちょっと安全感が分かりませんが、、、次は日本車に乗りたいと思います。

●墨田
私はついこの間、会社に警察が訪れ、何かと思ったら「昨晩近くでひき逃げ事故がありまして、この近辺を聞き取りしています。墨田工務店さんの前を通ったら防犯カメラが付いているから、もしかしたらデータが映っているかもしれないので是非見せて欲しい」と言われて、上がってデータを見せて、そのデータを最終的には持って帰ってもらいました。会社をリフォームして役に立てて良かったと思いました。

●桜庭
私は父の四十九日があって静岡に帰りました。それを経験して初めて人の誕生からお終いまで見ることになり、そういうことを知った上で初めて人生の喜びや悲しみが分かるようになってきたような気がします。今まできちんと分かっていなかった。 父や母が亡くなると、次は遅かれ早かれ自分の番になる。自分がこういうゴールに向かっているんだ、それに向かってどう生きて行くんだろう、と改めて考えさせられた。 周りの人たちはそういうことも経験されて、その上で日々を過ごしているんだな、と。これから、例えばお客さんが来た時に、自分の身内が亡くなった話をされたら、もう少し自分がその人の立場に立って対応してあげることができるようになるのかな、と思いました。昔勤めていた職場の先生が、一通り当たり前のことを経験することが大事だ、とおっしゃっていましたが、その意味が分かりました。

●菖蒲
(お母様のスライドを見せながら)これは最近の写真です。母はもうすぐ91になります。(すごく若くてきれいと歓声があがる)この前に写真を撮った時は、母の日ぐらいです。弟の嫁が眼鏡を作ってくれたんですが、この写真のものが遠近両用でとても似合っていて。服は私が色を指定したのですが、徳島の弟夫婦が送ってくれました。もう一つ、今の施設は対面がガラス越しで、直接会うことができないから、 施設の人に頼み込んで髪を切りに連れて行きました。後はお化粧道具を一揃えて、ケースも買って母にプレゼントしました。母は自分でちゃんと化粧をするんですよ。それは(認知症であっても)覚えてる。それで写真に撮ったらやっぱり嬉しいんですね。笑顔がとても良いんです。女の人は死ぬまで美しくすること、綺麗にしていたいという本能が働くんですね。施設によってはその辺が適当なところって多いんですね。生きていく最低限の事しかしないところが多いんです。私は、間接的であっても、母を身綺麗にすることに努めていきたいと思いました。お化粧は効果がある。鏡を見るというのはいいことなんですね。特に女性はそれが身に付いていますので。
今はクラスターが発生していますので直に接することはできない。 でも出来る限りそういう刺激を与えていきたいと思いました。
私は母には年寄り臭い色は着せないようにしてるんです。いつも10歳以上若いと言われています。若いと褒められていて、ありがたいと思います。色に気をつけてあげるだけで全然雰囲気が変わりますよ、男性も女性も 。

●水島 
最近歩いていまして、1日30分くらい歩くようにしています。あまりにも健康面に気を使わなさすぎて、腰が痛いのもあり歩き始めたのですが、最近は1時間ぐらい歩くようにしています。
それと、先日墨田工務店さんに行きまして、打ち合わせをしたんですが、すごいですよ!
一つ一つ案内していただいたんですが、全く前に進まないんです。こだわりがいっぱいありすぎて。一つ一つのこだわりを聞いていると3時間ぐらいかかりそうで、見ているだけでも面白いです。それが形になって見えるというのが素晴らしいなと思いました。というわけで来月ぐらいは墨田工務店さんで定例会をしたらどうかなと思いました。来月をお楽しみに。面白いこだわりが随所にあるので、是非皆さんも説明付きで聞いていただけたらと思います。

●蒼天先生 
来月のテーマは墨田工務店の現状と課題にしたらどうかなと。南草津で集合してそのままタクシーで行ったらどうでしょうか? 僕が使っていたアンプとスピーカーもあるそうです。 高度成長時代の重厚長大なものです。ボーナスをもらうごとに1グレード上げて、だいぶ上の方まで行って、近所に迷惑をかけるようなデカい音でかけて怒られましたが、それがまた聞けるというのがとても楽しみです。

●桜庭 
何かお客様の反応とかはありましたか?

●墨田 
お客さんの反応はありました。ニュースレターに書いているのですが、例えばアクアリウムについては、すぐそれを見て LINE をくれたお客さんがあります。「見たすぎるからダンナと一緒に行きます」というお客さんがいました。社屋そのものも新しくなったので今までもその看板があったのに「草津のかかりつけ工務店と書いてあるので、こんなことで見てもらえますか?」と言ってきはった方があったりとか。綺麗になると見え方が変わるのか、お問い合わせもありました。

●蒼天先生 
フジコー通信のトップには私の家を掲載しておりました。2重窓にしたのですがトップページに載せて頂きました。びっくりしました。
前回、僕が短冊の時に発表したことを読み直していたのですが、ちょっと気が変わりまして、発表が終わって10年後のことを一人ずつ考えていたのですが、それを5年先に短縮します。というのは、よく考えてみたらこれからの日本はどうなるのか、個人的に心配になってきました。おそらく5年経ったら中小企業の数が半分以下になるのじゃないのかな、、そんな気がしています。 コロナにしても、それから中小企業の色々な施策にしても、もう国にはお金がない。もうこれ以上国債も発行できないだろうし、日本でもデフォルトが起こるのかもしれない。
戦後の日本のことを申し上げますと、僕が幼稚園に行く前、5歳ぐらいの時かな、お袋が仕事に行ってたので小遣いをもらっていたんです。その時1日の小遣いは5銭でした。靖国神社の絵が入った紙幣でした。小学校に入ったらそれが10円になったんです。どちらも戦後です。戦後はめちゃくちゃ貨幣価値が下がりました。日本経済、暮らしがとても大変でした。そういうことも思い出して、これから日本はどうなるのかなと思っています。
ちょっと個人的に色々と考えていました。

それでは早速ですが、菖蒲さん、せっかくプロジェクターも設置しましたので非常に楽しみにしております。菖蒲さんの所信表明からみた5年先ということで、自由に発表していただけたらと思います。

 

【菖蒲さん 発表】

●菖蒲さん
今年の短冊を改めて言いますと、「環境がゆりかごになる街を創造する」としました。
それからわずか何ヶ月しか経っていないんですが、小出しに自分のやってきたことを皆さんにお伝えすることができてきたんで、扉の菖蒲と、扉から続く菖蒲のイメージっていうのがなんとなく前より厚くなったかなと。
厚くっていうのは、人間性の厚みというんじゃなくて、情報の厚みという意味です。
5年後っていうと、70歳一歩手前の年齢になります。
あんまり実年齢っていうのを本当に意識することなく生きてきたんですけれども、ほんまに体力面での「あっ」ていうこと、いわゆる老化ですね、肉体的に変化しているっていうのは立ち上がる時とか、最近ちょっと感じております。
そういう変化がある中で、自分自身もまあ皆さんが普通に思うようにグルコサミンを飲もうか、みたいなレベルの話から、体力をつけるために何かしようとか、いろんなことが思い浮かぶわけですけれど。

私、最近ですね、非常に嬉しい縁がありまして。
実を言うと、今月から忙しいにも関わらず、ボイストレーナーと言うかボーカルレッスンでジャズを習うということになりましてですね、先生についてやることになりました。
もう一つ、Facebook であれInstagram であれ、あるものに目が留まって。
「BACK STREET SAMBERS 三婆ズ」という、3人組の平均年齢70ぐらいのダンサー、ヒップホップのおばさんたちがこの頃メディアを賑わしとるらしいんですけど。

(参考)
https://www.oricon.co.jp/special/58926/

結構早めに目に留まりましてね。
あ、私本当は歌って踊ることが好きだったということを思い出しまして。
前にこの会に参加している時に、私はもうこの十何年、封印するように音っていうものに対して、自分が散々聴いてきたあらゆるジャンルの音楽もシャットアウトしてしまって、歌うということに対してときめきを感じてなかったし、音楽を聴くことすら煩わしかったんです。
蒼天先生に言われたんだと思うんですけど、自分の好きな音楽を聴いて楽しめないというのは精神状態が良くないんじゃないかと。
その時ハッとしましてね。
あれ?私なんで音が聞けないんだろう、全部それが煩わしくて静寂の方を選んでしまうんだろう、と。
別に精神性を高めようとかそういうことじゃなくて、どうしても音に身を委ねるっていうことができない自分がいました。

それが、割と最近、そこが取れましてね。
急にですね、音とリズムに身を任せる自分がだんだん戻ってきたというか、そんな感じがしてます。
これは私自身これから、環境がゆりかごになる街を創造する「仕事」をするんだって言うイメージでお話ししてましたけど。

それとは別に私としては5月の参加できなかった議事録も読ませて頂きながら、やっぱりリアルでの開催っていうのはみんないいなっていう話をされてますよね。
本当に人と人とダイレクトにしゃべったり、何か行動をするっていうのは、ものすごく大切なことなんだなぁっていうことを改めて、議事録を読みながら臨場感が伝わってくるような、みんながどんな顔して喋ってるか思い浮かべながら読ませていただいたんです。
多分黄金さんだと思うんですけども、先生がこれまでとは真逆のことを仰って、社外の組織のお役をしなさいという話をされててね、私も驚いたんですけれども。
でも一番の問題をクリアしてそこに到達して、一つステージが変わったんだなっていうことを改めて思いながら、やっぱり私自身も、そうやって人と接していくっていうことがキーになるんだなっていうことを改めて思いました。

実は今計画していることがありまして。
これまでずっと東京には出て行かなかったんです。ずっと昔は九州と東京で、関西はなかったんですけどね。
関西に来たらもう東京はいいやという気持ちでいたんですが。
実は来月ぐらいから、また東京とのやり取りを再開します。
それは私より若い人たちというか、現役の社長達、中小企業の経営者の人たちと、改めて接していくことになると思うんです。

私自身は、自分自身の問題として、「行こうもっと遠くへ」「もっと近づこう私へ」っていう感じで、外へ向く自分と、内側の自分自身がかけるエネルギーというもののバランスを、これからすごく考えて行きたいと思っています。
そうすると、私自身の5年後っていうのは、母がどうなるかも分からないし、いろんなこと起きるかもしれないけども、その先には自分自身で不安定な自分ではなくて、もう少し自分自身が充実した人生があるんではないかなという風に思っています。
これが、私自身がどうなっているかのイメージです。

仕事に関しては、何をするかによっていろんな環境とか状況が変わっていくので、そこは私の場合何が起きるか分からないんで、それを楽しみにして行こうと思ってます。
それは出会いやそういうご縁とかっていうものが繋がっていく先に、面白い展開があるかもしれんなと。
特別に何かを念じてやろうとかいう気もないし、このままの自然体で自分自身の楽しみごとと並行しながらやれたらいいな、という風に思っています。
基本の姿勢は何も変わらないと思うんですが。

環境と人との接点っていう、客観的に見た物っていうのは、こうしたらいいとか、こうしたらよくないかとか、すごくイメージが湧くんですね。
でも自分のことになったらちょっと弱い(笑)。
ちょっと自信のない私がいるんですよ。
満月がちょっと欠けたような、半月ぐらいになったような感じで。
「人の幸福感の丸いイメージ」と「自分自身も穏やかな丸い感じのイメージ」が同化するイメージを持って行きたいなと思ってます。

今まで、「イゴス環境色彩研究所」という名称をもう何十年も使ってきたんですね。
「イゴス」というのは「すごい」をひっくり返しただけだと言うね(笑)。
この「イゴス」という名前のおかげで、内閣府の中央防災会議の委員になりましたし、みんな東大の頭の人は、何語かと思ったみたいで、調べまくって分からなくてうちに電話してきて、うちの女の子が「『すごい』をひっくり返しただけです」って言ったら、担当者が椅子から落ちたって言うんですよ(笑)。
今チリの大使になっておられる方ですけどね。

これは私にはちょっと強すぎると言われたこともありました。
自分の名前の印象に対して、「イゴス」っていうのが強すぎて名前に押しつぶされとるとか言われたことがあるんですね。
幸せになろうと思ったら変えなさい、とか言われたこともありましたけども、まぁもうシャレと思ってずっと使って参りました。

それはそのまま残しておきながらも、「環境色彩」っていうと、すごい特定の分野だけに思われてしまって。
私としては広げるつもりで環境って使ったんだけれども、日本においてはすぐ何かカテゴライズしようとして、狭めるんですね。
だからもう、ずっとそれを思いつつ「まあもういいや」「言い通そう」と思ってたんだけど、それをなくすというよりは上書きするような気持ちで。

今まで私は単独で、自分ひとりでやれることだけやっておけばいいやって十何年思ってきた節があるんですけれども、今年からのキーワード・仕事のやり方の中に、「チーム」っていう発想を入れるようにしました。
そもそも最初に会社をやるときはそういうつもりでやったんですけれども。
4つの能力を持つ人たちが集まって編成して、それをサポートする3人がいて、7人でやっていこうというイメージをずっと持って会社をやってきました。

ずっと大事にしてきたことは何なのか、ということを振り返ってみると、新聞の取材を受けたときのことは残ってるんでが、自分が言ったことは消えて覚えがなく「え、私そんなこと言った?」っていうようなことが多すぎるんですけど(記憶に残っていないことは)自分が言ってるような気がしないんですね。
何か言われてるような感じで思ってて。
私がこんな立派なことを言ってるんだっていうことが多すぎてですね。

よく見ていくと、30数年経っても、言ってることって大して変わってないんですよ。
ずっと一貫してて、その中で仕事の進め方として何を大事にしてきたかって言ったら、色とそれからコンセプトということだった。

それで、これは皆さんにもお聞きしたいんですが、「コンセプト&カラー」にしたほうがいいのか「カラー&コンセプト」にしたほうがいいのか。
上位の概念はコンセプトの方やなと思うんですよ。
カラーってすごく狭いような気もするけど、でも色は全てを凌駕する、衣食住全部にまたがってるし、とかね。色々思うんですが。
「Color&Concept Igos」っていうのが、ここのキーワードだけを押さえて、「カラー&コンセプト」っていうのがひとつのサブタイトルみたいになって。

「Igos &」 っていうのは一緒にチームでやるときには前から時々使ってたんです。
それで「Igos & Partners」という風な形で体を表して行こうかなっていう風に思ってます。
これは今まだちょっと私の中でこそばゆい感じもあるんですけども。
多分これが一番しっくりくるんかな、という感じなんで、まあ5年後には堂々とそう言ってるような気がします。

30年前なんで紙ベースしか残ってないんですけど、一つ皆さんに紹介したいと思うのが、T
社さんの仕事をさせて頂いた件です。

 

1990年に作ってますから、32年前か。
これは最初に私が、本当に何でもできると自分で思ってしまった仕事だったんです。
家業にまだ入ってる時でして、T社にメガネ事業部っていうのが当時あったんです。今はもうないんですが。
メガネ事業部があって、そこがT社のレンズっていうのを発売もしてましたし、フレームや、メガネ拭きのトレシーっていう油をきれいに取れる素材が出てきたりとか。
T社さんがメガネ事業部っていうものに進出して、何年続きましたかね、十何年で辞めたと思うんですけれども。
それをやり始めた当初、私の父の会社で非常に強力にT社さんの商品を取り扱うということをしていました。

前に皆さんに申し上げたかと思うんですけれども、自分で新聞を作っていました。
昔タウン誌を作っていたというのもあって、小売屋さん(うちのお客さん)が500件ほどあったんですけど、そこに向けて発行していました。
で、Macが手に入ったんでですね。
一体型の一番最初に出たMacです。
それで、ワープロで作る新聞ではなくて、MacDrawで作る新聞っていうのができたんです。
何かって言うと、画面上で図形とか字を動かすことができる。
画期的だったんですよね。
ワープロっていうのは、文字は打てても、図形はうまく扱えないような時代でした。
MacDrawが出てきて、いち早く便利な道具を手に入れたのもあって、そういう新聞を作ってお得意さんに送ったりもしたんですけれども。

そういう流れの中で、お客さんの声を直接よく聞くようになったわけですよ。
自分でパイプを作っていったもんですから。
うちにどうして欲しいんかと。何ができるか、どうしたらいいんかって問いかけをしながら考えていました。

そこで、眼鏡レンズの話があるんですけど。
その当時、N社、S社があり、T社は後発メーカーでした。
そのT社のレンズのカラーを全部ディレクション(監修)したんです。
そういう仕事ができて、このコンセプトでどういうレンズのカラーにするかっていうことのコンセプトづくりから、販売ツールまで全部作らせていただいたんです。
本当はT社さんは私に観音開きのリーフレット作ってくれという話だったんですよ。
そういうつもりで偉い人がうちに来たんですよ。
私は新聞を作って抜け目なくその偉い人に送っていたんです。
「お宅の商品を紹介してますよ」と(笑)。
そしたら飛んできましてね。
その時、私は肩書が専務だったもんですから、「いやぁこんなにしてもらって……」と感謝してもらって。
色の仕事って珍しかったんで、「うちのレンズの色を紹介するリーフレットを作りたいから」って依頼されたんですが、「リーフレットの問題じゃありません」とか言ってですね(笑)。
「基本的なところに問題があります」とか言って。

何が伝えたかったかっていうと、その時にT社さんのレンズって、実は一番二番を築いているN社もS社も、そこの染色の技術者たちはT社から行ってたんですよ。
それで、T社さんの技術がよその会社で活かされてるという状況がありました。
それと、T社さんが既に出しているカラーの中で、「トープ」っていうカラーがありましてね。
ちょっとグレイッシュな、ちょっと紫がかってるけど、そんな紫っていうんじゃなくて、本当に微妙ないい色があって。
それのハーフカラー、ぼかしのカラーが、実は日本人の女性の目元と肌の色をすごく綺麗に見せると。
なんで現場でそれを伝えてやらないのかっていうのがあって、どうしたら伝えられるかっていうのを考えて。

それで、そのT社の技術の微妙な複雑な色合いは、T社にしか出せなかったんです。
そんなこと言う人は多分他にいなかったんだと思うんですけど、それをどうやって伝えようかなっていうことを考えましてね。
T社さんは3社の中で後発かもしれんけど、T社はすごいっていう風に小売屋さんに伝えるためのツールを作らせてくれって言って。
で、それを説得するのに、「T社ニューカラーコンセプトチャート」っていうのを作りました。

 

物を開発するのに、デザインの中にいろんな要素があります。
形とかいろんなことがあるけども、実は色ってすごい大事なんですよ、ということで、カラーを軸にT社さんを打ち出しましょうとか大げさなこと言いまして、打って出たんですけどね。
これ言葉も全部あるんですが、神秘のベールって言うじゃないですか。
その内側にある美しさを引き出すものがベールであるということで、「ベール」っていうコンセプトで商品の開発をさせていただいたんですね。
なんとなく神秘的な感じの表紙になってますけど、これ女の人の肉体のラインになってます。そのラインを撮影して使ってます。
これはもうコンセプトだけ伝えるためのパンフレットを作りまして。
でですね、この時にカラー分析を取り入れました。
今「イエベ」とか「ブルベ」とか言っていまして、ユニクロでも似合う色を着ようみたいな、色を打ち出していますが、当時どういう肌のタイプの人が何色が似合うってことも全部もうわかってましたので、それを大きく四つのタイプに分けて色彩の構成をして、考え方を述べています。

(参考)イエベ・ブルベ
https://www.j-lounge.jp/topics/fashionmagazine190922

実は、実際に4段のトレイを作って、カラーレンズのサンプルを乗っけて、お客様に勧める時にはこういうタイプの人に勧めてくださいって言うことをしました。
そのためのマニュアルを作らせていただいて、これを冊子とトレイをセットにして、卸屋さん・小売屋さんに行くわけなんですけれども。
そういうことをやっていました。

S社は「本当の透明感」って言ってレンズの中のくすみを取ったんですよ。
クリアな綺麗な色を、真っ白い土台において、ほら綺麗でしょ?って言ってお客様に選ばせようとしたんです。
そこと戦ったら負けるじゃないですか。
同じ真っ白のトレイに乗せたら。
それで考えたのが、肌の色に近いものをって思った時に、T社さんが、「エクセーヌ」というスウェードみたいなタッチの繊維を出しまして。
T社さんにはそれがあるやないですか、って言って。
それを使った肌色に近いベージュの上に、このレンズを乗せたらものすごくきれいに見えるんですよ、そのくすみ具合が。
とってもお肌を綺麗に見せるっていう効果があるんで、そのベースを全部作りまして、パレットも作って、こういうものを作らせていただきました。
そのコンセプトがあって、色があって、っていうのは私にとってはすごく当然なことで。
ただ、こういう風に色をテーマにした時には、ダイレクトにカラーのことに関してのどんなカラーで行くかのコンセプトを伝えればいいんだけれども、対象が例えばお店であるとか普通のオフィス空間や建物を考える時には、当然のことながらカラーコンセプトに行くまでのその前の段階のコンセプトのブレイクダウンあるんですよ。

いつも私が仕事をしながら思っていたのは、コンセプトっていうのは「こういうコンセプトで行こう」とマクロで考えた時の大きな枠組みでのコンセプトの話と、それをブレイクダウンした何段階、例えばカラーコンセプトの前にはイメージコンセプトがあるんですよ。その一番上位にある概念をずっと落とし込んでいくプロセスを辿らないでコンセプトって言われてると、「テーマと間違ってない?」みたいなのはよくありましてね。
だから私はいろんなものに取り込むときには、コンセプトプランニングっていうのはものすごく重要視してきました。


これでうまくいったもんですから調子に乗りましてね(笑)。
何でもできるみたいな気持ちになってしまってですね。

全部にコンセプトがあるっていうことで一つお話しさせて頂きます。
小倉玉屋さんっていう百貨店ですね。
私は井筒屋っていう百貨店と、玉屋っていう百貨店に色々関わらせて頂いて、それもおせっかいから始めたんですけれども。
例えば、プレゼンテーション用のコンセプトっていうことで書くわけです。
そこの六十坪のスペースで何を実現しようとするのかっていうことを書かせて頂いてるんですが、ここで百貨店からの脱皮と書いています。
この時点で百貨店はいつか二十貨店ぐらいになるっていう話を社長としてました。
もうここで物を販売するという意義とか意味というものはいずれなくなるじゃないですかっていう話をしながら。
百貨店の歴史を考えたら、元々は呉服屋さんというところが多いんですよ。
優秀な販売員っていうのはやっぱり呉服での販売の女性の接客っていうのがすごいクローズアップされてて。
きめ細やかなお客様の情報をしっかりと握ってらっしゃる方が売上を上げるということでね。
それってどういう販売の仕方なんかなっていうと、もうこの時点で大規模小売店として百貨店が場所貸し業に変わってたんですよ。
メーカーさん(イトキンさんとか)に全部委ねてしまって、このフロアの半分ぐらいはイトキンさんね、みたいな感じで。
そうすると、人も自分のところが直接雇うのではなくて、メーカーが連れて来る。
そうするとメーカーから連れてこられた人は百貨店で働いてるけれども、帰属意識がないんですよ。
例えばお客さんが「すいません補聴器売り場どこにありますか」と聞いたら、ちょっとお待ちくださいと言ってマニュアルを探して、何階のどこどこにございますっていうようなことになるし。
情報を知らないんです。その百貨店のことに愛情も注げないから。
そういうことが、この時点でもたくさん出てます。

それで「実感販売方式手法の開発」って書いたのは、どうアプローチするとお客様が満足するかってことの研究をしなければいけないとか、そういうことを投げかけたのがその一番最初の発端なんですけれども。
呉服屋的なその手法を現代風にアレンジしていくっていうのはできないんだろうか?っていう話から端を発して、この売り場をどうするかっていう時に、ソフトの方向性と、テイスト的なもの、どんな感じの売り場にするっていう具体的なイメージを持ってもらうための基準っていうのが必要になってきました。
その時に、「ハイブリッドな無印良品」って書いてるんですけれども、この30何年前に、もう無印がみんなの基準になってたんですよ。
新しいテイストっていうのはどういうことなんだろうと。
全く新しいものが来るんじゃなくて、よく言われるように、懐かしいと新しいが混在しているような。
この時点でもそうで、この30年間ずっと変わってないんですね。

今昭和がノスタルジーでどうとかって言うけど、ずっと変わってないような気がします。
ただただ今のメディアで色々フィーチャーされますけれども、ここは私たちは、ものすごく内部で議論して、こういうことを作っていきます。
それとマーケティングっていう、売り場を作るということについて、玉屋の社長の田中丸さんという人が、私との会話の中で「店づくりは街づくり」とおっしゃったんです。
私はその社長の、店作りを街づくりと捉えるって言ったのを聞いた時に、この人と一緒に仕事したいと思ったんですね。

それで百貨店から大型専門店の複合とか、そのエリアの中の再開発の起爆剤になるようにとか、もっと大きな視点でとらえた時にここをどうしたらいいかっていう問題も、その背景として押さえるべきだなと。
一番大事なのはそのサービスとして、その新しい形を発見して行かないといけないよね、っていうのも踏まえて、じゃあ具体的にどういう売り場を作るねんっていうのを、最初にコンセプトとして表してます。

それから、ここの売り場のネーミングとして、前ちらっと言ったかもしれませんが、「ロマン」と「感度」っていう2つのキーワードを造語にして、「ロマン感度」という、ここの場所(レストランや売り場)を示すブランド名を作りました。


こうやってキーワードをいろんな角度から拾い出していって、叩いていって最後にネーミングするっていう手法も仕事の中で訓練しましたね。

例えばここはレストランも全部やったんですけども、私のチームのメンバーに飲食(フードエンジニアリング)のプロがおりまして。ゼロから全部メニュー開発ができる人間だったんですが。
その中でも叩きに叩いて、原価計算からメニューまでもう全部作って、社員選びからバイト選びまで全部やらせてもらって店を作りました。
どんなメニューにするかを考えた時に、素材主義というものをベースに、お箸で食べられるパスタみたいな感じにしようと考えました。
それと、スープパスタみたいな「シズル感」が必要だと。
うどん屋をやるとここのイメージが壊れるんで、うどんではないなと。


そういうことでサンドイッチとパスタを中心にしました。
これは非常にうまくいきました。
これでこの玉屋の百貨店の話は終わりまして。

これはね、卵をフィーチャーしたお店で、ものすごく有名になったんです。
船井総研がバスでいつもここの店に連れて来ていました。コンセプトが素晴らしくていいお店とかいうんでね。辺鄙なとこにあるんですけれども。
いろんな卵を扱う、卵のお店だったんですよ。
数年前に、高齢でできないからっていうことでお店は閉じられたんですが。

最初立ち上がった時、ここのオーナーの背景として、大きな卵の卸屋さんが家業だったんです。
でも、お兄さんが1パック100円ぐらいで売る時代があって、安いのをスーパーとかにどんどん供給すると。そうしないと売れないっ、ていうやり方をしていることに対して、妹さんであるオーナーがそうじゃないと、本当に良いものを届けるべきやと。
小売でやらないとうちは生き残れないって言って、喧嘩になって別れてこのお店立ち上げたんですよ。
そしたら最初それで何を始めたかっていうと、シュークリーム屋を始めたんです。
神戸で修行して、その当時珍しい外がパリパリで中のカスタードがバニラビーンズが入ってめちゃくちゃ美味しいシュークリームを作りました。
最初シュークリームだけでヒットさせて、そこから店作りをして行く時のコンセプトを私の方で作らせて頂いて。
事業の方向性の整理をさせてもらって、ここはもう本当に大成功されたところです。

他にも色々あるんですけども、それは何かをリニューアルするとかそういうレベルのことであっても、やっぱり考え方としては環境デザイン的な背景を押さえながら、そこで本質的に、本能的に、そこでみんなが求めているものは何なんだろう? と。
もちろん私は数学には弱いんで、数学に強い人間をメンバーに入れてですね、数字の裏付けを取る人間は取る人間で備えて。
それは自分の不得手なところは凸凹してますんで、うまくかみ合うように、チームで力を発揮できるようにっていうことで。
多分、東京だったらひとりで 二役から三役できる人ってざらにいたと思うんですね。
でも北九州ではそういうわけにいかなくて、一個が素晴らしくてもあと全然ダメとかいう人が多くて。
例えば、私の片腕になってコンセプトのプランニングをすごい整理して書く人間は、長いこと一緒に仕事したけど、ほんまに変わった人間で、人から嫌われるんですよ。だから表に出せないんですよ。
1回、「先生、あんな人と付き合うならもっといい人紹介してやる」って言われるぐらい場をダメにする人間で、人が嫌いなんですね。
それでいつも私がカバーしてきたけど、もうとうとうカバーしきれなくなって、結局は決裂しましたが。
それでも楽しかったですね。
自分の思考を整理しながら、叩いていくというか修練して、考え・コンセプトを出していくという。

私はなんでこんなめんどくさいことをしたのかっていうと、「色」って最後につけるであろうと思われているんですが、一番最初に決める理念であるとか、そういう本質的な言葉で表すものと全部リンクしているという風に思ってたんですよ。
だから両方押さえないと、ここの間のところの仕事は出来ないって思ったんです。
私は最後だけやりたいし、「さあどうぞ菖蒲さん、お出ましよ」って言われて「はい!」とか言って出て行きたいけど、そんなのはもう1%しかない。
だから、やっぱり自分がやるべきことと本質が途中でずれてて、自分の本意でないことをやることはどうしても自分でできない。
先月、言われた通りにやるっていう下請けの話がありましたけど、そんなことを言われたら私なんか真っ向から向かって行くみたいな。
それはおかしいとか言っていくような人間なんで、そういう人間には下請けはできません。
下請けを非難してるわけじゃなくて、絶対に役割があると思ってるんだけど、私にはできないと。
だから、めんどくさくても本当に大変だけども、最初と最後を押さえようという風な仕事の進め方をしてきました。
ここは考え方は全然変わってないなと。

監修するとか自分が最後まで責任もってやるっていうことは、やっぱり最初と最後を押さえるっていうことは、いわゆるプロデュース業務でもあるんですけれども、もっと昔思ってたような鼻息荒くして肩で風を切るようなイメージでの「頑張る」ではなくてね、今はもうそれなりに色々経験を積ませて頂いたおかげで、寄り添う形で伴奏しながらお客さんと一緒にものづくりをやっていくっていうスタイルが、やっとこの10年ぐらいで取れるようになったのかなと思ってます。

件数は昔からすると少ないかもしれないけれど。
一時は15件とか並行するっていうのもあって、本当に稼ごうとか良い仕事しようとかいうものすごい意欲があった時にはそれができたけど、今はそんな真似はできません。
それやったら歌ってます、歌いたい、みたいなね(笑)。
そのうちに70になったらデビューできたらいいですよね(笑)。
それは冗談ですけれども。
私は色は外せないし、コンセプトは外せないなと。
妥協できないのは何かっていうと、この2つの柱だなというふうに思っております。

ということで、甘えて長い話をさせてもらいました。

●蒼天先生
会社、つくられるんですか?

●菖蒲
今まだそこはね、考えてない。
でも会社にしたほうがいいのかどうか、今年いっぱい考えます。
売上が増えるとそうせざる得なくなると思うんですよね。
昔、始める時もそうだったんです。
会社を作ろうと思って作ったんじゃなくて、売上高が増えてしまって税理士さんに言われてですね、会社にせんと困るよって言われて。
そうなんですかっていう感じで。
すぐにも3000万超えて、5000万とかになって行ったんで。
そうですねって言って会社にしましたが。
会社にするっていうのは、やっぱり人を抱えてたからなんですけどね。
今「パートナーズ」っていう形にした時に、最後のプロデュースっていうのは、仕事の場合はお金の問題が絡みます。
誰が誰に対してお金を払うのかっていうのが、そこで力関係って生まれるんですよ。
若い時に思ったのは、要するに人の顔はどっちに向くかって言うと、お金をもらう方向に向くんやと思ったんですよ。
そしたら、自分が責任を持つって言わない限り、こっちに向かんなと。ましてや女やし。
そこはね、やっぱり自分が責任をもってやるって言う時に、フィーのお金の流れって凄い重要なところかなとは思いました。
何か問題が生じた時に、「それはあんたの問題やろ」とかっていう話ではなくて、自分が受けて窓口になるっていうことは、そういう責任問題が発生するんで。
従業員に対して、お客様に対して、外注先に対しての問題とかって常にあるんで。

今私が組んでいるチームの人達は、みんなもうそれぞれが自立してるんですよ。
だけど、お金の流れで直接お客さんとやり取りする際、ちゃんとした報告をするのは当たり前って思ってらっしゃるし。
若い時はね、みんなそこが抜けていて、後でトラブルが起こることはありましたけれども。
今はね、そういうことがない信頼関係で結ばれてる人としか仕事をしないんで。
逆に言うと、抱えて直接契約はしてもらっても、私のプロデュースっていうフィーに関しての仕事の中身をお客様に明らかにすれば、会社を立ち上げてするって言うほどでもないんかなあと。
後は社会的に、体面上どうなんかなっていう問題だけになるんで。
内心どっちかって言うと、会社にするっていうことに対して、面倒くさいというのがちょっと心の隅にあります。
今から検討課題だと思います。
今年、ちょっとそこは考えて行動したいなと思ってます。
先生にどう思われます?

●蒼天先生
個人の方がいい。
まずね、菖蒲さんは元請けの仕事はできない。
まとめて受注を受けて分配するという立場になったらだめですよ。
誰かかが請けて、その中のこの部分をさせていただきますと。
誰かが請けて、その人がピンハネしててもいいじゃないですか。
ただ自分の仕事に相当するフィーを確保できるのか、ね。
それでいいわけですから。
だから会社にするのはやめておきなさい。会社にしたら大変ですわ。

●菖蒲
ですよね。
私、会社にした時大変なイメージしかなくて。
ただ税務上とか、そんなん関係ないですかね?

●蒼天先生
いやもう個人の方が楽。
私、20何年前に会社作って、会社解散しました。
今個人事業主ですが。
そら作るのも大変やけど解散するのもまた大変ですわ。
そういう手間ひまは全部無駄な時間ですよ。
だからそういう余計なことは考えずに、菖蒲さんはもう今やりたい仕事だけをやるという方がいいんと違いますか。
それとね、歳取ると仕事はたくさん抱えたらだめですよ。
少しで、でもとことん奥行きが深い仕事をするっていうか、自分のいいところを発揮できるね、そういう仕事を請けると。
それだったら個人でいいわけでしょう?
菖蒲さん別にたくさん子どもがいて、たくさん養わないといけないとかそういうことじゃないわけでしょう?
そういうことを考えれば、余計なことを一切考えずに、自分のやりたいことだけをやれる体制・環境を作ると。
それが一番いいんじゃないですかね。

●菖蒲
父の会社の後に、自分で会社立ち上げて。
15年間やって、それこそ清算に時間かかりましたよ。
借入金とか、政策金融公庫とか、県の信用保証協会とかね。
全部自分で清算して。
もう一切合切、全部自分のものは出してしまったんで。
いつも私って、お金を動かすけど貯まらんっていうか(笑)。
自分のところにお金が留まってくれんなっていうのが、ずっと悩みのように思ってたけど、なんとかなってきてますから。
これから自分のためにやっていこうと思います。

●蒼天先生
会社をつくり、そして解散して、
その間二十数年ありましたが、会社というのは全然お金を儲けたりするもんじゃないなと。
利回りでいうとめちゃくちゃ悪いな、という印象を受けましたね。
ただまぁその間にいろんなことがあるから、それが面白いから、それはそれでいいんですけどね。
あんまりそういうことを考えないほうがいいんと違いますか、と僕は思います。

●菖蒲
やっぱりその時間とか労力っていうのがね……。

●蒼天先生
それと、むしろ社名を変えたほうがいいですよ。
「イゴス環境色彩研究所」、そんな堅いのはやめて、「コンセプト&カラー イゴス」でいいじゃないですか。
コンセプトが上位やけども、カラーを先に出されて「カラー&コンセプト イゴス」にしたほうがいいですよ。

●菖蒲
はい。

●蒼天先生
それと、肩書は作らんほうがいいですよ。
僕は今誰も雇っていませんので、ひとりですから代表というのも使わないんです。
普通は個人事業主でも代表ってつけはりますけどね。
代表もなし。肩書も一切なし。
公的資格とか全部捨てましたんでね。
そうなるとね、自由奔放にいろんな発想が生まれてくるんですよ。
肩書があったらその肩書で仕事するということになりますんでね。
その方がいいと思います。

●菖蒲
ありがとうございます。
変えます(笑)。

●蒼天先生
水島さん、今の話聞いてどう思った?

●水島
たぶん僕のために話をしてくれてはるんやろうな、と思いました。

●蒼天先生
そうなんや。
一つのことをしようと思ったら、これだけの蓄積が必要なんやって。
あなた前に、ブランディングとか色々言うてたけど、そんなん言わんほうがいいよ、っていうたのは、言葉だけで発してもダメ、説得力がないから。
だから今の話を聞いて、カラー&コンセプトということで聞けばね、なるほどと。
今やっておられる街のことも考えれば、ひとつの線になってくる、道がイメージできる。
だから、あなたのために話をしてくれてはると、そう聞いてもらえてたなら僕はいいです(笑)。

●水島
その通りで、なるほど、深みが違うなと。

●菖蒲
水島さんのところにちゃんと行けてないですけど、水島さんは自立してやってはるから。
チームで一緒に仕事ができる可能性があるかもしれへんな、というのは思うんですけどね。
私自身、九州はだいたいもう固めたんで。
九州の人間が大阪にも拠点持ってるんで手伝ってくれてますけれども。
でもやっぱり京都で(パートナーが)必要な場面が発生して、あ、水島さんに頼もうっていう風になればね。

●蒼天先生
あと5年経ったらね、移動するのが邪魔くさくなりますわ。
もうちょっと大丈夫かもしれないけど。
僕の場合は、コロナで急に動かなくなったでしょ?
もう今更全国あちこち行けって言われたら、邪魔くさくて行けませんわ。

●菖蒲
私も相当動いてきましたし。

●蒼天先生
だから、だんだん動かないで仕事をするっていうかな。

●菖蒲
今のこのコロナ禍で、リモートも含めて動かないで仕事をするっていう環境は、みんなの意識の中に整いつつあるし、結構やりやすいかなとは思います。

●蒼天先生
僕もそうですけど、動かないほうがいい仕事ができますよ。
動かないで仕事をしてたら、いろんな人とよいパートナーを見つけてどんな仕事をするかっていうのをね、こちらが深ければ必ずどこかから嗅ぎつけて来ますわ。
だからこういう仕事は、プッシュ戦略で自分の方から行くのではなくて、プル戦略で考えられた方がいいと思いますけどね。
話聞いてたら、それでも十分やっていけるんと違いますか。
その方が値打ちが出ますし、フィーも高くなりますし(笑)。

●菖蒲
動いたら、安売りするような感じになるんですよね。
関わったら最後までやらないといけないと思うから。
私相当貢献してるなと思いながら、もうちょっとお金頂いてもいいよなと思うような場面も多いです。
だけど自分が納得してて、これで始めたんやからこれでいいやと思ってますけども。
でもこの先、そこら辺は先生がおっしゃるように、ちゃんといただくものはいただかんとね、っていうのはあります。

●蒼天先生
後から話をするかも知れませんけれども。
一般的な世の中の動きを見てるとね、今まで2,3ヶ月前に10年先と考えていたことが、もう5年先に起こりそうな気がして仕方がないんです。
だから結局、楽しい仕事をしていてそれなりに売上もある、それで一生懸命やってると、10年ぐらいすぐ経ってしまう。
だから僕が墨田さんにああいう提案をしたのはね、今のコンセプトがうまく行ってるからと思ってそのままやってたら、あっという間に10年経って、振り返ったら同じ仕事しかしていなかったなと。
それが怖いんや。
もう一つは、同じ仕事してたら、だんだんと流されてしまって、並の企業になってしまう。
これからどんどん企業が減ってくると思う。
この中で確実に生き残るのはね、桜庭さんと緑山さんのところと菖蒲さんのところ。
これは残るわ。
僕の勝手な考えやけど、墨田さんと水島さんのお二人はね、まだそこまで確信持ってない。
緑山さんはあのポンド(池での囲い込み)でいける。
あとはSNSを駆使したらあなたはいっぱい人間関係を持ってるから、これはもうベースがある。
ぶり返すようやけど水島さん、今下請けでうまいことやってるから下請けで楽しい、十分やという考え方はね、世の中が5年先10年先、今の状態のまま続いたらそれでいいかもしれんけど、たぶん続かんと思う。
注文もらってるところだっていつ倒産するかわからへん。
例えば、具体的に言えば、西武百貨店がなくなりました。
そこにたくさんテナントで入ってました。
たちまち自分の意思とは別に店が一店なくなります。
山科の大丸もなくなりました。
そこに入ってました。
自動的に店が消滅してしまう。
それが現実ですわ。
それは自分の力ではどうしようもないこと。
そういうもんやからね。
それと売上悪かったら、これからどんどんと退店勧告ですわ。
それは惨めなもんやで。
だから全て自力でやるというのはそこが大事なことで、どこかに頼って売上を上げるというのはね、ある意味非常に怖い。

ところで菖蒲さん、それでね、歴史はよくわかりました。
これからの話しをしましょうや。もっと街の話を。

でね、菖蒲さんにこの前お話していただいて、強く感じたことがあるんですよ。
僕も20年前ぐらいの話ですが、街づくりとか村おこしとかね、市街地再開発とか、中心市街地活性化とか、ああいう関係でいっぱい仕事を受注したことがあるんですよ。
その時に市町村とも関係を持ったことがあるんですよ。
それでひとつだけ、びっくりしたことがあるんです。
どこの市町村に行ってもね、総合発展計画というのがあるんですよ。
どこ見てもおんなじパターンですよ。
いつも必ず聞くんですよ。どこのコンサルに頼みましたん?って。東京にそういうコンサル会社があるんですよ。ボロ儲けですよ。みんな同じパターンで。
人口が年間10パーセント減って、限界集落を抱えているような市町村でも、人口10年後に10%増やしましょうとかね。そんなことが書いてある。
特産品がとか、観光開発してとかね。すべてワンパターン
で、市長やら町長さんはこれで喜んでいるんですよ。
できまんのかいな? て聞くと、「いやこれはこれで、市民にこういうことをやってると開示できたら私の意欲はこれで示せると思います」というレベル
20年前の話ですから今あるかどうかは知りません。それで嫌になって辞めましたからね。
僕は嫌な仕事はしないから。
総合発展計画って今もあるの?

●桜庭
総合発展計画というのは聞いたことないですけれども

●蒼天先生
そういう街の計画はあるわね?十カ年計画とかね。

●桜庭
似たようなものはあると思います。

●蒼天先生
それはね、そういうパターンですわ。
どこにどういう施設を作って、というようなハード計画ですわ。
昔やったら新幹線を誘致してとかね。
街の経済を活性化してとかね。
それを僕は、この前話ししていただいた、ゆりかごと愛でね、総合発展計画を作って欲しいんですわ。
確か「ゆりかごの街」でしたね。
それを支えてるのは愛ですやんか。
それをベースに、まず一箇所でいいから。

●菖蒲
はい先生!
私昔、ある小さな北九州の隣町で、中心市街地活性化計画を受けて、もうひとつブレイクダウンした計画を作ったんですよ。
「愛が生まれる街」っていうのを作ったんですよ(笑)。
それは何かって言うと、役所の前に公園がちょっとあって、そこに施設を作って、そこを教会じゃないけど、結婚式・ウエディングができるようにしようと。
駅からここまで700メートルぐらいある長い道があるんだけど、そこをウエディングロードみたいにしようと。

●蒼天先生
それはね、愛がベースになってるかもしれんけど、ある意味ハード計画ですわ。

●菖蒲
ハードって言うかね、何かって言うとマーケティングは多分、人が出会って生まれた時から始まるんやっていうところで、そういう発想を持ったんですけれども。
経産省の人間にね、思いっきり馬鹿にされたんですよ(笑)。

●蒼天先生
馬鹿にされると思います。
時期尚早やったんですよ。
僕も全国で講演して評判が良かったから、国の人の耳に入るんですよ。
僕も経産省か通産省に呼ばれて、こういう事業があって委員になってくれって頼まれたんです。
おもろいから引き受けたんですよ。でね、報告書を書くわけです。
僕流でバーっと書いたんですよ。
そしたら報告書はスタイル、フォーマットが決まってるんやね。僕のところだけ全然次元が違う(笑)。整合性が取れないと言われて、書き直せと言われた。
嫌ですって言うて。
もうそしたらお金いらんから、ここだけ割愛しといてください、僕こんな文章書けるだけの能力ないからって言うて。
それで、担当者が上に相談しよったんですよ。
上が読んで、おもろいやんかということになってね。
僕が書いたものがそのまま報告書に載ったんですよ。
国の報告書は、意外と全国いろんなところで見はりますやん。
おもろいということになって、それで街づくりとか村おこしとかそんなんで呼ばれるようになったんですよ。

どこでどんな経緯になるかわかりませんけどね、やっぱり自分のできることというか、自分の良さを絶対に姿勢を崩さずに。
だから、そのウエディングロードは時期尚早やったと思うから馬鹿にされたのかもしれないけど。今やったら通るのと違いますか。
それと、今はハードで金を使う時代じゃないやないですか。
これからはソフトで競い合う時代ですから。
だから最近外国人が来ても、農業行く人がめちゃくちゃ増えてるんやろ? この前新聞載ってました。
桜庭さんのところに行ったらもっとおもろいのにな、と思ったけどね。

結局、だんだん変わってくるんですよ。
だからまさに今話を聞いてて、そういうものを街に直接提案して、普通は堅い堅い委員会になると思いますが、そこで皆さんを洗脳して。
大きな街よりも小さな街、人口10万とか20万ぐらいの街がいいと思います。
そういうところでひとつ実績を作って出されたら、珍しいものはいっぺんに全国にばーっと配らはりますわ。
それでなんか面白い展開ができるんちゃうかなと思って。
菖蒲さんの5年後はそういうイメージを持ってたんですわ。
そういうきっかけを作って。
いま大阪の方でちらっとやっておられるとか。

●菖蒲
はい、貝塚市と福岡の近衛町(?)でそういう礎を作りつつあります。

●蒼天先生
最近、市長とかも若くなってますやん。
昔はどうしようもないおっさんばっかりでしたけどね。
やりやすくなってきたと思うから。
そういう意味では、土壌ができつつあると思うから。
そんな形でひとつ考えられたらどうかなという気がしましたけど。

●菖蒲
5年経ったら今までやってきたところのベース作ってきてるから。

●蒼天先生
それと、せめぎあいがありましたでしょう?公共と住民の。
前回申し上げましたけど、5対5じゃなくて、1対9ぐらいがいいって言うたでしょう?
それは絶対住民に受けるんですよ。
住民も5対5に不満を持ってると思いますよ。

●菖蒲
アベレージ感覚というか、標準化とか平準化とかね。
公平というのは一体何なんですか?という。

●蒼天先生
菖蒲さん、一冊面白い本を紹介します。
一回それ読んだら、平均主義の弊害が山ほど書いてある。
正規分布の真ん中を狙うというやつですわな。
面白かったのはね、全て平均値でつくった女の人ってこんな女の人になるっていう(笑)。

●菖蒲
はいはい、わかります。
実態ないんですよね。
結局、数値で表した平均的な女の人とか、平均的な何歳のおばちゃんとかっていうのは、数字でアベレージだしていくと実体がなくなるんですよね。

●蒼天先生
もともと、平均値で物事を考え始めたのはアメリカなんですよ。
まぁ、また送っておきます。古い本ですけどね、面白い。

●菖蒲
よくね、ストーリーを作って、いろんなマーケティングの方法があるって言うことはいろいろ学びましたけれども。
例えば、水島さんやったらどう行動するかっていう、具体的なことをチェックしていた方が、リアリティがあると言うか。
居もしない平均値の人なんかより、リアルなその人の思考っていうのを探っていった方が絶対に面白いし、わかるっていうか答えが見えてくるって言うか。

●蒼天先生
僕も実を言えば子どもの時から、外れてるところにいましたからね。
中心地には全然いなかったから。
だからその本を読んで自信ができたんですわ。
僕の生き方はこれでよかったんやなと。

●緑山
「平均思考は捨てなさい エンドオブアベレージ」 トッド・ローズです。
https://www.amazon.co.jp/dp/B072LWDPKM/

●菖蒲
もうとっくに捨てとる気がするけど(笑)。

●蒼天先生
余計なこといっぱい書いてますけどね。
僕は自分の今までの生き方が正しかったと実感する意味で、すごく参考になった本ですわ。
いい本です。
ぜひ皆さん時間があったら読んでみてください。
それにしてもすぐ引っ張ってきはりますな。

●緑山
キーワードがはっきりしてたら最近はすぐ出てきますね。

●蒼天先生
さぁ、ちょっと休憩しますか。あっという間にこんな時間になりました。

 

【菖蒲さんの発表について議論】

●蒼天先生
ご意見、質問など何かありますでしょうか。

●墨田
意見とかアドバイスではないですけれど、「ええなあ~」と思いました。
本当に好きなことを追求されているという感じがするので、ついつい自分の状況と比較すると、自分はいろいろな縛りを持っているなと思ってしまいます。それが絶対いけないとは思わないけれど、何か違うなあと思います。自分にそこまで語れることがあるだろうかと考えたりしていました。

●菖蒲
逆に言うと私には喋ることしかないみたいな(笑)。

●緑山
ゲスな話なので答えられる範囲で構わないのですが、日本では知的技術料としてのフィーが確立していないじゃないですか。一人日とか一人月とか、そういった単価はあるのですか?

●菖蒲
その難しさは最初から身に染みて感じていました。
最初の頃は、幸いなことに、どちらかと言うと自治体絡みで首長にアプローチしていた中で理解してくれて、「色が大事だから色彩設計を入れよう」と。「お金かかりますよ」「いくら?」「最低でも300万円はかかります」その費用を首長が出すわけにいかないから、設計会社などの受注しているところに私のフィーを入れなさい、と調整してくれることがありました。随意契約をしてくれる自治体もありました。私の貢献度を見て、議会で突っ込まれても「菖蒲さんはこれだけのことをしてくれているから当然です。専門の分野だから随意契約でやります」ということもありました。
でも民間は難しいですね。経営者のエゴが出てくるから。俺はこういう風にやりたい、というエゴが出てきます。こちらも思っていることをあまりにもズケズケ言い過ぎて怒らせてしまったこともありました。民間はやっぱり大企業でないとそういう話ができない。中小企業はまず無理でした。

●蒼天先生
民間は電通とかそういった大きなところが押さえているから。そして専門家もたくさん抱えているから。単価は非常に高いけれど、きちんとした仕事をします。
菖蒲さんは民間よりも役所を相手にする方がいいと思う。

●菖蒲
市町村にもよるのですが、地道に関わってきた大学の先生といったような人たちを、長い間大事にしてくれます。私が関わってきた宮崎県などは本当に大事にしてもらっているから関係が続きます。
市町村の総合計画は、自治体向けのコンサルタントがきちんとあって、そこがやるんです。
そういうところは役所の方を向いていますから、役所がいい顔をするような計画しか作らない。街に良いのではなくて、役所に良いものを作るんです。

コンサル会社で土木のトップのところとお仕事を何回かさせてもらって、飯田橋付近の再開発エリアの色彩設計をさせていただきました。地方のコンサルと中央のコンサルとはレベルが違うということを知りました。地方では、仕事を取るためにみんなゴマを擦るんですよ。役所からお金が出るから、そちらの方に顔を向ける。だから問題点の炙り出し方が違う。

財団とか色々な所の理事も務めました。そうやって中心部の方に入っていかないと見えないから。入っていった結果、全部やめました。失望したからです。
男の人達が9割。ビジネスモデルを作ることに終始している。成功事例があったら視察に行って、分析をする能力は高いから、そこからフォーマットを作って、それに類するものなら補助金を出しましょう、みたいな仕組みを作るのはすごく上手なんです。その仕組みの中に入ってしまうから、優秀だった人が優秀でなくなる。

なぜなんだろう、と考えてみました。みんな家族を抱えていて収入を安定させたい。まちづくりで食べて行くほど難しいことはなかった。NPOが流行ったけれど、みんなが食べられるだけの給料は出せない。そうすると担い手事業というものができて、そこに手厚い補助が出る。それに乗っかった人達は、しょうもない人になってしまった。能力を買われてあちこちに派遣されて、現場の仕事もやるけれど、ほとんど報告書づくりに追われる。国の仕事を請けたら報告書作りに追われる、ということを山ほど見せられました。
上の方の人たちは、自分たちがその現場に降りて行かないから、見るものは報告書だけ。それの重箱の隅つつきをするんですよ、彼らは。

今も昔もあまり変わっていない。こんなことをしていたら日本は本当にダメになると思いました。

ちょっと前にはリノベーションっていう言葉が流行って、それをやる人間が中心になって賞を獲って、上手くいった、というケースが小倉から出たんですよ。彼らは2000万円、3000万円というお金が入ってきて、翌年もその翌年もこうやったらお金が付くということを知ってしまうわけです。そしてそこに頼ったり溺れたりする。するとポカが出てきて、問題が発生したときに補助金の返還を求められて会社が倒れてしまう。そんなことを何度も見てきました。

中心市街地活性化のアドバイザーになったこともあるんですが、あまりにもその現状がひどくてやめました。もしそのまま続けていたら一ヶ月30万円から40万円ぐらい、もっと多い人なら70万円から80万円いただける、そんな仕事でしたが、報告書に追われる毎日が待っているだけ。そこでお金をもらうと上を向いて仕事をすることになって、見るべき市民とか地域の人たちに目が向かなくなって、精彩を欠いてつまらない人間になってしまう。

●蒼天先生
僕もね、この歳になってくるとこの現状を見て見ぬふりをしていていいのかな、と思うんですよ。ここで何か爪痕を残しておかないと後の人に申し訳ないなと。そういう気持ちがコロナのときに色々考えた中で出てきました。次世代の人のために一肌は脱げなくても、それなりの役割は果たせないかなと。そういう思いが強くなりました。

前回も申し上げましたが日本は50年間全く変わっていない。政治家は自分のことしか考えていない。次の選挙のことしか考えていない。マクロ経済が分かっていてもミクロ経済を見ていない。現実の話が無視されてしまう。そういった話が上の方に届くようにという形で何か役割を果たしたいと思います。

たまたまサンプリングにあたって日銀から調査があったんです。最近の景気についてとかどうとか。最後に空欄があったんです。好き放題書いてくださいとあったから、ぶわぁ~っといっぱい書いて送り返しました。粗品が送られてきましたけど(笑)。
多分伝わらないと思います。調査をしているのは日銀ではなくて下請けの調査会社がしているから。

まず唖然としたことをお話すると、昔セミナー講師としてよく長野に行ったんです。飯田市というのがあります。その界隈で何回も戦略ゼミというのをさせていただきました。飯田というのは周辺に町がないからそこそこ飲み屋があって。お客さん皆さんすごく機嫌がいいんですよ。何かといえばリニアモーターカーの駅ができると言うんです。リニアモーターカーが来たところで誰がここで乗り降りするのか。そんな計画があって名古屋から大阪までのルートがまだ決まっていなかったときです。
また、福井県が強靭化計画の一環か何か分かりませんが新幹線の工事をしていました。ものすごく大掛かりな。こんなところに新幹線を通しても誰が乗るのか。赤字になるのが目に見えている。でも地元の人は喜ぶんですね。やっていることとこれからの世の中の動きとが乖離しているんですよ。

今、財政が逼迫しています。国債の発行の限界を決めていたのに、コロナその他でいっぺんに吹っ飛んでしまって。GDPの2%は防衛費に変更すると言う記事も出ていました。世界のトップ5か6ぐらいの防衛費の支出額になりますよ。そんなたくさん出してどこからお金を持ってくるのか。国債しかない。しかし国債も限度がある。そうなるとデフォルトしかないと思います。デフォルトになったらインフレになってしまうし、円の価値がどんどん下がっていく。海外は利上げをしていますね。しかし、日本は利上げは絶対できない。なぜなら、国債の利子をたくさん払わなければならなくなるから。そうなると財政面でも破綻してしまうし。果たしてこれからどうなるのか。

私はあまり選挙に行かないので、こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、実際の日本の社会の経済の動きと政治の動きは全然違うんですよ。おそらく10年ほど経ったらものすごく生活がしにくい世の中になっているんじゃないかなという気がします。
もっと言えば、高度成長のときの生活ってめちゃくちゃ楽しかったんですよ。1970年大阪万博のころです。とにかくボーナスが多い多い。
これから生まれてくる子どもはどうなるのだろうと個人的に心配になります。

その中で皆さん方中小企業のこれからの歩みについて考えてみたら、この会なら緑山さんと菖蒲さんと桜庭さんは安泰だけど、墨田さん水島さんの二人は安泰とは言えない。
でも世の中にはももっと安泰でない人はいっぱいいるわけ。目先の利益が確保できていたら自分は安泰だと思っている人がいっぱいいるわけ。その辺も含めて大きな環境変化が起きていることを踏まえた上で、自分の5年先がこれからどうなるのか、どっちの方向へ向かって進むべきか、今から考えておかなければならないんじゃないかなと。

安泰なのは巨大企業。前回、「日常ビジネス」って言いましたが覚えていただいてますでしょうか。銀河さんのスタイルです。銀河さんは今の状態で3日/週 パンの仕事で働いて、これはビジネスになっていない。しかし単価を10倍にできたとしたら三日間働いて十分やっていける。そういうところしか生き残れないんではないか。

もしこれから残って行くとしたら今の単価の10倍アップする。
その取り組みが絶対必要だし、それができた中小企業は生き残ると思う。会社がダメになれば、時給1,000円とか2,000円のところに雇われる人生が最後に待っている、そんな気がしてならない。だからそういう危機感を皆さん持ってもらわないといけないし、これが世の中の大きな流れであることを認識しておかなければならないと思う。

皆さんに対するアドバイスは、このような変化を想定して提案させてもらったつもりです。現場延長で考えていたらダメだし、改善が目標昨対10%アップとかそういった発想は絶対駄目だと思います。

3年10倍ムーンショット計画、今年2年目を迎えていますが、3年で10倍ぐらい成長できる取り組み、別のところから何かを引っ張り出してくるパワーと言うか、先ほどの菖蒲さんのようにいろんな蓄積が思わぬところで華を開くこともあるし。そういうことをこの研究会でこれから議論していかなければならないのかなと。その辺で皆さんの意見を聞かせていただけたらと思いますがいかがでしょうか。

●水島
途中から先生の発表に切り替わった気がしますが(笑)。

●蒼天先生
ごめんごめん。時間がなくなってきたから発表しないといけないかと思って。
何か皆さん菖蒲さんにないですか。菖蒲さんも話足りなかったこととかありませんか。

●菖蒲
先生のお話を聞きながら、自分で模索しながら仕事していたときにどんな本をよく読んでいたか思い出していました。父の本棚にセレクトされたものが並んでいて、ユダヤ人の本とドラッカーの本、あと谷崎潤一郎でした。

子どものときに父が眼鏡塾を開いていて、そこにシュヴァイツァー財団の高橋功先生が毎月来ていたんですよ。「思い出のランバレネ」という本を書いていて、父と高橋先生の間の書簡を遺品として私が持っていたんですけど、それが本棚にあって。そういえば母が古着をダンボールに詰めて何ヶ月かに一回アフリカに送っていたんですよ。それをふと思い出して。父は、貿易をしたい、海を駆け巡りたい、ということをいつも言っていて、実際に貿易をするようになりました。ニューヨークで事務所を出すことになって、誰とするか尋ねると、ユダヤ人だと言いました。みんなユダヤ系なんですよ。ホールセラーっていう、日本でいう卸ですが、日本の場合はちっちゃいけれど、ユダヤはニューヨーク港に行ってそこからアフリカとかいろんなところに飛ばして、という商売のスケールが違うんです。取引した会社は全部ユダヤ系で、みんなビルが建ったんですよ。うちはジリ貧だったけど。

アメリカの大統領がレーガンだったときに父がパーティーに呼ばれました。アメリカの国旗の横にユダヤの旗が立っていて、すごいパーティーでした。父はものすごく嬉しかったみたいでした。59歳で亡くなりましたが、やりたいことをやれて嬉しかったんだろうなと。本当の意味の成功を収めたかと言うと、結果からすると志半ばで死んだんだなと思いますが、そういう父を見ていると世のため人のためということも自然に普通に考えたことでありましたし、常に何か今起きている出来事に対してのその先を見るという思考が自然に身についたのかもしれないなと思います。

さっき言いましたマッキンゼーの存在というのをその頃知って、トム・ピーターズが書いた「経営破壊」という本を読んで、そうだそうだと思いながら、日本人が指摘しないところを書いていてそうだこれをやらなければいけない、という若いときなりにそんなこと思っていましたね。その通り! と思うようなときめく事がそれ以降出てきていないのかな。蒼天先生の話を聞いている方が刺激的です。

そういう経営の中でドラスティックなことを思う人がいなくて、みんなちまちましてるなと思いながら結局YouTubeなんかで学ぶしかないのかなと。

●蒼天先生
幻冬舎の社長が石原慎太郎の所に行って田中角栄のことを書いてくれと頼み、「天才」という本を出した。目次も何もなしで最後までぶわ~っと書いてある。田中角栄は悪いことをしましたが、心から日本の将来を思う気持ちがあった。今の政治家とスケールが違います。そういう日本を支えた政治家と、今の二世三世の政治家、これから先の日本が心配です。

好きなことをしてお金が入って、好きなことを最後までやり通すそういう生き方が一番いいと思います。
ほんまに好きなことが見つけないといけない。仕事で時間を取られて忙しい忙しいと言っていたらお金は入ってくるかもしれないけど10年、あっという間に経ってしまう。だから、いろんな回り道をしながら、これからどんな人生を歩んで行くか、どうしていくかということを考えていくのも一つの方法かなと思ったりして。ま、大変ですわこれから。

今日昼ご飯を食べながらテレビを見ていたら南海トラフの話をしていて、大体80年に1回の周期でその前は100年だったらしいけれどそれに近づきつつあるらしい。もうあと10年ぐらいで来るんじゃないかと。マグニチュード9.0の予測が9.1に上がったらしい。
0.1でものすごくパワーが上がって死傷者が桁違いに大きくなるという話をやっていました。9.0が9.1になると全然違うんだと専門家の人が話をしていました。確率も90%に上がったと。

と言って今何をしたらいいかわからないし、人によってタイプが違うからそういうことが起こるかもしれないという覚悟をもって生きているという事が一つと、僕は、自分がやりたいことをきちっとやっておけば、いざとなったら諦めも付くし、ひょっとしたらうまく逃れられるかもしれないと思っている。これはもう天に任せなければ仕方ないと思う。

(蒼天先生より)
今日の例会は、菖蒲さんから、さまざまなことをいっぱい教えて頂きました。
その中で、ぼくが感じたのは「深さ」の威力でした。
どんな分野でも、1つのことをきわめていくと、知識(専門分野)が深まるだけでなく、人間も深くなる。器が大きくなり魅力的になっていく。
このことを実感した例会でした。

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