会員コラム

山口 ひろ子
氏名
山口 ひろ子
会社名
イゴス環境・色彩研究所
部署・役職名
所長
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第10回「私のしごと」について少々お話します

田中先生との出会いというご縁で会員になってもうすぐ一年。

私はまだ私自身の仕事を皆さんにお伝えできていないような気がしてもどかしい。
(「私」というキャラは多少理解していただいてるかもしれないが)
なぜそう思うのか?

私自身の中に皆さんへ遠慮する気持ちがあるのではないかと思う。
現在、個人事業者でありはするものの私は会社経営者でない。

実は、過去、20代後半に5年間、社長である父不在の同族会社を経営していた。
また2005年までの15年間、自分で起業して会社経営を行っていた。
計20年の経営経験からその大変さを理解しているつもりだ。
研究会の皆さんは、自分自身と社員や家族と向き合い、自社製品のクオリティとコストのコントロールしながらお客様に喜んでいただけるものを提供するため、日々たゆまぬ努力をされている。
それはアスリート人生のようなものだ。継続するための自分への叱咤激励がどんなものか少しは理解できていると思う。

しかし、私は仕事パートナーの親友の死をきっかけに15年で会社を清算してしまった。
実質は国金や信用保証協会からの長期の借入残債を自分で全て払い続けてからの清算だ。
当時は思わなかった事だが、継続しなかったことに対するどこか後悔があるのかと思う。

27歳のときに家業の改革のために始めたカラー分析の勉強であったが、実践に活かすため、サロンを借り、個人コンサルティングの実験を繰り返していた。
父が亡くなり、会社は叔父の会社に合併吸収されたため、私は30歳で個人事業として色彩コンサルタント業を始め、31歳で法人化し、色彩を軸にしたデザインコンサルティング事務所を始めた。地元北九州、福岡で当時珍しい職業であったことから、新聞各紙全てが何かプロジェクトをやる度に取り上げてくれ、テレビにもラジオにもひっぱりだことなり
いわゆる地元の有名人に(笑)
そして、大きな仕事が舞い込んでくる状況が生まれた。

地元百貨店の小倉井筒屋、小倉玉屋、小倉伊勢丹の社長達は私の百貨店生き残り策とコンセプトに共感してくれ、幾つかの売り場とオリジナルブランド作りの依頼。

時に、うちのオフィスは百貨店内部改革のために、やる気ある異なる部署の女子社員の駆け込み寺ともなった。上司の顔色ばかり伺わざるを得ない環境に風穴を開けた。

また、不動産オーナーからブティックを作ってほしいと依頼されれば、私の提案コンセプトのブティック(セレクトショップ)も作り、オープニングにパリコレモデルを採用してファッションショーも総合プロデュースした。
スタッフ3名の女性の教育には、カラー分析の技術の習得もいれた。一項目でも多く、お客さまのプロファイルを台帳に書き込めるよう、接客においてはお客様一人ひとりのスタイリストになれるよう次に何を買うべきか提案できる人に成長させた。

私は調子にのった、踊った。根拠のない自信というのは恐ろしい。
次々にやったことのない商業プロジェクトを難なく成功させていった。
ちょうど31~37歳(1989~1995年)の間だったと思う。
この田舎からでも世界に発信する事ができると私は真剣に信じていた。

ところが、38歳頃から(1996年)から小倉にも中心市街地の空洞化が見られるようになった。
都心部の再開発で挽回を試みるもうまく行かず、郊外には大型のスーパーができ、小倉玉屋は閉店し、小倉そごうは進出してすぐに撤退閉店、その後に画策して小倉伊勢丹入店するも長くは続かず、平成10年を境に小倉のまちは沈み続ける流れになった。
幼い頃から、商店街と百貨店がお庭で育った私にとっては、胸の痛む思いが募った。

ただ、私はじっとしていない性質のため、商店街の再生や起死回生を願い行動する人たちの役に立ちたいと、福岡県のやる気のある商店街やコミュニテイにでかけて行き、中心市街地の活性化のコンサルティングも引き受けるまでになった。

コンサルティングは民間企業から自治体や商工会議所中心に。
たまたま、色彩環境デザインにおける色彩計画や新日鉄工場のプラント等の色彩設計を早くにスタートしていたため、構造物のような大型のものを扱うのになれ、照明柱などの道路付属物や橋梁と公共の仕事も同時に増えていった。

関わる分野が商業と工業、建築と土木、内装と外装。そしてまちなみ景観へ。
色は、衣食住すべてにある。光あるところ、物体には全て色が存在する。

しかし、分野が違えば、相手を理解し知らなければ仕事はできない。新しい分野の仕事に取り組むとき、相当量の勉強も必要だったが、知らない世界を知ることは面白く楽しい。

私の中で、色は全ての物事の解決の糸口になると確信していた。

それは、37歳までの自分が根拠のない自信に満ち溢れ挑戦して成功したという体験があるからこそだ。
未知の分野でも恐れず、問題の本質を見極め、色で繋ぐ技術で、色で全てを美しく繋いで行くことが新しい世界を切拓くと信じてやまないのである。

これまで、本当の経験を喋るとおばさんの自慢話みたくなるのが嫌であまり語らないできた。嫌われたくないという心理からだと思う。

今回、コラムに過去を少し書かせていただいただけで、なんだかスッキリした気がする。
そうそう、個人事業であろうが関係ない。遠慮するなんて私らしくない。
今頃、気づいた。

年を重ねても、厚かましく思い立ったらこれからもおせっかいをして行こうと思っている。
皆さん、私に用心してください、ね(笑)
今後共よろしくお願いいたします。

イゴス環境・色彩研究所
山口ひろ子

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