会員コラム

田中  義信
氏名
田中 義信
会社名
株式会社田中誠文堂
部署・役職名
代表取締役
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第7回2代目

弊社は昨年12月創立60周年を迎えた。
私は2代目の社長だ。
物心ついた時から親戚から「あんたは2代目やで。しっかりせなあかんで」と、プレッシャーを受けて育った。
高度成長の真っ只中という事もあり、会社は順調に大きくなり、かなりの規模になって行った。
先代も私を幼いうちから後継者にするつもりで育てていたと思う。
大学に入ってもバイトもせずに好きな卓球をやらせくれた。

卒業後は先代の友人の京都の会社に3年間修業で入り勉強をした。
ただ、この時は勤め先の社長が出された条件でアパートで独り暮らしをすることになった。
共同トイレ、共同炊事場、共同洗濯機、公衆電話、お風呂は近くのに銭湯に行った。食事は外食。
一番つらかったのはエアコンがなく扇風機で過ごした夏の暑さだった。
でも、最初で最後の1人暮らしで、良い思い出として自分史の中にある。
当時は毎日銭湯の閉まる10:30ギリギリに入れる時間まで仕事をしていた。
その後、自社に入社し現在に至る。

私が社長になったのは、平成14年3月だ。
先代がその年の2月に急逝し、急遽社長に就任した。
それまで私は営業しかしておらず、経営そのものにはほとんど関与していなかった。
たまに先代から相談を持ち掛けられたが、営業がらみの話が多かった。
特に、銀行関連、資金繰り等については全く無知だった。

そんなある時、先代が急逝した。
いつかは社長になると思ってはいたが、こんな形は全く予想してなかった。
一番苦労したのは、やはりお金のことだ。
銀行に行ったこともなく、お金の借り方など全く分からなかった。
恥ずかしい話だが、借金の額も知らなかった。
今だから昔話として気楽に言えるが、この時のしんどさは半端ではなかった。
家に帰っても落ち着かず、特に用事もないのに、会社にいないと不安で仕方なかった。
もの凄いストレスを抱えていたことを覚えている。

でも、私は本当に恵まれていた。
当時の取引金融機関の支店長、先代の友人、取引先の社長や多くの方にすごく応援をして頂いた。
金銭的な応援はなかったが、いろんな形で助けていただいた。
これは、先代が多くの方々と本当に良いお付き合いをしていた証だった。
くじけそうになった時には励ましていただき、少し甘い言葉を発すると厳しい言葉を掛けていただいたり、感謝の言葉しかない。

金融機関の支店長が
「御社はなんていう会社ですか、多くの社長がわざわざ『誠文堂をしっかり応援せえよ。ちゃんとしろよ』と連絡して来る。こんな事を言われたのは初めてです」
と言っておられたことを覚えている。
この時初めて先代の偉大さが分かった。
そこそこ借金はあったが、それ以上のモノを残してくれていたのだった。

その後も本当に色々なことがあった。
ベテラン社員達が同時に辞めたこと、キーテナントの撤退、通販やECの台頭等業界の激変など、紆余曲折や浮き沈みもあったが、気がつくともう17年も社長をやっている。
就任当時は若手社長として見られていたが、今や中堅、いやベテランみたいな目で見られている。

今思うことは、2代目は事業を引き継ぐという感覚より、どうアレンジするといった感覚の方が良いのかも知れない。
特に今の時代は引き継いで同じことをやるのは危険だ。
私は当初、こんな時、先代だったらどう考えたのか、どう行動したのか、をよく考えた。
でも、それは違う。
自分は息子だが先代とは別人だし、育った環境も全く違う。
人脈なんか継承できるわけがない。

例えて言うと、先代から「船」を継承したと考えると分かりやすいかも知れない。
大きさは違うと思うが、社長が船長だ。
何のためにどこへ向かうのか、は船長が決めるし舵取りもする。
そして、船員たちと力を合わせて進んで行く。
荒れ狂う嵐の日もあれば、穏やかな晴天の日もあるが、皆と苦楽を共にして目標に向かって進んで行く。
まだまだ、しっかりした1人前の船長とはとは言えないが、私には先代から引き継いだ「船」がある。
一緒に旅をしてくれているクルー(社員)もいる。
これから先の航海も楽ではないと思う。
でも、まだ見たことのない大海原を目指し、皆と共に進んで行きたい。

2019.03.12
株式会社田中誠文堂 田中 義信

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