会員コラム

片桐 幸夫
氏名
片桐 幸夫
会社名
有限会社 片桐精工
部署・役職名
代表取締役
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第11回後継者

私は22歳で金型製造会社に入社し、設計部に配属となりました。
家業がプレス屋でしたので、よそで修業をして家業を継いでいくように、ということでした。
そこでは仕事を通じて金型設計や機械設計、検査や測定方法を学びました。

27歳で結婚して一年程してから、家業を継ぐようにと弊社に入社しました。
弊社は長野県下伊那地にあります。
早くワイヤーカットという工作機械を導入して精密な金型づくりをしていましたので、そちらの担当になりましたが、入社早々災難が始まります。

ある日、社長(実父)から金型の部品を作ってほしいと図面を渡され、その通りにデータを作成したのですが、どうしてもわからないところがあったので社長に聞きに行きました。
結果はやはり社長の記入漏れでした。
すると、いきなり怒鳴りだしました。
ただ数値が漏れているだけなのですが、怒鳴り散らします。
「こんなこともわからんのか! いいかよく聞けよ、説明するからな!」
私はビックリしたのと同時に、何か聞き方が悪かったのか……と考えましたが、わからないところがあるから教えてほしいと言っただけです。
悪びれた態度ではなくきちんと聞いたつもりですが、怒鳴りちらして説明する有様。
感情的になり早口で言っているので何を言っているか分かりません。
そのとき「しまった!会社に入るんじゃなかった。」と思いましたが後の祭り。
結婚もして子供も一人いました。もう辞めるに辞められない状況だったのです。

当然最悪な関係になりました。
もうプレス工場を引き継ぐ気はありません。誰がやるものか。片桐家の今後の世襲さえどうでもよくなりました。
きっと、父親よりは立派な会社にできないだろう。もし社長になったとしても冴ない会社で一生終るのかな。こんな家に嫁に来てもらって申しわけない。
細々とワイヤーカットの仕事をして俺の代でダメになるんだろうな。なんて考えていました。
当然お先真っ暗です。
しかし、古い機械ながらも仕事は頂けていました。

そんな感じで数年がたち、さらに状況は悪化していきます。
2002年の不況です。
仕事は激減しました。
もう駄目だと思った時、お得意様から機械を貸すから仕事を手伝ってほしいというお話しがありました。
私にはその話を受けるしか先を切り開く道がありませんでしたので、お願いしました。
しかしその依頼を受けるにあたり、機械を借りる約束書の交換と機械を設置するスペースの確保をしなくてはいけませんので社長に話しました。
そしたらまた大激怒です。
「そんな高価な機械を借りたら空調をしっかりしなくてはいけないし、そんなことで建物に金はかけない! 建物にカネをかける奴は馬鹿だ! 借金してまで会社を経営する奴は馬鹿だ! そんなことして儲かるどころか億単位の借金ができるんだ! お前はなにも分かってない! 断って来い!」
今も忘れませんが、2時間も罵倒され続けられました。
当然怒鳴り返してその場で離婚して片桐家の相続も放棄してやろうかという思いでした。
ですが妻子の面倒を見るといった手前、なんとか踏みとどまりました。
そのあと入れ替わりで母親が来ました。
経理担当なので概要を説明したら、母親までもが失敗するからやめろと言われて1時間ほどダメ出しをされました。
この時本気で片桐家がどうなってもいいと思いましたし、両親と決別が出来たと思います。
散々な思いをしてようやく嫁に一部始終を話して、この仕事を受けないともう先がないと話したところ、嫁までもがやめた方がいいという有様。
私が一生懸命会社を続けていこう、片桐家を守っていこうとしているのにみんなでやめろという。子供以外は私の味方じゃないんだ。嫁だけは守っていこうとした俺が馬鹿だった。家族の意見を聞いていると、会社や家が没落して最後に俺がダメだったと言い出すんだろうな。
そんな事を考えました。
結局は機械をお借りして仕事を続けられるようになりました。
外部や身内から台風並みの強風にさらされ、消えかかりそうな小さな灯りを必死に守るようなものでした。

それから数年した2007年の冬、突然「来年度からお前が社長やれ」と言われました。
ここからも夕日が沈んでいくような展開がありますが、そこら辺は割愛させていただきます。

(♫Stand Alone)

社長業にも慣れてきたころ、商工会で経営セミナーを開催します、という案内が来ました。
たまたま会員さんが持っていた田中先生の書かれた「戦略と進路」を読むことができ、そこには商工会に対して厳しいご指摘が書かれていました。

「日本全国レベルってすごいな。先生は正しいことを言っている。私の周りには凄腕の反面教師はいるけど、正しいことを言ってくれる教師はいないよな。経営戦略って何となく自分なりにあるけど本当に正しいのかな。なにか指導してくれるのかも。受けずに自分なりの戦略をたてられなくても、受けてどんなことを先生が言うのか、今後更に年を重ねたときに知りませんでしたではいかんな。」
そんな思いで先生のセミナーを受けたのが2012年の2月でした。
一回目のセミナーを受けた時の感動は今でも忘れません。
何とか一か月、週一回全4回の宿題をこなしてセミナーを終了しました。
しかしまだその頃は先生から教えてもらったようにはできない状態でしたが、あれから6年、そろそろ研究会に参加しようと思っていたところ、いろんなご縁があり研究会に参加させて頂けるようになりました。
研究会は私でもわかる話もあれば、難解すぎてわからないときもあります。
ですが、いつかは理解できることを信じて研究会で学んでいきたいと思います。

田中先生の蓄積された知識と経験から、私の次の一手が出せるようなお話を聞かせてください。

有限会社 片桐精工
片桐 幸夫

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