読むドラマ(議事録)

相手を知ることは、自分を知ること。
年齢も業種も異なる経営者たちが、月に一度つどう目的はただ一つ。
決して一人ではたどり着けない月面「本当の自分」に降り立つため。
これはそんな経営者たちのリアルなやり取りから生まれたドラマ(議事録)です。
(禁:無断転載)

 第141回 百年企業研究会内容(2020/11/12)

第141回 百年企業研究会内容(2020/11/12)

開会までの短い間、介護の話に花が咲きました。
本日欠席のメンバーは、それぞれご家族の健康事情で、お休みです。
みんな自分事。順番にやってくる介護問題。菖蒲さんの言葉に、ものすごく実感がこもっていました。
「心配しても仕方ないし、なるようにしかならへん、って思うことにしましたよ」

今日のこの日にここに来られたこと、メンバーと過ごせることが奇跡だと、思わずにおれません。
大事な時間、ていねいに過ごそうと思いました。

 

1 開会・テーマ『コミュニケーション能力は何で決まるか』説明

黄金
「それでは、ただいまから、141回例会を始めさせていただきます。よろしく。
開会に先立ちまして、先生よろしくお願いいたします」

蒼天
「今日は、『コミュニケーション』というテーマで取り組みたいと思います。

前回から全員で一つのテーマで議論しようということを考えてました。
『コミュニケーション』を考えるときに一番感じるのは、ものすごく皆さんしゃべり方が上手なんですわ。上手だから大変なんですわ。
まずね、前にも申し上げましたように、センテンスが長すぎる。それをできるだけ短く切って話してほしいということ。できましたら、ある程度話したい要点をまとめて、こういうことを話そうということを、描いていただいた上で発言していただいた方が、話がまとまるのではないかと思います。
それから、コミュニケーションの主役は聞き役ですから、まとめて話したほうが、伝えたいことをよく相手に理解していただけるということが言えます。

もう一つ、これは仕方ないのですが、皆さん方言が強すぎます(会場笑)。方言を使うなとは言えません。ここは研究会ですから、ざっくばらんに話しますから、仕事と違いますのでね。
僕も、講演のときは、ちゃんと話します。しかしここではついつい『しゃあないやんか』とか言いますしね、そういうことを注意してやっていってもらったらどうでしょうかね。

『コミュニケーション』というテーマは、墨田さんに考えていただきました。『コミュニケーション能力は何で決まるか』。難しいですけれどね。
『人生の成否はコミュニケーションに依存する』という有名な言葉がありますけれども、そういう意味でコミュニケーションというのは非常に大切で。3時間本音で語り合えたらと思います。よろしくお願いいたします」

黄金
「ありがとうございました」

墨田
「本日2か所で録音しています。ちょっと銀河さんの負担が大変かなと思って、私もある程度担当しますということでやってみたんですけれども、声が小さいと非常に聞きづらくて。できるだけ大きな声ではっきりと話していただけたらありがたいのと、早口で、頭にうかんだことを言ってもらうよりは、できたらちょっと一呼吸おいて、まとめて話していただけると非常にありがたい。
といって自由な発想を妨げるわけではない。ご協力いただけたら、声をはりめでお願いいたします」

蒼天
「コミュニケーションの中に、『書く』ということも入りますけれど、議事録は、後からいろんなことを確認することができますし、読み返すことによって、学びなおしたりできる。しばらくはこのまま続けて行こうと思います」

11月は、遅れないよう、超全力を尽くす所存でございます。
読み返す、振り返ることの重要性は、議事録を作成しながら感じることの一つです。
過去の自分をもう一度感じることに、現在を見つめ、未来に向かうヒントが、いっぱいあります。

 

2 全員1分トピックス

黄金
「それでは、時間通りいきましょう。全員1分トピックス。皆さん1分間、しゃべってください。では、紺野さんから」

紺野
「業界の話なんですけど、親会社のほうは、100%受注が戻ってます。私のところは、マイナスめなんですけど、80%戻ってます。大きな動きないが、景気が戻りつつあることを実感しています。以上です」

桜庭
「私だいぶ体調がよくなりまして、秋になってようやく体調が整いまして、日常のリズムも昔に戻りつつあるということで、自分自身もこの間は耐えてきたんですけど、よかったなと思っております。
そう思っていた矢先に、お客様自体は入って来れないけれど、視察ですとか、営業の関係で、少しずつやりとりとか、東京からの来客もあり、来年の春の開国に向けて準備をしているところです。以上です」

緑山
「今、コロナでGo Toトラベルキャンペーンやってるじゃないですか。で、結構仕事で、出張はあかんとなったみたいなんだけど、何だかんだで、行ったところと、これから予定が入っているところ併せたら、数えてたら5回、Go Toトラベルキャンペーンで使わせていただいてて、コロナもまあ、少しはええことあるんかなというのと、
3年に一度くらいの大型の契約がそろそろ決まりそうでですね、(会場どよめき)それもコロナでめちゃめちゃ業績が上がっているところなんで、ええこともあるんやな、っていうのがありました。以上です」

山吹
「私は前回、墨田さんの日記を見せていただいて、読ませていただいて、目からうろこでした。これができんことには、ここの会の一列には並べへんなって、自己反省をしながら、メモ形式ですけれども、ぼちぼちと日記を書かせていただいております。
日常につきましては、Go Toトラベルキャンペーン、Go To Eat、その他諸々の入金処理の事務仕事の大変さが日常に含まれてきたのが、今の私の現状です」

菖蒲
「先月お休みしておりましたので、1分スピーチ、初めて!
近況として申し上げると、5つくらいのプロジェクトを同時進行させております。私の場合全部ばらばらですから、野菜の加工品のMD計画見直しから、レストランの新規軸、色彩計画、色彩設計をやらせていただいているのと、道の駅の新しい形、これはもうお話したかもしれませんけれども、そのプロポーザルの準備をさせてもらっていて、後は、トイレの公園デザインの監修をさせてもらっています。
アートのほうは、これからどんどん始まるんですが、九十九伸一(つくも しんいち)というアーティストの絵本が完成いたしました。1000冊ほど作りまして、11月13日から、福岡を皮切りに、来年の春まで、原画展を5か所くらいでやらせていただくことが始動いたします。そんなところです」

MD:マーチャンダイジング(merchandising)。消費者の欲求・要求に適う商品を、適切な数量と価格、タイミング等で提供するための企業活動。「商品政策」「商品化計画」

プロポーザル:(proposal)企画、提案。

自分のアホさをさらけ出したくはないのですが、さらりと話される言葉の意味を、実はわかっていなかったりします。この議事録は、私自身の成長素材にも使わせていただいておりますので、勝手ながら、時々ウィキペディアにお世話になります。

銀河
「先々月に、黄金さんが『モモ』の話をされて、先月に墨田さんが『モモ』の話をされて、つい先日、銀がさんこれ読まはったらどうですかと、『モモ』を貸してくださった方があって、ご縁があるわと思って、すぐに読ませていただきました。今読んでも、子ども向けのほんですけど、コミュニケーションという題材にぴったりだな、と思っております。以上です」

なんですかこのスピーチは。
誰にも何もつたわっていません。
『モモ』は、読み物として面白いだけではなく、時間の大切さ、誰かと関わること、自分と向き合うこと、生きていくということ、私たち大人が見落としてきたこと、そんなことを考えさせてくれる、ファンタジーです。心理学の側面からも、いろんな解釈、分析がされていますが、作者ミヒャエル・エンデさんは、「ただこの本を体験してほしい」とおっしゃっています。
こういえたらよかったです。目標、はるか遠く。
皆様におススメしたい本です。すぐに読めてしまいます。お時間なくても、ぜひ。


蒼天
「去年3月だったと思いますが、たぶん40年ぶりに会おうという、元会社に勤めてたふたりなんですが、コロナで会えなくて、つい先日、会いました。年齢は一番上が82歳、次は僕で79歳、一番下は77歳、年寄りばっかりですけれども。
いくつになっても人間の気概というのは変わらないなあということを、すごく感じました。3時間半ほどビール飲みながらしゃべったんですが、あっという間にすんでしまった。勉強できたとみんなが言ってました。改めて、こういう会い方もいいなと思いました」
(ジャスト1分)

墨田
「先月1か月間、ご縁があって、お客さんのいらない家財を処分することを、いくつもさせてもらいました。
自分のところは会社にコンテナがあるので、処分というのは慣れてるし、普通のことに思ってるんですが、一般の方は、いらないものを処分するのに手間がかかるし、それが捨てたくても捨てられない、どうやって誰に頼んだらいいかわからない、自分でやるのも限界があって、とても困っておられる、ということが、現場から肌にしみてきて、何かこれをお手伝いできることが、もしかしてあるのかもしれないな、というのを、別にビジネスのヒントではないんですけれども、需要はあるなということを感じた1ヶ月でした」

黄金
「私の近況はですね、僕61歳ですけれども、昔はJCとか、商工会とか、いろいろやってたんですけれども、いろんな団体に入って、いろんな人と繋がりがありまして、一見全然メリットがないというか、これからこの人たちと繋がることはないんだろうなあ、と思いながらきたんですけども、今それがなんや知らんけれどもばたばたばたばたと繋がりまして、一緒にビジネスをしようかというところまで行っています。
人脈っていうのは、本当に打算じゃなくて、繋がるもんだなあとつくづく感じてまして、
今後生かしていきたいと思っている今日この頃でございます」

全員がもれなく発言できる1分間、緊張感があっていいなあと思います。
1ヶ月に1回の3時間、かつては集まることが当たり前でしたが、コロナを体験して、「会えることのありがたさ」も感じます。自分、もうちょっときちんと発表したいなと思いました。

 

3 テーマについての議論

黄金
「それでは、本日のメインイベント、『コミュニケーション能力は何で決まるか』、ですね。
最初ちょっとだけしゃべらせてくださいね。
今、うちはオフィスづくりをやっています。オフィスの内装工事、家具、などです。
ついこの間までは、『働き方改革』ということで、オフィスをきれいにしましょう、働きやすい環境を作りましょう、という話がありまして、めちゃめちゃきれいでおしゃれなオフィスを作ってました。
ところが、コロナ禍、オフィスに出る人がすくなくなって、オフィスなんかいらんのちゃう?っていうことが言われています。東京のほうでは、大きな会社さんが、そんな感じになったりしてます。
しかし、その反面、オフィス面積を広くしてでも、オフィスが必要だという会社出て来ています。なぜオフィスが必要かというと、人と人は触れ合わないと、コミュニケーションをとらないと、イノベーションが生まれないし、新しいことが生まれないみたいな話がありまして。
そこで『コミュニケーション』が非常にキーワードになっている。テレワーク上でも、コミュニケーションどうやってとればいいのかわからない、ということで、コミュニケーションの価値が非常に問われている世の中になってきました。
今日のテーマは、すごくタイムリーでして、働き方の中でのコミュニケーションの価値、どういうふうにすればいいのかということ。また、画面の上では本音が言えないし、相手に本当の気持ちが伝わらないということもあったりして、素晴らしいテーマです。
コミュニケーションとは何で決まるのか』積極的に発言いただきたいと思います」

墨田
「あのう、『コミュニケーション能力が何で決まるか』、とりあえず投げかけとしてあるので、皆さん何か自分の考えというか、ひとつに絞れないかもしれないけれど、聴いていくなかで、話の展開が見えたらいいなと思います」

黄金
「今墨田さんからありましたけど、答えはないと思いますので、『コミュニケーションは何で決まるか』という、『何』、というところ、これを発表していただきます。『コミュニケーション』そのものの解釈は何でもいいので、これについて、私はこう思う、というかた、挙手をお願いします」

黄金
「じゃ、あてますよ。この中で一番たけてそうな緑山さん、何かありますか?」

緑山
「今回Facebookでお題を見たときに、また難しいお題を、蒼天先生が考えたんかなと僕は思ってたんですけれどもね、違うんですね。テーマは墨田さんが考えたんですね」

蒼天先生
「そうです。今回は墨田さんです。幹事みんなで相談して決めるんですが、ある程度流れも必要ですからね、前回、前々回やったテーマ、その流れの中で、決めていきます。たまたま今回はコミュニケーションになった、ということです」

緑山
「テーマを見てからですね、私なりに、事前に予習をしてまいりました。今黄金さんのおっしゃった流れから行くと、まずオフィス改革、から。
実は私のオフィスは20坪で、8人仕事をしてるんです。ひとりあたり、160×160㎝のパーテーションで囲んで、デスクを置いてるんですね。で、春にまた、人が増える予定なんで、移転をしようと。倍の40坪に、移転を計画しています。
おっしゃったように、コミュニケーションというのは、営業に直結する仕事だと私は思っているんですね。それも、環境が一番大事、と思っているんで、ひとりあたりの面積を200×200㎝に広げて、パーテーションできちんと区切って、独立した空間で、みんなデスクワークをしてもらおう。その中央に大きなテーブルを1個おいて、みんなで集まれるようにしていこうという絵を描いています。

そうやって環境を一生懸命作ってるんですけど、会社に全然来ない奴がいるんです。
ホワイトボードに何時出勤、とか、2時に帰ってくるとか、書いてても、時間を守らない。4時になっても5時になっても帰ってきよらへん、そのまま直帰する、とかいって。
そいつはいつも何かひとり浮いてるんですよ。我々は棒グラフの世界、数字で生きてるんで、いつも最下位なんです。コミュニケーション能力なのかなと考えてました。
結局『コミュニケーション能力は、何で決まるのか』ということですが、このテーマをいただいてから思い出したのが、25年前に『ソーシャルスタイル』という研修を受けたんですね。今調べると、当時習ったのとは全然違う意味でてきてるんですけど。
例えば蒼天先生を例えると、結論を先に言わなあかん人なんや、とかね。
例えば水島さんに物売りたいときには、今これ、売れてますよ、水島さん、どうですか?と言ったら、あ、欲しいな、って言わはるとか。
例えば紺野さんに物売ろうと思ったら、これまだ世の中誰も持ってませんねん。あなたに一番先に売ってあげます、とか。
例えば桜庭さんには、この新しい商品はこういうデータで、こういう数値があって、すごいでしょ、カタログみてくださいよ、でもゆっくり考えてくださいね、とか。
人を見て、売るトークが変わるんですよ。で、それが私はソーシャルスタイルっていう風に習ったんですけれども、
私は本来コミュニケーションが苦手なんです。知らない人の中に入っていくっていうのは苦手なんですけど、学習能力で、見分けて、タイプ別に攻略方法を考えるっていうのが、まあ、コミュニケーション能力の一つじゃないかなと思います。こんな感じです。

黄金
「すいません、最後のまとめのところね、もう一度お願いします」

緑山
「コミュニケーション、私は苦手です。けれども、人を見抜く力、間違ってるかもしれないけれども、見抜く力を学習して、経験して覚えていくのがコミュニケーション能力じゃないかと思います。
ちなみに、今の売り方で売れますかね? ちょっと聞きたいですがね。見抜く能力ないかな…」

蒼天先生
「売れると思います」

緑山
「タイプを4分割したらそうなるかな、と。それを見抜く、というところだと思います」

墨田
「僕やったらどんな感じですか?」

緑山
「墨田さん難しいんですけど、たぶん、紺野さんと、水島さんの、みんなが持ってるけど、あなたしか持ってない、両方ある。社長というお仕事されてる以上、結論先に言わなあかん、みたいな、そういうイメージかな。難しい。この人には、よう売らん、て感じの。なかなか難しい。失敗するんです」

心理学的な根拠を持って、人をタイプ別に分けてアプローチの仕方を変える、ということなのでしょうか?。
ベースはそこかも知れませんが、それでもやっぱり、誰でもが同じようにそのやり方で、誰かに商品を売っていく、誰かに何かをお願いする、そして人間関係を作っていったとしても、同じ結果は出せないと思います。
緑山さんはこんなことを言われたら、こそばいかもしれませんが(笑)、やっぱりそこに「緑山さんの人間性…保険というお仕事への愛とか…」がにじみ出るから、お客様は買おうと思うのではないでしょうか。雰囲気とか声とか、そういうものも関係するかもしれません。
出会った頃の緑山さんは、いっぱい仮面をかぶっていらっしゃったイメージ、コロナじゃなくてもディスタンスが結構あった感じだったので、私保険には入らなかったと思いますが、今だったら、前よりも仮面が薄くなっていて、何ならたまに数秒、本当の姿ものぞいたりするような気がするので、たぶんあっさり保険に入りますね(笑)。

蒼天先生
「コミュニケーションが上手か下手かは別にして、人を見抜く力というのはね、僕は緑山さん断トツだと思う。初めて出会ったのが、23年くらい前。ものすごく精悍でね、保険やっておられる人とは全然タイプが違った。もうねえ、すごかった。遠藤さんのオーラみたいなものに圧倒されて、S生命に変えた、っていう」

緑山
「あの時は僕、覚えてるんですけど、クレリックシャツ、ていうんですか、袖口と襟が白いシャツ。蒼天先生そのシャツ着てはったんです。僕も同じシャツ着てたんです。青のストライプみたいな。で、そこを気に入ってもらったんだと思ったんですけどね」

蒼天先生
「僕はそういう外見じゃなくて。
僕実を言えば慢性胃炎で、ずっとそのころから病院にかかってたんですよ。『胃の病気で何かあっても、3年間保険はつきません』、とボーンと言われたんですよ。
あ、すごいこれだけはっきり言えるのは自信やな、と思ったんですよ。
そんなことまで覚えてますけどね。
この人がどんな人か、という意味で、人を見抜く目を持っておられると思います。ただし、どうアクションを起こすかはまた別かもしれないけれども。
ただ、今のは外れてます。僕緑山さんがクレリック着てはったっていう覚えありません」

(会場笑)

それにしても、23年前の出会いのことを、お二人とも印象深く覚えていらっしゃる、ということがすごいことだと思いました。相当インパクトがないと、忘れてしまいますよね。23年前なんて。長男が生まれた年!

蒼天先生
「それでは、見方を変えるという意味で。仕事から少し離れましょう。
僕はね、『コミュニケーション能力は何で決まるか』というと、菖蒲さんの短冊発表のときに、『愛』という言葉が出てきました。あれものすごく気に入っているんですよ。『愛』があれば、コミュニケーション能力は増す。『愛』がコミュニケーション能力を決めると思います。以上です」

黄金
「ちょっと角度を変えて、とおっしゃいましたけど、『愛』について話す、ということですか? コミュニケーションには愛が必要ということですか?」

蒼天
「要はね、愛のあるものについては、話し方からすべて変わってくる。気持ちの込め方も当然変わってくる。だから、勝手にコミュニケーション能力が上がる。愛がないものに対しては、相手にわかってもらおうと思ってしゃべっても、知識を羅列する程度に終わって、そこに心がこもらないから、コミュニケーション能力は出ないというか。そのへんがひとつのポイントかなと思います。
愛って、ものすごくわかりやすいし、短いし、と思います」

銀河
「同じ感じです。コミュニケーションについて、3つの考えがあります。
ひとつめは、『愛』。『愛』がすべてで、すべてのベースになっている。
もうひとつは、私の場合はですが、コミュニケーションとは、『習慣』だと思います。
引きこもっていると、発することも聴くことも、ぎこちなくなる。常にだれかとやりとりをし続けて、やっとkeepできる力。
もうひとつは、バランスということ。普段は聴くことが多い。聴くだけでも生きていけるけれども、発する、伝えるということがあって、双方向で初めてコミュニケーションだと最近思います。
無理を言ってくる人もいます。昔は無理を言われるというとは、必要とされているということかなと思って、無理をきいてきたんですけれど、それはやっぱりいい人、都合のいいひとなだけであって、私じゃないなと思って、最近は少しずつ自分の無理のないところで誰かのためになったらいいなと。
なので、私のことを利用価値が高いと思っていた人は、去っていく。こちらは嫌っているわけではないのだけれど、距離をとっていかれるひとも、あります。

自分とのコミュニケーションが一番最初に必要かなと思います。自分のことがわかってなかったら、他人を知ること、コミュニケーションをとるのが難しい。
まずは己を知れということかな。

もう一つ、
相手のことを本当に理解したいと思ったら自分のものさしを横においておかないとあかんなと思います。
この人正しい、正しくない、好き、嫌い、合う、合わない、という自分のものさしで相手をはかると、それまでで終わってしまう。自分に合わない人のことはそれ以上理解ができなくなる。自分の物差しは自分のことを考えるときに必要で、誰かを接してるとき、自分のものさしいらんな、と思います。コミュニケーションは、自分の正しさを主張する場ではない。お互いにわかりあう、深め合うよく知り合うということだなと感じながら、最近おります」

黄金
「質問いいですか?
最初の、いい人になるのではなく、自分を大切にして、できる範囲のなかでやるという話と、最後の、ものさしの話って、矛盾がないんかな?
他人の全てを受け入れようとしてやってきたけど、そこには自分自身を大切にできない部分があった。自分を大切にしたいよね、それで離れていく人がいても別にいいよね。
最後の話は、自分の物差しをしっかり持ちすぎて、相手を自分の価値観にはめるんじゃなくて、外して、ということじゃないですか?
自分を大切にするという部分と、物差しっていうのは、矛盾するような感じがするんですけど、その辺はどうなるんですかね?」

銀河
「そこはね、まず、自分なんですよ。自分を大切にするという自分がいる。
そこに、他人から無理なお願いをされますよね。私はそのお願いは、受け入れることができないのです。こういう理由で、できないのです。ときちんと相手に説明して、コミュニケーションをとる。これが自分を大切にするということ。
相手になんでそんなこと言うの? なんでそんな無理をいうの? という批判をするのではない。批判をして、拒絶することを、自分の物差しではかる、ということです」

黄金
「いい人になるのではなく、自分を大切にする自分がいる。自分の物差しは持っている。けれど、それで他人を図らない。批判しない。だから矛盾はしてない。そういうことですね。わかりましたオッケーです」

ありがとうございます!そういうことです!わかりやすくまとめていただいて感謝します。
自分の話がまどろっこしくて眠気を誘うような表現ばかりで、本当に眠たくなりました。
もっと人の心にきゅっと刺さるような、短く的確な言葉を発してみたいと切実に思います。
自分のあかんところを見るのは本当につらい(笑)。でも、この機会を逃さず、さわやかな発言を学んでいきます。

蒼天先生
「ひとつだけ…。年齢に開きがあるからかもしれないけれど、僕はもう、無条件にいつも物差しは持っています。合わない人は逃げていきます。接するの嫌やから。
僕はもう、徹底的にその主義です。相手に向こうへ行けというのではなく、知らん顔してさっと逃げていく。僕はその主義です。敢えて不愉快な思いをしながら、人生の中で、日々の暮らしの中で、不愉快な部分というのは持ちたくないんですよ。だからそういう不愉快な人からは、こちらから逃げる。そういう意味では、物差しはいつも持っている、ということかな。僕はそういう生き方をしてますけどね、昔から。だから組織にいられなかった」

なるほど、そうなのですね。
自分とは違う、蒼天先生の考え方生き方を「受け止める」ということはできる。
それを「受け入れる」ことに関しては、自分の物差しで考える。批判するとか反論するとか、そういう目線ではなくて、「自分はどうしたいのか」ということにフォーカスする。
きっと自分はそういう姿勢なのだと思います。
憶測ですが、蒼天先生は、とても能動的、自らが光る、太陽のイメージです。
比較するとしたら、自分は、受動的、照らしてもらう、月のイメージです。

菖蒲
「いいですか?銀河さんの話をお聞きしながら思ったんですけども、人見知りの人はコミュニケーション能力が低いのか? 自分勝手な人はコミュニケーション能力が低いのか?ということも考えてみたんです。
人見知りとか、自分勝手とかいうのは、基本的にその人のキャラクターであって、その人のコミュニケーション能力が高いとか低いとかというレベルとは、全然違うんだなと。嫌なものは嫌とはっきり言える人。
納豆は身体にいいって言っても、どうしても好きにはなれないという人がいたんですよ。絶対に食わん。と言った人がいましたけど。嫌いなものは嫌い、と。でも、いいということはわかっていても、無理して受け入れる必要はない。
ひとつその、キャラクターの問題で、そのことと、自分たちが、社会の中で、最初あなたと私、You and I の世界、そこから始まって、自分と他者との関係、の距離、をどういう風に給(たも)ったり、縮めたりとかですね、その距離感みたいなものを、ソーシャルディスタンスという言葉がございますけれども、その距離っていうのが、どういうふうにあったら、自分が心地いいのか考えないといけないんじゃないかってことを、私は最近すごく思ってまして、要するに、ひとつの型として、こうあるべき、という話ではなくて、自分にとってその距離感がどうなのかっていうのを考えることが非常に大事なんじゃないかと思いますね。
だから、よく若い新入社員とかで、自分をわかってもらえないから、俺の能力をわかってくれる人がおらんから、俺はこの会社にふさわしくないと言ってやめていく人もいるかもしれない。
けれども、じゃ、自分をわかってもらいたいと思う、わかってくれる人がいるとかいないとか考えるときに、逆に自分は相手のこと、他者をわかっているのか、わかろうとしているのかが問題になってくるんだと思うんですね。
コミュニケーションは、一方通行の思いだけでは、成立しない。さっき銀河さんがおっしゃったように、双方向の問題である。行ったり来たりのやりとりがない限り、コミュニケーションなんか生まれないし、その能力が高いとか低いとか、っていうことは、一切言えないんだろうと。
ということは、あなたと私の関係で、どっちかが閉ざしてしまったらもう、そこにはコミュニケーションは、成立しないというようなイメージを、私は持っています。

話を変えます。
ふさわしい色を決めていくときっていうのは、好き嫌いだけでもないのです。理屈理論として、色彩の理論として何色が私たちにこんな効果をもたらしてくれるっていう、情報ですね、例えばピンクを見ると、私たちの精神とかを緩めてくれるとか、青とか赤とかそれぞれの効用があるんですけれども、そういうものがもたらす、知識としての情報があります。
ふさわしい色を決めるときには、いろんな要素が大事で、最終的に一般的な好き嫌いではなくて、そこにふさわしい色っていうのを客観的に決めるときには、いい悪いで考えていくしかないと。
そこで、右脳左脳の話なんですが。
好き嫌いっていう直感、感覚っていうのは、右脳で判断してると思うんですけど。
左脳のほうではいいとか悪いとかいうことをロジカルに考えてるんだと思うんですね。
さっきのものさし、自分の中で無意識に作り上げたものさしでも図ってるし、色に関していえば、いくつかのアプローチでここじゃないか、という落としどころ見つけて行くのが私の作業なんですけど、いつのまにか、私は、左脳がどっと大きくなってですね、いい悪いだけでものを判断するように、どうもなってたんじゃないかと。見栄張りということでもないんですが、客観的に、どう見られているか、どう思われるかっていうことを、仕事上皆さんにプレゼンテーションして、あなた主観的にものを見てるから、もっと客観的に見なさいとか言ってたんですよ。
結局私の最近の悩みは何だったかというと、自分の好き嫌いとか、快不快とか、本音を言うことが少なくなってしまって「まいっか」言って、ここで止めてしまうようになったわけですよ。そのバランスの悪さに割と最近気が付きまして、どこかで正しいことをやろうとする自分に気がついて、なんか今自分に言い聞かせているのは、好き嫌いをはっきり自分の中で確認して、言おう、とか、快不快を顔に出そうとか。
自分のダメなところは見せたくない、っていうのを、ずっと自分の中で背負いながら、そういうふうにふるまってきたことに気が付きまして。友達から指摘されたんです。自分が全部背負ってやるより、弱音を吐くとか、自分が嫌だとか、そういう自分の本当の感情を吐露するときに、人は助けてくれるんだと。びっくりしました。そこは一晩考えましたね。
私は全部ひとりでやってきて、悩みを誰かに相談することはなかったんだということに気づいたんですね。よく頑張ったとほめてくれる人もいるけれど、相当しんどかったことに気がつきました。
これからは、そういう意味で、自分で無理をしないように、また、そういうことに気づくということ自体、私自身が、コミュニケーションする、という土台ができていくんじゃないかな。新しい出発点に立ったような気持ちにまたなりまして、このお題で今回このことを改めて考えた次第ですね。
双方向である、ということと、そのやりとりを第三者が見てて、指導者的な物言いをしている人に、共感は持たないと思うんですね。

私の情けなくて、ダメなところが、やり取りの中に見え隠れすると、菖蒲さんにもそういうところがあるんやね、と、そこで共感って生まれるものなのかもしれんな、ということに、遅まきながら気づいた次第です。

黄金
「ありがとうございました。非常に面白いというか、よくわかります」

菖蒲
「自分のポジションとか、立場で『先生』って言われたりとかすると、自分で立ち位置を決めて、それにふさわしい型とかふるまいを、つい考えてしまってたんじゃないかなと思いますね。それを言葉で表すと、『自然体』とかっていうとまた違うし…。
ものさしって絶対いると思うけど、自分の器、許容範囲が狭いときから、大きくなっていけば、ものさしはしっかりあっても、自分がぶれなければいいのかなっていう、感じはしたんです。それは先入観とか固定観念とかいう意味ではなくて、『自分の中でゆるがないものは何か』『自分の内側への探求』と、それと、『外に対してのオープンマインド』と、その両方がいるんかもしれないな、と。なんかそこらへんですかね、最近すごく感じるのは」

「なるほど、すごい、深い」という気持ちがいっぱいで、ここら辺は聴いているだけで、全然タイピングができていませんでした。

蒼天
「いや、今の話に関連することですが、僕、平成31年2月、会社解散をしてすべての肩書をとったんです。
そうしたら、自由になった。急にね、考え方の視野が、視界がぶわっと開けた。だから、そういうものは余分なものだったんだと、自分で自分の視野を狭くしてたいうことを、無意識に思ってた。
余分なものを払いのけて、本当に自由闊達に自分の信じること、感じたこと、自分のものさしで生きるのがいいかなと思った。なんでも言いたいこと言えるし、反論されても腹立たないし。ということを、肩書とって感じましたですね」

菖蒲
「そういうものなのかもしれませんね。
先生の境地っていうのは過去が無駄だったのではなくて、経てきたプロセスあってのその思いなのかな、って思いますけどね。
好き嫌いとか、いい悪いとか、右脳左脳、ゆらゆら行ったり来たりしてるんだなっていう気はしてますけどね。そのはざまで揺れながら、そこに1本の棒があるみたいな感じで。動きながら、だんだん芯がしっかりしてくるみたいなイメージ。死ぬまでゆらゆらしてるかもしれませんけどね」

黄金
「菖蒲さん、質問いいですか?
『好き嫌い』は自分の好みですよね。
『いい悪い』『正しい正しくない』この違いはあるでしょうか?
『いい』と『正しい』そこには違いがあると思うんだけど」

菖蒲
「違うと思いますね。
『いい悪い』というのは、客観的な視座をそこに入れていくようなイメージですね。要するに、主観的な感覚で好き嫌いと分類するのとは違って、ちょっと俯瞰して、周りの状況を見て、客観的に見て『いい悪い』という振り分け方があるんじゃないかな。
周り周辺まで取り込んで見て、周辺からはどう見えているのか、私は色の対比なんかで言うんですけど。色は単独で見えているわけではないから、その周辺によって、美しく見えたり、汚く見えたりするわけですよね。だから、全体を見渡して、いいのか悪いのか、もうちょっと視界を変えて見る、みたいなイメージですかね。という感じですかね。

『正しい正しくない』はもっと社会的ななんていうんですかね、ソーシャルな感じ。もっと社会としての中で考えなくてはならない問題」

蒼天先生
「いやね、社会通念としてね、正しいか正しくないか、そういうものさしで見られる方と、僕の場合は、自分のものさしで図って、正しいか正しくないかを判断するから、もう既に原点が違うんですよ。だからややこしくなるんですよ」

あの、それは人によって、整理の仕方が違うかもしれませんけども、『正義』っていうか、『正しい』、っていうのは、社会通念上、というか、ルールであるとか、型であるとか、常識であるとか、ありますけれど。

私一番嫌いなのは、ずっと日本の社会の中で言われてる、『世間が』『みんながしてるから』。よく親に言われてものすごく反発してましたけど。
要は、『私がこう思うからこうしなさい』、なら、納得できるんです。自分の視点で子どもにも言うべきだと思うし、『私は悲しいから、そんなことしてほしくない』って言えばいいものを、『これはしちゃいかん、するべきではない』、って言われると、ムカッとしますよね。なんかそういうのってあるんじゃないかと思うんですよね。
武道などの世界では、正しいと言われているから、あなたはその行いに従いなさい、という正しさであるとかルールとかっていうはあるかもしれませんが、個人で考えるときはまた出発点が違うかなという気がしますよね」

蒼天先生
「実を言えば、『世間様』とかね、そういうのは、我々の教育が、平均的な人間を作ることに主観を置かれていたからですよ。だから、平均的に、まんべんなく高得点を取る人が優秀、とかね、そういう価値判断だったんですよ。それがずっと続いてきたから、平均的な人間、平均的な判断、平均的なものの考え方、そういうものが正しいと思っている人がすごくいると思います。
ただ、平均的な人間って、おもしろくないやないかと。例えば安藤忠雄なんかがね、明らかに平均という日本の教育から完全にはみ出て、ということですよね。エジソンもそう。小学校もまともに出ていない。自分が電気のことばっかり勉強してた。
結局のところ、平均的な人間を作ろうという方針、日本だけじゃなくてアメリカの方がきついですけどね、平均主義が今までずっと文化として根付いてた、そういうことがあると思います」

菖蒲
「私がずっと感じてたのは、主語がないしゃべりをするのは学校の先生だった、ということ。それは、小学生の頃から、『私はどう思う』、という『私が、』がないのが、ずっと疑問だった。
なんでか? 日本語は、言語として、方向性、ベクトルの見えない会話をするので、英語のように、『私は、あなたが、好きです』みたいにはっきりしていないわけです。
日本語はそこを曖昧模糊としたところに、ひとつの面白さがあるのかもしれませんけれども。ある社会が作られるときに、主語がないと、コミュニケーションは生まれないという気がする。
そういう中で私たちは、学校という教育の場にいて、育ってきたんやなって、つくづく思いますね。

なぜ、目標とかスローガンとかに、『コミュニケーション』とか、『笑顔で』って掲げるのかというと、ないから掲げるんだと思うんですよ。
北九州市がそうだったんですよ。『笑顔で』
スローガンというものは、全部、今ここにないからスローガンにしようとするもので、『笑顔で』スローガンにしてアピールしたら、この街は、笑顔がない、って言ってるようなものじゃないですか、と言いました。大多数の人たちは全然気にしなかったですけどね。
私は工業都市で育ったから、人との関わりを求めないという地域性というのがあったんで、人と関わることはよくない、笑うこともよくない、という文化の中で育ってるから、私は息苦しかったんですけれども」

蒼天先生
「八幡製鉄ですわ。チャップリンのモダンタイムスの世界ですわ」

菖蒲
「余計なことは一切してはいけない。私は、八幡製鉄ベースの新日鉄さんに行って、工場の色彩設定なんかについて、いろいろやらせていただいたときに、中に入って、初めて分かったんです。
隣りの人を見てない。隣で倒れても、救急車呼ばないんです。関係なかったら。
顔見知りでも、すれ違うときに、見てないふりをする。普通挨拶しますでしょ。でも、自分の所に来るんじゃない時には、挨拶もしない。すごい文化なんです。そういう地域性というのも感じましたけれども、えてして、そういうところ、人に関心を持つな、関わりを持つな、大声を出すな、っていう中で育つ文化っていうのは、コミュニケーションがない。コミュニケーション力がすごい低いんです」

蒼天先生
「それは全部、アメリカのせいなんですよ。
FWテーラーという人が、19世紀かな「科学的管理法」という本を出した。それがバカ当たりしたんですよ。
何がどうなったかというと、今まで車を買おうと思ったら、労働者10年分給料が必要だった。ところが、科学的管理法で指導したら、それが3年分か、1年分の給料で買えるようになった。
その考え方とは、会社には経営者、管理者、労働者の三者しか要らない。管理者は管理、経営者は経営、労働者は作業。労働者が提案してもだめ。言われたとおり作業に従事するという文化が、アメリカにできたんです。
そういう文化は、先ず最初にメーカーに入ってくる。
効率を上げたりとかね。私もメーカーに勤めてましたから、山ほどそういう文化が入っていました。とにかく横文字ばかりでした。そういう所で僕はいましたので、よくわかる。
いい悪いの判断は自分でしない。してはいけない。言われたとおりにする。まさにチャップリンのモダンタイムスの世界です。そういう文化が新日鉄にたぶん浸透してた。
だから日本は短期間で経済成長を遂げられた。そこにつながるんですけどね」

菖蒲
「鉄が日本を支えていた時代が確かにあった。新日鉄に入って仕事をしているときにびっくりしたのは、今まさにおっしゃった、ホワイトカラーとブルーカラーがきっちり分かれてて、現場の汚いところは、隠すんですよ。
私は環境整備で入って行ったから、現場ではたらくお父さんたちの、失語症状態に驚いたんですよ。『あれこれそれ』、みたいなね。
要するに、そのころちょうど奥さんがたが、『亭主元気で留守がいい』、と言ったり、旦那が家にいたら、ごみ扱い、邪魔者扱いみたいな時代がありましたよね。で、お父さんたちは、『風呂、飯、寝る』みたいなことしか言わないし、家の中でもコミュニケーションがないわけですよ。なんかもう、夫婦の中にあったかいものが流れている風景がなくてね。
それから、節電と言いまして、昼になったら電気を消して、みんな真っ暗な中でご飯食べてるんですよ

1時間以内の昼休みの間に、働いて、ほっとしたい時間に、こんな劣悪な環境はないと思ってですね、お父さんたちとってもかわいそう、と私は思ったんです。
失語症とか言われたりしてね。一番ショックだったのは、そこで提案書を書いたんですよ。当時の労働省の役人や、産業医科大学の教授たちと話し合って、労働環境を改善するっていうんで、63箇所のサブセンターっていうのがあって、みなさんそこに出勤して、着替えて、現場に出るんですよ。終わったら戻ってきて、お風呂もあって、そこで着替えて帰る。バスで門の所まで行って、そこから自分の車や公共のバスに乗って帰る、という状態なんですけれども、ずっとONの状態で働かされて、ちょっとスイッチ切り替えてとかいう状態がないから、サブセンターのところでゆっくりくつろぐ空間、休憩するスペースとか、それから緑もあったらどうかと。
そこで、緑は何のためにあるのか、っていう話が出たんですよ。
『見せたくないものを隠す緑』、って言われたんですよ。それがここの中の常識だからって言われたんですよ。

お客さんが来るその動線は、緑を整備して、中身が見えないようにするんだって真顔で言われて、驚愕したんですね。
サブセンターの皆さんが、配置を変えて、という提案書をまとめ上げたんですけど、その担当者が転勤になって、実現しませんでしたけどね。

そこの実態をみたときに、よく北九州市が文化不毛の地と言われ続けて、疑問だったんだけど、そのことを経験して、このお父さんたちの苦労の上で、私たちは好き勝手言わせていただいてるんだってその時初めて思ったんですよ。北九州の基盤はここにあるんだ、って思った。
その横にある黒崎っていう商店街でね、物が売れんとか、ファッションとかいっても、モンペとか置いた方が売れるのよ、自暴自棄になった店主たちがそんな言い方するんですよ。いやそんなことはないっていうんですけど、もっとやっぱり、夢を与えてとか、ファッションに夢を与えてとかいうけど、お父さんたちの現場がそんなんでね、そりゃなんか現実の話になるよな、と街の成り立ち全体が、初めて見えたときでしたね。それが30年近く前の話です。
新日鉄は、4S『整理整頓清掃躾(しつけ)』って書いてあるんですよ。
驚いた、誰が誰をしつけるの? 驚愕でした。余計なことは一切言うなっていうし、そういう世界ですね。
だから、小倉の方は、住友金属と新日鉄、その富士製鉄、八幡製鉄の系列がありましてね、夜、飲みに出かけても、大声でしゃべるなと。隣にだれがいるかわからないからしゃべるなという訳ですよ。関西人をすごく嫌うんですよ。声が大きいですから。
そういう光景を若い時にずっと、北九州の土地で、経験として、稀有な体験だと思うんですよ。中に入り込むことをさせてもらって、現場を見せてもらうという。
下請けの会社なんて、刑務所よりひどいような現場でした。ドロドロ、油まみれの世界。
新日鉄さんは、ブルーカラーでも、そこまでやらない。下請けが一番汚い仕事をやるんです。黙っとっていいんかなというくらい、ショックを受けました。

これだから、労働環境を変えるっていう、少しでも整備して、お父さんたちが働きやすくしたほうがいい、っていう、全部計画書を作ったんですけどね、ずっとその仕事をしている会社の人がいたんですよ。事情通の外部の人が。そこと組んだわけです。映像の会社でしたけど。その社長というのは、極端な人でしたけど、私の文章を読んで、手直しを全部してくれって言われたのは、新日鉄用語に変えてくれって言われたんですよ。それがまた衝撃で、え、どういうことですか?

要するに、例えばオンとオフみたいな話っていうのは、パブロフの犬っていうのがありますよね。そういう世界なんだから、ここの書き方はこういう風に書いてくれとかね、全部文言を変えさせられました。もう涙が出ました。ここまでして、ちゃんとしたまともな会話が通用しない世界ってあるんだと思ったし、ゲートっていうのは、門番みたいなもんなんですよ。別世界に入るんですよ。そこから中に入るっていうのは。すごいなと思いますね。ほんと、チャップリンの映画と昔の映像で、八幡製鉄の、映像が出てきたときに、そのまんまでしたよ。号令で鉄をたたく。とか。その世界で見たものはほんとに衝撃でしたね。だけど、そういうものがあって、
日本人って、やっぱり『コミュニケーション下手』だと思うんですよ。もともとですね、自分の気持ちを表わしたりとか、するなっていわれたきた文化が一方であって。見ても見てないふりをしなさいとか、自分が自由に、発信する、発言するっていうことをとめられてた世界がずっとまだまだ割と最近まであったということです」

蒼天
「ちょっとだけ言わせてもらいますとね、
それは100年前のアメリカの世界だったんですよ。アメリカンドリームっていうでしょ、あれは、そういう労働者に支えられたアメリカンドリームだったんですよ。
アメリカにはコミュニケーションは、あったんですよ。なぜかというと、人種が山ほどあるから。日本の場合は同一民族だから。
それがね、もっともっと言えば、FWテーラーの科学的管理法。教育がそうなんですよ。完璧な平均主義なんですよ。言われた通りする。例外は認めない。これが教育分野に浸透したんですよ。はみ出し組は、全部だめ。それで、GMも、フォードも、クライスラーも、立派な車を作って、アメリカンドリームという社会を謳歌しはったんですな。
4月に会社に入って、5月までは、教育期間なんですよ。それから職場に配置なんですよ。教育機関の最後の1週間は、現場実習。当時55歳の人が、死ぬか生きるかぐらいのおじいちゃんでしたわ。そんな時代やったんですよ。日本の高度成長の初期のころですな。もともとスタートしたのはアメリカですわ。それが基幹産業やから。だからいつまでたってもその文化が根付いてたんだと思います。そこへたまたま異文化の菖蒲さんが行ったから。

僕入社したときに、イタリア製のスーツ着て行ったんですよ。職場に配置されたときに。お前ここに何しに来た、と言われましたわ。よう覚えてますわ。そんな時代ですわ」

菖蒲
「まさに、『出る杭は打たれる』なんて激しかったですよね。
最初に戻りますね。私たちが「主語がない教師、自らの気持ちや考えを子どもに伝えられない教師による学校教育」を受けてきたこと。
それから、偶然ですが、親が教師をしている子どもが何人か、私の事務所で働いていたことがありました。
親が教師をしている、校長をしている、官僚である、といった社会的地位の高い家の子どもというのは、けっこうめちゃくちゃで、相当変わっていました。やっぱり、いろいろ精神的なトラウマ、トラブルを抱えている子たちが多かったですね。そういうところの家庭ほど、偉い人の家庭ほど、子どもたちがかわいそうなことになっていくな、っていうか、愛情のかけられ方がちょっと特殊かな、という感じはしましたね。
親に主語がない、親が自分の気持ちを伝えるのが下手、そういうことが子どもを戸惑わせるんでしょうね。
コミュニケーションがテーマの話が、だんだん昔のことを思い出してしまいました」

黄金
「僕は前からひとつだけ疑問に思っていることがありまして。
コミュニケーションというのは、とることが目的なのか、コミュニケーションというのは、何かをするために必要なものなのか、そういうことをよくいろんなところで話聴いたりするんですけど。
コミュニケーションというのは、手段であって、目的じゃない、という人もありますし、コミュニケーション自身が、目的なんだ、という人もいらっしゃる。その辺、皆さん考えられたことありますか?
あの、何かを成し遂げるためにコミュニケーションをとって、企業でしたら、コミュニケーションをとることが会社でいい案が生まれてきたりとか、いろんな課題、問題点を見つけ出してですね、いろんなものが、お互いにわかりあいながら、そういう課題、問題を解決していこうよね、コミュニケーションをとると、そういうのが見えてきますよね、っていう
会社をよくするために、コミュニケーションをよくしましょう、ということなんですけど、中には、コミュニケーション自体をとろう、という、コミュニケーションによって、何かそこから、何がどうなるかわからへんけど、コミュニケーションを目的にしましょう、というところもあるんです。
その辺皆さんはどういうふうにお考えかなと思うんですけど。
私自身はですね、コミュニケーション自身はやっぱし何かを成し遂げるためにあるというものではなくて、コミュニケーションをとること。そこから何が生まれるかわかりませんけれども、そういう無駄話でもいいし、お互いがわかり合うために、必要な部分、でも今企業で言われているオフィスづくりの中で言われてるのは、
コミュニケーションを密接にすることによって、会社をよくしよう、業績を伸ばそう、というのが主力なんです。でもその辺は、答えはないんですけれどね。だからそういったこともあるというようなことで、僕自身は疑問を感じております。
例えば、紺野さん、コミュニケーションって、意識してます? 毎日?」

紺野
「いや、してないですね。そんなに重要視してない」

黄金
「そういう方もいらっしゃるんですよね。それで別に会社の業績がどうとか、関係ないでしょ? 紺野さん、自然にやってはるからね、バイクとか、何か一つのことをみんなでやってはるし。コミュニケーションやろうとか、何も意識してなくても、コミュニケーション取れてるわけですよね。そういうものなのかな、と思ったりもするんですけどね。
なんかたいそうに言うこと違うんやないか、ってみたいな。人として当たり前やろ、みたいなね。いうようなことかもしれません。
今回コミュニケーションのあり方とか、コミュニケーション能力とか書いてるんですけども、いったいそれってなんやろな、と思ったりもするんですけどね。
そういった観点で、なんでもいいんで、出してもらえますか?
紺野さんどうですか?
紺野さんはコミュニケーション能力ある人やと思うんですけど、意識はしてはらへんやろなと」

紺野
「意識はしてないですよね。僕には、目標、話題があって、ラリーをしているイメージですね。
自分のテンポよく話せる時が、気持ちよく話せてるのかなと。例えばラリーをしていて、向こうでボールを持ったままとか、ボールをすぐに返されるとか、そういうのは、自分のテンポがひとつあるのかな、と。
あと一つ、その人の性格っていうのも、重要になってくるんじゃないかな、と思うんですけれど。
昔直属の先輩が、瞬間湯沸かし器みたいな方で。(会場笑)
先輩に、『こうなんでしょうか?』って聞いたら、いきなり『バカヤロー!』から始まるとか、トンカチで殴りだすとか。その人は、すごく仕事ができるんですけれども、上に対しても、ほかの人に対しても、同じことやっていました。結局僕は家の事情でそこをやめたんですけど、風のうわさで聞くと、そこも一人狼になっちゃって、なんか変なおかしい人生になっていっちゃってる、そんな方もいらっしゃいます。
後、今会社で困っているのは、すごい無口な方が来たんですけれども、表情も硬いわ、しゃべらないわで、こっちのテンポで話すんですけど、何にも返ってこない。これは困ったぞ。前の会社でも、そうだったらしくて、仕事はすごくできる方なんですけれども、ラリーができない。っていうか、自分は無口じゃないと思ってるんですよ。それで困っちゃって、ちょっとずつなんですけれども、だんだん会話が成り立つようになってきたかな…?っていうところですかね。
最後もうひとつ、まったく表情が眉毛を動かさない、面白いのか面白くないのかさっぱりわからんので、こちらの言ったことに対して、どう思っておられるのかわからない。
緑山さんと、菖蒲さんがおっしゃったことと同じで、コミュニケーション能力というのは性格的なものもあるんじゃないかな、と思います。それをこちらがどう受け止めるのか、というのも、能力的には必要になってくるのかな、という感じはしますね。以上です」

黄金
「山吹さんどうですか?」

山吹
「コミュニケーションなんて、考えたこともない。
販売しに行ったら、1日の販売の時間、8時間くらいしゃべってる。お客さんが次から次から来られるし、向こうから聞いてくるから。コミュニケーションなんか難しいことは考えずに、会話が増えて楽しくね。

私が楽しいと思う先生は、今日は伊勢丹の地下のお弁当売り場で出会いましたよ。お弁当を買う予定はなかったんですが、たまたま売ってはる人の笑顔と会話、説明が、気持ちがいい。食べたくないけど買ってしまおう…という流れで買っちゃいました。

次の接客のイメージトレーニングみたいな感じですね。次、私がお客さんに接するときは、あの笑顔やな、あの、ソフトなトーンの会話やな、っていうことをきっちりつかみます。
その方から接客を学ぶために、ラリーを続けるために、だまされて買う。だまされて買うの、よくあるんです。(会場笑)
この人をもっとしゃべらそうと思って、アホほど買う時もある。(会場大爆笑)

結局それが、私の授業料ですわ。それで、こういう場所で、教育受けて、販売のレベルを上げてきたんじゃない。現場現場で、だまされて身に着けた力です。
けどね、だまして売ったことはない。お客様がいっぱい買うって言っても、何ヶ月後には、私は来るから、そこまでお客さんの冷蔵庫にうちの商品があったら私の販売の失敗です。次の時には、半年分くらい、買ってください、あと、2か月、お客さんのところはふたりやから、これくらいでよろしいですやろ、ていう形の販売です。

漢字や、英語なんかは覚えられないけど、ただ、お客さんの顔を覚えること、何が欲しいかっていうことを読み取ること、例えば買われる商品が鴨から雉になったら、あ、この方体調が悪いのかな、っていうそういうふうな勘、っていうのだけは、磨いてきました。
前年と今年は、必ず話題は変えます。1年に10か所くらいの催事場へ行ってました。8割が常連さんで、2割が新規です。8割のお客さんを上手に「守り」しながら、2割の新規のお客さんで、売り上げを上げていく。その8割を飽きさせないように、やっぱり1年に1回でも、飽きてくる人はいるので、飽きささんように、何にも考えずにコミュニケーション。ほんま恥ずかしいけど、コミュニケーションというのは、そんなもんかな、くらいに思っています」

黄金
「今の話聴くと、やっぱり『愛』ですよね」

山吹
「今日は、お姉さんの、マスクから上で『愛』を感じました。
このお姉さんにだまされよ、って。
こんな寒い日に外でお弁当なんてと思いながら、1600円出してね。
愛ですね。
若い人なんですけど、通じるもんがあったかな、と思いました」


~10分間休憩~15:50再開

桜庭
「色んな方面に話題が飛ぶので、一応仕事に絡めつつ話をしますね。
うちは体験型のツアーを提供して、体験を売るんですけれども、その中で一番大切なのはコミュニケーション能力なんですよね。
私はガイドに出ないですが、ツアーには、通訳する人、地域で受け入れてくれるホストファミリー(農家さん、職人さん)、が関わります。
大事なのはお客さんに必要なボリュームであったり、知識であったり、その人が何を求めているのかなということをあらかた最初に見抜いたうえで、必要な分だけ必要な量だけしゃべる能力ですね。お客さんによって、聴きたい話題、聴きたくない話題、話長いのが好き、嫌い、といろいろあります。そこを見極める力です。

もうひとつ、こっちの方が大事なんですけれども、大事なのは、職人さんであったり、農家さんであったりとの間を、どれだけうまく取り持つか、ということです。
先生から、昔昔、与えられていた課題がありまして。祇園の花街の講座があって、今神戸の大学で教授をされてる人の講座だったんですけれども、先生に誘われて参加したことがあります。花街の舞妓さん、芸妓さんを研究している方の講演会があって、その方の本に書いてあったんですけれども、芸妓さん舞妓さん、当然長唄、三味線、踊り、するのは当たり前なんですけれども、やっぱり大事な能力は『座持ち』なので、お客さんを楽しく、気持ちよくさせるのがすごく大事。ホステスさんなので、お客さんの話を一方的に聴くだけでもなく、上手に返して、お客さんとの対話を楽しんで、一緒にいて楽しかったと思ってもらわないといけない。
さらにはもう1回もう2回と来てもらわないといけないので、一緒にいて楽しかった、あの子といて面白かったと思ってもらわないといけないんですよね。その座を長く楽しく持たせるっていうのはすごく大事で大変なんだ、とずっと覚えています。
私たちのツアーの中でも大事なんですね。例えばお客さんと私たちだけがしゃべりたくなるシチュエーションって、すごくたくさんあるんです。農家さんは、あんまり海外経験がない方が多いので、我々のメンバーにとっては、こういうのがホットな話題になってて、というのがそうだよね、とか勝手に盛り上がっちゃうんですよ。そうするとやっぱり農家さんたちは面白くないですよね。
農家さんだけがぽつんと置かれる、そういう状況をできるだけ作らないようにしています。
農家さんにも、また次、お客さんに来てほしいって思ってもらえるようにしなくてはいけない。そのために、この二者両方に、楽しんでもらえる状況、話題とか、会話の方法をどれだけうまく取り持つのか、ということが大事ですね。
後、英語なので、単純な英語になおすときはいいんですけど、ちょっとウィットに富んだといいますか、少し考えてそのまま訳さない、というのも大事なんですよね。それは農家さんにとっても、お客さんにとってもです。こういう風に訳すると角が立つかもしれないっていうことがあるので、それをこちらがうまくまとめてあげる能力が必要になります。

そういう能力というのは、なかなか身につくものではないなあと思いつつ、その祇園の花街の本にも書かれていたんですけど、経験積んでいって、プロとしてやっていこうというふうに、まずは覚悟を決めることなんだなって。
それで、そのうえで、自分ができるできないが出てくるとは思うんですけどね、でもやっぱりある程度は、仕事としてやって行こうと思ったらできるはずなので、これは、みんないつでもしゃべってるんですけどね、ついつい。
特に通訳さんっておしゃべりが好きだから、自分の話題だったり、一方的にしゃべる方に行きがちなんですけど、常にテレパシーで、相手が楽しんでいるかどうか、みてね、という話題にするようにしています。コミュニケーション能力というのは何で決まるかということに立ち返るとしたら、いろんな要素があると思うんですけど、ひとつやっぱり大事なのは、トレーニングを積むこというのもあるのかなと。
うちの中で一番若い30代の通訳さんが、実は彼女だけが、通訳案内士の資格を持っていて、彼女の英語は確かに一番素晴らしいんですね。聴いてて、聞き心地もいいし、的確な表現もするし、かわいらしくて、ものすごく笑顔もいい感じで、すごく自然に耳に入ってくるんですけれども、残念ながら、評価はそれほど高くないんです。
で、一番年上の人で、私からすると、ちょっと英語雑だなと思う時があるんですけれども、びっくりするんですけれども、プロの通訳たちに交じりながらも、10点満点中10点とか取るのは、その人なんですよ。
ああもうこれは、っていうくらい、ものすごく上手なんですね。言ってしまえば「座持ち」がいいんです。で、楽しい。何につけ話題が必ず楽しくなるというか。ちょっとこう、シリアスな話題になりそうになっても、最後は笑いでうまく上手にしめるっていうのがその人なので、ああやっぱり、年齢を重ね、経験を積んで、そして本人も心がけていることあった上で、多少英語の表現が雑であったとしても、お客さんが何を求めているかっていうことを瞬時に見抜く能力と、自分がそれを実現できるだけの英語力がある、というのは、これはやっぱり培ってきたものがあるかなと思うので、私は、いろんなことを左脳で考えちゃうんですけれども、そういうコツコツためてきたものっていうのが大事だな、っていうふうに思いました」

蒼天先生が、ホワイトボードに数字を書かれました。
「7:55:38」
「印象の比率です。7というのは話した内容。55は雰囲気。38は話し方、ということらしいです。
英語が上手なだけではあかんわけです。キャリアの問題だと思いますけどね」

桜庭
「一番若い彼女は、気配りなどは一生懸命するんですが、全体的な座持ちが。
人数が多いと、ゲストどうし、ホスト、と気配りが大変なんですよ。
昔あったのが、といってもつい最近ですけど、イラン人とアメリカ人、というまあ戦争している国どうしが一緒になっちゃったことがあって、私はもうわかってたので、ものすごく緊張してたんですけど、やっぱり農家さんが、『ISやろ』とかね、(会場どよめき)わかるじゃないですか。自分たちのこと言われてるって。アメリカ人はやっぱり基本的に偏見的に見るし、イラン人はフレンドリーにしたいと思って、日本に来てるくらいだからね、来てるんですけど、はあ…という感じになるんですよ。その時はベテランの通訳さんを充てたので、上手にいったんですけど。
話題や所作ひとつとるにしても、農家さんへの、『それ言わない』『そういう顔しない』っていう目で合図する力とか、そういうものが全行為で必要なんですね。
まずバックグラウンドを知ってないと。
この国の人たちはあんまり仲良くない、基本的に、お互いいい印象持ってないはずだから、何の話題はタブーで、何だったら喜ばれるかと。そこを目指したいですしね。国は戦争してても、私たちはこうやって平和にご飯食べられることに感謝して、また、別れたら民間では仲良くしましょうよ、と。最終的にそういう話題に持って行って、帰っていただいたんですけれども。そういうことも全部わかってないと、いいツアーには絶対できないので、すごくいろんな能力が必要だよなと自分では思いますね。この仕事をするにあたってはね。そうすると英語力というのは、実はパーセンテージはすごく低い。もしかしたら、さっきの印象の比率でいうと、7レベルが英語力かも知れませんね」

蒼天先生
「難しい仕事するほどええやんか」

桜庭
「そうなんですよ。すごく思います」

蒼天先生
「難しい仕事ほど楽しいと思うよ」

桜庭
「表面的に今ね、例えばホテルとか民泊もそうですけど、国が奨励して補助金も出すので、わーっとみんなおんなじことやり始めて、ツアーも各地でいろんなことをやってる人が出て来てるんですけど、私は、大事なことというのは、何をするか、というより、最終的に、滋賀とか湖西とか、何にもないところに来られて、ここにまた戻ってきたいと思わせるのは、何をさせるかじゃなくて、誰と出会ってどんな会話をしてそしてどう関わったか、そういう思い出で決まるんじゃないかと思っているので、その意味では、よそでいろんなことをやられる人が出て来ても、そういう能力が必要だって気づいている人って、そんなにいないんじゃないかと思っていて、なので、もちろんガイドさんたちは日々やっているので、気づいていると思うんですけれども、ただ、そこまでやれる人はなかなかいないだろうって、私の中では東京や京都とかに行ったらもしかしたらそういう人もいるかも知れませんけど、田舎に行けば行くほど、そういう人は少ないと思うので、その中で、この能力をうまく培っていくというか、トレーニングしていきながら、高めていけたらいいなといつも思っています」

蒼天先生
「結局コミュニケーション能力というのは、総合力やな」

桜庭
「私の中ではそうですね。うちの場合でいうと、知識がないとまず成り立たない。そして五感で、その人の求めているものに対応できる自分の許容範囲を知ったうえで、精いっぱいお見せする、足りない能力は農家さんに補ってもらうとか」

蒼天先生
「農家さんも大分慣れてきた感じやね」

桜庭
「逆に怒られる、座持ちの件であんたらばっかりしゃべって楽しそうにしてるけどなあ、みたいなことはよく言われるので、それはもう、私には直接は言わないんですけど、うまくそこに気づいてもらって、農家さんも、皆さん戦時中で英語を勉強する機会がなかったから、自分らもしゃべれたらしゃべりたいのにと思って関わってくださってるのでね、できるだけ置いてけぼりにしないで、農家さんがが主役になれる場面をつくろう、と私自身は心がけて、設計してるんですけども」

黄金
「ありがとうございます。どちらかというとビジネスについてのコミュニケーション力、というのを今お話してもらいましたが、ご質問等ございませんでしょうか?」

蒼天先生
「花街より難しいな」

桜庭
「そうですか? 日本人の方が難しいと思います。外国の人の方が楽ですね。日本人は見てる視点が違うというか、もっと意地悪だと思いますよ。まずは見た目から入るじゃないですか。かわいい不細工とかね。そこで、そうでしょ?
海外の方は、まずそこで評価するってことはないと思うんですけれども、残念ながら女性が接客するということに関しては、まずそこからサービス業は入るでしょ」

蒼天先生
「質問ですが。
日本人は、かわいい豆奴ちゃんがいいと思う。かわいいかかわいくないか。では外人は何をまず第一に考えるの? 何が、まずものさしになるんやろうな?」

桜庭
「たぶん笑顔と、全体の雰囲気ですよね。ウェルカムされてるされてないっていうのは」

蒼天先生
「やっぱり内面の問題か」

桜庭
「それはそうだと思います」

蒼天先生
「今黄金さんが言ってたんだけども、外国人からしたら、日本人はみんな同じ顔に見えるんはないかと」

黄金
「そう、顔かたちがね。雰囲気は別ですよ。だいたい日本人、ていうイメージが一緒なんじゃないかなと」

桜庭
「抱くイメージは一緒だと思うんですよ。アジア人全体が同じような感じですよね。

もちろん日本の方でもそうだと思うんですけど、やっぱり美人が来た、っていうのは、全然違うと思うので、私たちはそこでは勝負できないから。多分日本人を相手にすることはないだろうと思ってますけど。
こちらはアクティビティですので、そういうところで評価されることはないんですけどね。ただ日本の人はすごく細かいし、通訳の中でもいつも言うんですけど、日本の人って、『Thank you』って言わないんですよね。なんかやっても当たり前と思うのか、サービスレベルが高いから、山吹さんなんかだったら、絶対『ありがとう』って言ってもらえると思うんですけど、普通のことやっても、絶対に『Thank you』って言わない…」

蒼天先生
「それは習慣やろ。文化やね」

桜庭
「そうなんですけど、それが私たち的にはやっぱりあんまりおもしろくないというか。
外国の方だと、ちょっとしたことでもものすごく喜んでくださるし、ちゃんとそれを『Thank you』って言ってくれたり、チップくださったりとかするので、そりゃどっちと仕事したいっていったらこっちの方がいいって私的には思いますけどもね」

黄金
「ありがとうございました。では、墨田さんいかがでしょうか?」

墨田
「そうですね、桜庭さんも、ビジネス視点で、仕事という視点でお話くださいましたが、私もその視点でしゃべらせていただくと、本当に共感する部分が多くて、私は外国人の方を相手にしているわけではないですけれど、お客さんと何らかコミュニケーションをはからないと仕事にならない部分というのが大きいです。
職人さんには、こちらから何かを伝えて、やってもらうことですけど、
対お客さんとすれば、何かを形にしてほしいと思っておられるので、そのヒアリングとかいうときにも、コミュニケーション能力がいりますし、必要最小限いるかなというところです。
何で決まるかという部分は、…ちょっと話がそれてしまうかな…?

さっきの、コミュニケーションは手段なのか、目的なのか、という部分でいうと、僕は完全に手段だと思っています。不必要なコミュニケーションは取らなくていい場合もあると思うので、確実に手段なんですけど、それは仕事だけに絞って考えたときには、結構雰囲気の部分かな、というふうには思っています。

いかに相手を理解しようとしてるか、ということと、コミュニケーションってそもそも何かを伝える伝わることなのかなと思っているので、それがいかにできるか、ということで決まるかなあと思っています。雰囲気ひとつで決まるわけではないんだけど、いろんな要素があるのかなあと思っています。

桜庭
「墨田さんですか? 今日のこの話題を設定されたのは?」

墨田
「というふうに一応なってますけど、先生、事務局で相談した上で、決めました」

桜庭
「なんでこの話題にされたんですか?」

墨田
「それ、難しいですわ」

蒼天先生
「流れですわ。
だって、コミュニケーション抜きで、生活もビジネスも、できひんやんか。
よく考えてみたら、コミュニケーションなんていうことは今まで話題にあげたことはほとんどなかったから、1回はやっとかなあかんな、と思ってね」

墨田
「だからそのコミュニケーション能力、は、今皆さんのお話をいろいろ聞かせていただいたら、緑山さん、山吹さん、桜庭さんは、現場で、対面で、人との何かを引き出すとか、という部分で、むちゃくちゃコミュニケーション能力高いなと思う。スキルという意味でいえば、絶対そうやなと思いますし、それは意識してるとかじゃなくて、無意識に身体に染みついている感じがするので、まさにトレーニングを積んではるのかなあ、と思います。
そのほかの場面ではどうか知らないですが…」

黄金
「『ほかの場面ではどうか知らないですが…』とおっしゃったじゃないですか。
コミュニケーション能力は、場面によって、出せる場合と出せない場合があるものなのかな? 能力があれば、どこでも出せるはずなのに、ここでは出せるのに、ここでは出せない、というふうなことってあるのかな?
それどう思います?」

紺野
「あのう、やっぱりその、言葉のラリーというか、きっとこうなんだろうな、と思うんだけど、相手に黙ってられると、どうしようもないっていうか…」

黄金
「コミュニケーションがうまくいってるか、いってないかっていうのは、どこで判断するのかな?
言葉が行き交いしたら、うまくいっているのか? そうじゃなくて、言葉の行き交いはないけれども、コミュニケーションはちゃんととれてるよ、というのはあると思います。
原始時代、言葉がしゃべれない時代でも、人はコミュニケーションをとってきました。多分それは生きていくために、必要不可欠だったから。せっぱつまると人間は勝手にコミュニケーションをとろうとするのかな。
生きていくために、コミュニケーション能力は必要だけど、どうやってつくるものなの? そもそも作っていくものなの? とかいうのがね、話を聴いてて感じました。

なんで僕が墨田さんに、コミュニケーション能力を出せる場合と出せない場合があるのかどうか、質問したかというと、
僕はいつも、嫁さんとか、娘に、外面がええって言われるんですわ。(会場笑)

外へ行ったら、めちゃめちゃ愛想を振りまいて、みんなと声掛け合えるし、家に帰ったらぼろかすに言われるしね。なんでかなあ?と思ってね。意図が伝わらないというか。家にいなかったりもあるんやけど、それはもう克服して、この半年くらいはね。

うち、社員もいますやんか。近い人のコミュニケーション僕苦手なんですよ。家族とか、社員とか。
社外の人、他社の人とはできるんですよ。『おお、元気か~?』とかやるのに、社員にはなかなかね、まあ、冗談も言うんやけど、近い人に対するコミュニケーション能力ないよな、って自分で思っていて。それってどうしたらええんかなあ、ってね。しゃべっても娘に無視されるとかね、そりゃ今までの行状が悪かったと言われたらはいすいませんなんやけど、なんか難しいよね。対外的に営業とかね、僕いろんな人と話するし、どうやったらコミュニケーション能力って身につくのかな、しゃべったらええというもんでもない難しいなあと。ちょっと僕、近い人とのコミュニケーションが難しいんです。

蒼天先生
「それ、なんで難しいか考えたことある?原因は?考えたことある?
仕事関係はちゃんとしゃべれるけども、社員しゃべれへんとか、家族にしゃべれへんとか」

黄金
「社員はまだしゃべれます。家族が一番しゃべれへん。なんでやろ?」

蒼天先生
「そらもう、気持ちが…」

黄金さん、間髪入れず、
「愛はありますよ!」会場大爆笑

蒼天先生
「そやけど、向こうの愛がどうかわからへんで」

大爆笑
大爆笑

蒼天先生
「そういう愛じゃなくて、思い、と言ったほうがいいかな。思いがね、食い違っているというか」

黄金
「そこがね、夫婦とかなったら、わからへんけど、コミュニケーションで考えると、家族と仲良くするための手段としてコミュニケーション使おうなんて思わないわけですよ。居心地がいいじゃないけど、そこに自分の存在があって、ゆったりと時間が過ぎればいいのであって、手段としてコミュニケーションを取ろうとは思わないんだけど、なんかうまいこといってへんな、と思うのはなんでかな…なんでやろ…?」

黄金さん、自問自答状態?

蒼天先生
「今までの歴史がそうさせたん違う?」

黄金
「それはね、それはある」

蒼天先生
「どっちかというとあなたの場合は、ワンウェイなんやって。今まで。社員に対してもそうや。ワンウェイで、向こうはいっぱい意見を持ってたんだけど、全部胸の内に納めといたわけや。そういう積み重ねがやはりあると思う。
コミュニケーションの主役っていうのは、話し手じゃなくて、聞き手にあるわけやんか。だから、いかに相手が好感をもって共感して聞いてくれるか、というところの視点が今まで欠けてたのではないかな?
だから主役はあくまでも受け手、聞き手やというね、そこの認識がまず持ち続けることが必要やと思う。
得意先は、仕事関係は、必ず反応があるが、社内とか、家族の場合は反応がなかったと。そこんところを修復したらいいんじゃないかな、時間かかるだろうけど」

黄金
「正しいこととか、いいこと、を、理路整然と、きちっとしたロジックで言う、言い続けてきた。それが好きなのかとか、自分でいいの、それで?というのが出てなかったからね。誰もそれをダメやという人がおらんかったから、僕と議論したら、僕が勝つんですよ。勝つっていうか、そういうふうに持って行くからね。勝っても仕方ないのに。そんなん、自分の中でも何にも嬉しくないのに。結局は」

蒼天先生
「しゃべらんことが一番大事違うか?」

黄金
「いやもう、そういうふうにしてますよ。黙ってじっと」

桜庭
「うちの農家さん、今もう77歳だと思うんですけれども、が、最近おもしろいことをおっしゃってて。
農家だから、というのが自分の中にあるのかもしれないですけど、例えば農業委員会の書類だとか、地域の補助金関係の書類だとか、作って役所とか、取りまとめをしているところにに持って行ったりするときに、完璧に書類を作って行ったらあかんのやと。つけ入るすきを与えるんやと。何かというと、できるんや俺は、みたいなふうに人間はどうしても自分を偉くみせたがるんやけど、隙なく完璧に作ったぞ、ドヤ!みたいな感じで。そうすると、向こうも、目を皿のようにして、間違いの一言一句を探して、やいっと言ってきて、要はどっちが正しいかの応報になってしまうと。人間で大事なのは、一寸相手につけ入る隙を与える、つまり、わざと書類を間違えるねん。それも、誰もがすぐ探せるようなところに、わざと間違いを作っといて、『あ、すいません、どうですかね?』みたいな感じで持って行くと、『●●さんここちょっと違いますよ』みたいな。そうすると、『ああそうなんですか!』って、へりくだっていくうちにね、すごいどうでもいいこととか、ちょっとお得な情報とか教えてくれるらしいです。
会場大爆笑
それはネタなのかなんなのかわからないけど、『桜庭さん、あんたは職業柄、偉そうにしたがるやろうけどな、ちょっと抜けてるところを見せて、ちょっと桜庭さんこれちゃうやん、て言われたときに、あああ、そっかぁ、っていう風に言ったほうが、人間は、何でもうまくいくもんやで』、って言われて、その、一歩下がって、相手に花を持たせて、で、自分はちょっとお得をもらう、ぐらいが人間いいぞ、てそれすごい能力だと思うんです」
たぶんそれは農家さんだから気がついて。たいがい農民って、どの時代でも痛めつけられてきたと思うので、そこでどうやったら重税を逃れるじゃないですけど、うまく生きていけるのかを考えてきた末に、その人はそういうふうにやってるのかなと。ものすごいおじいちゃんなんです。いつもすごく勉強させてもらっています。

黄金さんも、若干抜けたふりをしたら?

我々は間違っちゃいけないと思うと、ついつい、間違ったらこっちの沽券にかかわる部分があるので、偉そうにふるまいたがる人種が業界的には多いと思うんですけど、それはすごく目からうろこで、なるほどって思いました。

これもコミュニケーション能力のひとつだってすごく思いました。
うまく相手から引き出すことができる、っていうのはね」

菖蒲
「ちょっと違うかもしれませんけど、昔々の話ですけど。
ものすごく苦手な商工会議所の会頭がいたんですよ。
建設会社の社長で、自慢話がすごいんですよ。いきなり1時間しゃべられるっていうので有名だったんですよ。なかなか本題に入れないっていうのを聞いてね、それでお会いしたことあるけれど、初めて1対1で話をする場面に行ったときに、前情報として、その人の今一番の自慢が何かと聞いておいて、で、それを先に褒めちぎったんですよ。
会場大爆笑
すごく喜んでね、気分がよくなったみたいでね、自慢が5分ですみました。
私にとってはすごい体験でしたね。人間ってそんなもんかなと思ってね」

きれいごとだけでは語れない済まされない人間臭さ、でした。「おちょやん」のお父さんみたいな感じがしました。
自分は「きれいごと」が好きなので、わざと間違ってみることはできないし、正しさを主張するために、偉そうにすることも、たぶんあまりないと思っています(自分だけの思い込みかも、ですが…)。これらのエピソードをお聞きして、自分は何でも「きれいごとにしておきたい」「他人を信じていたい」という願望というか、執着というか、そういう気持ちが強いんだなって気づきました。そういう風に思っている方が、気が楽で。認識していなかった自分の一部を発見しました。

銀河
「面白すぎました。
自分の話は、あんまりおもしろくないたとえですが…。
いつもは完璧な段取りでパンを焼き進めていくのに、その日初めて、パンの数を間違った。1回5時間かかるので、もうその日にやり直すのは無理。終わった。と思いました。
泣きそうになって、スタッフに、『ごめん、かくかくしかじかで…』と話したら、二人のスタッフは、急にきらきらと輝きだして、お客さんとやり取りを始めてくれて、今日絶対にお届けするところと、明日以降になっても大丈夫なところを分けて、焼けているパンを分けて、私が明日からどう行動したらいいかをあっという間に段取りしてくれました。
欠けていると、周りが助けてくれる、というのはこういうことなのかな、と思いながら聴いていました」

以下偏見と固定観念に満ちた私見です…。『お父さん』について、思うこと
私自身は、両親と姉が一人、という家庭でした。例えるなら、母は太陽、私たち子どもと父は惑星、というイメージです。私たち姉妹は、水星とか金星で、太陽の近くにおり、父は一番外側をまわる冥王星(今って海王星?)。それくらいの距離感でございました。いうなれば一番外側からみんなを見守ってくれる存在でしょうか。
父が一番遠い惑星だからといって、愛情がないということではございません。同じ太陽系ですから、ちゃんと家族なんですよね。
仕事では、黄金さんは太陽で、惑星の皆さんを照らしたり、または太陽系以外の恒星の皆さんとのお付き合いがある。ですが、そのままの気分でご帰宅されると、少々ややこしいんじゃないかな、と思った次第です。家に帰ったら、みんなを照らしてあげる太陽から、太陽に照らしてもらう惑星、太陽系を構成する惑星のひとつになる、ということが、大事ではないのでしょうか。知らんけど。

実家は今、両親と暮らす姉が、太陽になっています。最初は色々反発もありましたし、みんな、元の役割に執着している感じでしたが、ようやくこなれてきて、お姉ちゃんを中心に、両親が共に、姉を支えたり支えられたりして暮らしている感じになっております。

例会でもお話しておりましたが、娘さんがお父さんを無視しちゃう、というあれは、月日が必ず解決するものと信じております。
とにかくうざいなと思っていた父も、今は愛おしく、感謝の存在でしかない。
姉にいたっては、父と性格がよく似ており、いまもなお、しょっちゅう喧嘩をしていますが、それは、お互いがよく似ているからだと、わかった上でやっておりますので、ある意味私よりもお互いを深く理解しあっていると思っています。
すみません。最後はやっぱりお釈迦様に寄せてしまいますが、この人が私の親であるというご縁に、感謝しかございません。そしてそれは、普遍的な事実だと思っています。

黄金
「僕の方が気を遣いすぎてるのかもしれん。反応を待ってるというか。自分の自意識過剰かもしれへんのですけどね、でもまあ、安心しました。
コミュニケーションって、近い人を大切にしなきゃいけないって、言われたことあるんです。
銀河さんに言われたみたいに、自分がほんまに何が好きか嫌いかとか、自分が楽しいか?とか自問自答することってあんまりないんですよね。会社をちゃんとやらないかん、ばっかりやったから。自分は楽しいのか?嬉しいか?とか、菖蒲さんおっしゃってる愛があるか?とか。まずはワクワクするのが仕事や、とか。楽しいとか、っていうと、僕は菖蒲さんの域にはまだ行けてなくて。最近はそういう気持ちにもなってきてるんですけどね。ワクワク感とか、好きとか嫌いとか、思うことがあまりなくて、どちらかというと、業績をあげなくちゃならない、業績を上げて社員の給料を上げることが僕の使命やとか、でも社員はそんなこと一言も言ってないとかね。最近はそういうのがなくなって来てるんでね、いいんですけど。ほんまにね、今楽しいか?とかいうことについては、最近やっとそういうのがわかってきた。前はわかってなかった。自分を許すとか、自分をもう少し柔らかく包み込んであげるとか、自分との約束を果たせてないとか、そういう話がよく響くようになりました」

蒼天先生
「さあ、黄金さん、今日の例会、どうまとめる?難しいで~

黄金
「非常に今日は、このお題を聞いてから、どうしようかなと思った。
少しだけ時間ありますから、皆さんにもう一回しゃべってもらおうと思うんですけど、
コミュニケーション能力は何で決まるかという、答えは出てませんしね、いろんな要素がありましたし。あり方、というのもね、こうやれば正しい、というものがあるわけでもないので、でも、コミュニケーションって、大事だよね、っていうのは、皆さんの共通認識だと思うんです。で、そうですね。最後、一言ずつ今日の例会の感想を、1分半ずつでまとめてもらおうと思います。紺野さん、お願いします」

紺野
「今日はとっても私にはないような意見を聞かせていただいて、ためになったなと思います。特にあの、最後の方に、桜庭さんが言われた『ちょっと負ける』ということ、普段俺も二日酔いネタで負けてるなあと。そういうことだったんだと思っております」

銀河
「お題を聞いて、めちゃくちゃ考えてきたけれど、自分の言ったことよりも、皆さんからお聞きした意見のほうが深くて、楽しくて、今日もためになる時間を過ごさせていただきました。これだけ聞いていても、議事録として揚げるときに、絶対に、わすれてることがあるんです。それがまた、自分の勉強にもなるし、皆さんに読んでいただいて、振り返る場になる。頑張ろうと思いました。」

山吹
「私はいつも雑談的ですけど、今やってる飲食でも、コミュニケーションってしゃべること。自分もしゃべるけどお客さんにもしゃべらせたい。食事と会話は控えるように、というような時代で、とりあえず席数を減らして、法律的には、90㎝、100㎝、これだけ幅とってますよって。パーテーションは嫌いやからつけてません。日本家屋やから、換気は十分できていますし、ふすまを開けていただいても、1組しかとってないので、お話も楽しんでくださいねという形の商売を続けたいと思っています」

緑山
「途中で色々考えてたんですけども、そもそもコミュニケーション能力って、高ければいいということでもないな、と思いました。
あと、山吹さんからいいヒントをもらったんですけど、コミュニケーション能力を使う場面、というのは、売る場面だけじゃなくて、買う場面も必要で、そういえばコンビニで煙草を買うときでも、何番を何個、って言ってあげないと、いつも何番、って言ってたら、いくつですか?って聞きよるから、何番を1個、交通系で、レシートはいらんし。って4つ言うようにはしたんですよ。吉野家で牛丼食っても、『美味しかったよごちそうさん』って言ってあげるとかね、買う場面でも、ある程度コミュニケーション能力も必要なんだな、ということと、一番最初に僕が言ったんですけど、コミュニケーション能力は、売る能力には非常に有力なツールなんですけど、思い出せば、全然コミュニケーション能力ないやつが、めちゃめちゃ数字上げる奴もおるんです。そいつは何でなんやろ、とかは、まだ考えが至ってないんですけど、今後の課題として考えたいなと思います」

菖蒲
「話せば話すほど、いろんなことが思い出されて、私はスキルという意味では、昔はうちのスタッフたちには言っていましたし、私自身もそうですけども、やっぱりまず聞き上手になるということと、後はですね、相手のプロフィールを自分が書くとしたら、というつもりで、インタビュアーになりなさい、とみんなに仕向けていたことを思い出しました。
それは自分自身が、経験的にインタビューを22、3歳の頃にたくさんやったことがものすごくよかったという経験があったからでした。これは提案なんですけれども、自己紹介ではなく、他己紹介っていうのをやってみたら、この人はこんな人です、っていうことをやってみたら、そういうのも面白いなと思いました。相手を知ることはとても大切で、原点になるのかなと。勝手に決めつけないで知ることをやっていくことはプラスになっていくような気がします」

蒼天
「コミュニケーション能力というのは、自分のコミュニケーション能力を無意識に操作する力じゃないかなと僕は思います。TPOに合わせて、自分で無意識に相手を説得する、共感してもらう、そういう能力かなと思うんですが、そのためには何が必要かと言えば、最後に物を言うのは人間の器の大きさ違うかなあと、そこが決め手になるのかなあと、そんな気がしました」

桜庭
「今日は正直に言いますと、何にも考えずに来ちゃったんですね。来ること自体を目標にしようと思ってまして。前回も申し上げましたが、すごくしんどい部分があったので、初めて体調不良というか、倦怠感みたいなのがあって、人生初めて何にもする気力も起きないという自体を経験したんですけど、なので、今回はとにかく来よう、そういう時に限って邪魔が入ったりするんですけど、来させてもらえただけで、私としては、こんな低いレベルなんですが、今日ここにいるだけで、〇にしたいなというふうに思ってまして、皆さんの話を聴きながら、一生懸命考えてたんですけれども、最後にあてていただいて非常にありがたかったです。さっきも健康トークをしていたんですけれども、いつもモチベーションは、高い方で、やる気も満々だった人間だったんですけど、こんなこともあるのかというくらい、倦怠感がひどかったんで、これからも、体調に気を付けて、また、できたら、来月再来月と、来させていただきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします」

黄金
「皆さんからいろんなヒントというか、お話をいただきました。最後に桜庭さんから言っていただきましたが、あえて隙を見せるというかですね、自分は、隙を見せちゃいけない、ミスをしてはいけないと思ってたんだけど、相手に花を持たせる、っていう考え方でいくと、それもありかな、と思っています。自分が自分が、ということを考えると、だめかな。聴く側がコミュニケーションの基本やで、という先生のお話、インタビュアーになったつもりで話を聴くという菖蒲さんのお話、今回『聴く』というのがポイントかなという気持ちで、勉強になりました。

ということで、最後、墨田さんに発表していただいて、事務連絡していただいて、終わりにしたいと思います」

墨田
「私は、コミュニケーション能力のことを深堀したいと思っていたつもりはないです。が、逆に、そういうなんに対して皆さんどんなふうに言わはるのかな、っていうのがあったんですけど、コミュニケーションってそれ自体が目的ではないって僕は思っているので、皆さんから出たお話というのが、実体験に基づいて、とか、現場はこうなんだ、という話が多いですから、それかな、って僕は思ってます。それが確認できたことがよかったです。
菖蒲さんがおっしゃったように、コミュニケーションがないから、コミュニケーションを目標にしたりするんだと、たぶんここにいらっしゃる皆さんは、そんなことは意識もしてないし、そんなことに不足を感じていることはないはずなので、やっぱりいい集まり、機会になったな、と思いました。だからもっと、今度はテーマを精査して、ふさわしいテーマを考えたいなと思いました。

事務連絡としては特にないです。来月も同じように、この会場を抑える予定です。
また、会費納入についても、ご案内が行くと思いますので、よろしくお願いいたします」

蒼天先生
「僕から一つ。とりあえず全体で一つのテーマで話し合うという形式をしばらくやりたいと思っているんですが、それについて皆さんそれでよろしいですか?」

桜庭
「私なんかは、ちょっと自信がなくなって来てるところもあるので、時には、経営の話もしたいなと思ったりするんですけれど」

蒼天先生
「全然ぜんぜん。それは全然かまへんよ。好きなことを言ったらいいんや。研究会なんやから。皆さんの話の内容がばらついたほうが面白い。まとめてさっき言ったけれども、頭を整理する意味で言っただけ。今日も話があちこち広がったでしょ。ベストな研究会だと思ってる。
それともう一つね、皆さんこんなテーマで議論しませんか、というのがあればぜひ投稿してほしい。むしろ僕が期待したいのは、それです。皆さんがそれぞれに持っておられると思うし、テーマも自由。どうでしょうか。よろしくお願いします」

議事録の文字起こしをしていると、発言者の言葉を再度、再々度かみしめて自分のものにしていくという作業になります。
当然、
なるほど、そういう視点があるのか。
この考え方はこの人のどこから発生しているのだろうか。その背景は何だろうか。
知らぬ間に考えながら作業しています。

そして、「私はこう思う」という自分の考えがおぼろげながら現れたり、現れなかったりします。

自分のオリジナルな考えなどなく、他者を知ることによって、複数知ることによって、比較したり自分にピンとくるものを寄せ集めてきたものが「自分みたいなもの」なんだと知ります。
植物の寄せ植え。
数種類の植物を、一つの植木鉢に植えるのですが、同じ花材を使っても、誰一人同じ寄せ植えがない。寄せ集めなのにオリジナル。同じ種類の花材を使っているはずなのに、全然似てない。そういう感じがします。
だからコミュニケーションって、どんな形であっても大切。自分を育てる栄養素みたいなものだと思いました。
特に、自分には合わないな、とか、全然そういう感じ、わからんなあ、という違和感のある考えほど、後々自分を育ててくれていることに気づいたりします。

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